戦前日本では、海外への誘拐(騙して密航させる等)が多発していた。
それが従軍慰安婦でも繰り返されたと考えると分かりやすい。
関連エントリ
公第十号受第一〇四二六号 ※1890年
在新嘉坡本邦人民無旅券の者に旅券を付与致し可然否の義に付再伺

本年六月廿五日機密第十一号を以て、在当港本邦臣民にして従来無旅券渡航の者に対し当館より新たに旅券を交付致候可然哉否(しかるべきやいなや)の義に付伺出置候処、今般在当港無旅券者の数を取調候処、婦人のみにて凡百五十名前後に達し其来港の次第を尋れば大概本邦各港より密航したる者に係り、現今当政庁に認可を経て娼妓となり糊口致す者に之有り候。扨て是等婦女に対し旅券交付に其査証の義に付ては、未だ何等の御訓示之無く候得共、本年六月二十七日第十三号在芝罘領事館の伺出に御回訓相成候第一項但書の御主意に準じ、都て故障ある者と見做し其交付並に其査証を拒絶可致哉、又は己の来港致候政庁の認可を経て娼妓と相成候者なれば帝国領事規定に依て交付致し可然候哉、前記人各之者此節当館へ来り旅券交付方続々願出候条、前段至急何分の御回訓相成度此段申進候也。
明治廿三年八月八日
在新嘉坡領事代理
書記生斎藤幹
外務次官子岡部長職殿
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B15100739800
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二月三日 ※1893年
婦女をして妄りに海外渡航を企図せしめざる様注意せしむ
外務省訓令
外務省訓令第一号
警視庁 北海道庁 府県

近来不良の徒各地を徘徊し甘言を以て海外の事情に疎き婦女を誘惑し、遂に種々の方法に因りて海外に渡航せしめ、渡航の後は正業に就かしむることを為さず却て之を強迫して醜業を営ましめ若くは多少の金銭を貪りて他人に交付するものあり。之が為めに海外に於て言ふに忍びざるの困難に陥る婦女追追増加し在外公館に於て救護を勉むと雖も或は遠隔の地に在りて其所在を知るに由なく困難に陥れる婦女も亦種々の障碍の為めに其事情を出訴すること能はざるもの多し。依て此等誘惑渡航の途を杜絶し且つ婦女をして妄りに渡航を企図せしめざる様取計ふべし
明治二十六年二月三日
外務大臣 陸奥宗光
内務大臣 伯爵井上馨
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藤田四郎「清国視察談」明治35年3月21(?)日発行 ※1902年
(1頁に前農商務総務長官 貴族院議員とある)

十五 醜業婦と貿易の関係(43頁~)
次に注目すべきことは醜業婦のことである、醜業婦のことに付て私共は外務省に居る時分にも心配したことで当時の政府の方針に依り調べたこともあるが条約改正の前であるから少しでも非難されることは避ける方針であった然るに最早今日あちらに往って見ると醜業婦は誘拐されて往くものは別として自分の自由意志に依って往く所の醜業婦はひどく制限する必要はないと思ふ、
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/767012/25

公第二一一号 ※1903年

婦女誘(原文=𢭆?)拐者の住氏名内地官庁へ直接通信承認方稟申の件

本邦無智の少女を誘拐して当港に来航する悪漢之有り候趣は本月八日付公第二〇三号を以て申進置候処、当港年来の商況不振は正当なる商業者より其職業を奪ひ新渡航者に対しては従前の如く容易なる生活の方法を与へず、意思薄弱なる本邦男児をして漸次堕落の境域に導き、茲に無頼の徒と化し賎業者の手に依りて漸く其口を糊するもの多きに至り候は、慨はしき次第に之有り候。而して是等無頼漢唯一の生命は実に本邦無智の少女に懸るを以て、彼等は出来得る限り好餌を捉へんと欲し、百方訏(?)策を廻らし在本邦の誘拐者と気脈を通じて、或は汽船に依り或は日本形小漁船等に依り無智の少女を誘致し之を奪食する者日一日増加の勢之有り候。当館に於ては其知れ渡りたる者に対しては厳に説諭を加ふると雖ども、素より法規の制裁之に伴はざるを以て、彼等は怡として憚る処なく非倫の罪悪を公行致居候。去れば是等悪漢の増加を防止し誘拐者を取締らんとせば、当館に於て誘拐の嫌疑ある者の住所氏名携帯旅券等を急速内地関係府県庁に通知すると同時に、船舶の発航地たる敦賀七尾長崎等の警察部へ通告して誘拐婦女の発航を停止するとを得ば、幾分か彼等の罪悪を減殺し当港の気風を改善する事を得んかと被存候間、御詮議の上直接通行御承認相成候様致度、此段及稟申候敬具

明治丗六年八月十三日
在浦潮
貿易事務官川上俊彦
外務大臣川上俊彦殿
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B13080096200(2・3画像目)
外務省外交史料館 戦前期外務省記録 直接通信関係雑件/許可 第二巻
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青木澄夫「明治末期のシンガポールの日本人社会 幻の日本人会成立と日本語新聞」中部大学国際関係学部論集「貿易風」 (9), 129-151, 2014-04

東京帝国大学医科大学を卒業し、1902(明治35)年にシンガポールに赴いてそのまま医院を開業して同地に住み着いた西村竹四郎は、日本から「密航」してきた少女たちを多数見てきた。1903年の日記に、西村は少女たちが誘拐される手口を次のように記録している。・・・
「即ち船員と結託して炭艙、ボート、其の他人目に触れない場所に匿かくし、少量のパンと水を与え、日の目を見せずに密航するのだ。密航は全く命がけである。此の密航女は新娘(ニューガール)と呼ばれ、到着した土地には各地の楼主連が集まり、よい玉は千弗(ドル)、八百弗、安くとも三、四百弗と競せりで売買される。馬の競りと同様である。」

長田秋濤「新々赤毛布 : 露西亜朝鮮支那遠征奇談」明治37年3月1日発行 ※1904年

醜業婦の出産地(196頁~)
西比利亜(シベリア)に渡航して行て醜業婦人と云ふ憐れむべき名称に甘んじて外国人に情を交はして、御髯の塵を払ふて居るもの共の出産地の戸籍を酔狂にも洗って見れば、大概は九州で其多数は九州の内で熊本県天草か、長崎県島原辺りの者で長崎市の内外も沢山ある、其の次は中国から中仙道に懸けてゞある、・・・其事を聞き込んだる誘拐者が有らん限りの甘言を尽して之を誘ひ出し、自分の懐暖めの材料に做すと云ふ様な具合で、斯く一人連れ二人連れて行たのが今日の如く殖えたのである。


「五大洲探検記2 南洋印度奇観」五大州探検家中村直吉 冒険世界主筆押川春浪編 明治42年1月1日発行 ※1909年

茲(ここ)に吾人の不審に堪へないのは、比較的教育の普及した今日、尚ほ九州地方から悪漢の甘言に乗って、誘拐される婦女の絶へないことである。(13・14頁)


意見書案 ※1910年
在外国売淫婦取締法制定に関する件
東京市麹町区上二番町平民私立女子学院長矢島楫外七百九十二名呈出

右の請願は現行法は海外に密航する売淫婦の取締法宜しきを得ずして此等醜業婦の世界各地に周きに至れるは独多数の婦女子を奴隷に劣るの惨境に陥るるのみならず実に我国の恥辱なるを以て之が取締を厳にするため適当の法律を制定せられたしとの旨趣にして貴族院は願意の大体は採択すべきものと議決致候因て議員法第六十五条に依り別冊及送付候也
明治四十三年三月廿三日 貴族院議長 公爵徳川家達
総理大臣 侯爵桂太郎殿
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B03041449800
外務省外交史料館 戦前期外務省記録 議員及人民ヨリ提出ノ建議請願関係 第二巻


公信第二五一号 ※1912年
明治四拾五年七月十日
在香港総領事 今井忍郎
外務大臣子爵内田康哉殿

婦女誘拐者取締方に関し内地官庁と直接通信方稟請の件
香港は南清南洋地方に於ける婦女誘拐の策源地とも見るを得べく、従て本邦より無智の婦女を誘拐し来るもの、或は斯る目的を抱きて当地より帰国する悪漢之有り。当館は斯るものに対し厳重監視致候へ共、法規の制裁之に伴はざるを以て、如何とも致難候。去れば是等悪漢の増加を妨ぎ誘拐者を取締らんと欲せば、是等嫌疑者の乗船帰国を探知し、或は日本発航を予知したる場合に之を内地関係府県知事へ通知すると同時に、該船舶の発着地たる長崎門司神戸横浜等の警察部へ取押方を通告することを得ば、幾分か彼等の悪行を取締ることを得んかと被存候間、右誘拐事項に限り急を要するものに関しては、在浦潮総領事館と同様本邦各地方長官と直接通信許相成候様致度。現に今日に至る迄、内地府県知事より当館を在清領事館同様に看做し直接通信の御許可済の者と心得、書状若くは電報にて続々警察事項に関する直接照会之有り候処、当館に於ては、右照会事項中当港に於て取締を得べき事項は応急の処分致居候得共、其事項中には右の府県知事に対し再応の照会を要する者之有り候も、直接通信の許可を経居らざるが為め取締上屡々遺憾の感之有り候に付、前述事項に限り被誘拐女子の原籍地又は出帆港府県知事と直接通信御許可相成候様致度、此段申進候敬具
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B13080101900(2・3画像目)
外務省外交史料館 戦前期外務省記録 直接通信関係雑件/許可 第四巻
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酌婦を解せず。 ※1913年
市内松公園内、料理店、松金、抱芸者、梅八、事、西本サキは、今度、内地へ帰り、大阪府下、西成郡勝間村生れ、金沢ノエ(十九)が丁度、遊んで居れば、満州にいっては何うか、酌婦をしても、月に七八十円の収入はあると、例の調子で誘ひ出し、一日入港(の)台中丸にて来連したが、満州の酌婦は内地と違ひ、女郎と一緒と解り、這麼(こんな)恐ろしい所であったら、来るのではなかったと、頻りに悔み居るより、松金の主人も呼出され、相談の末、ノエは一先づ内地へ帰る事となる。(満州日日新聞、大正二年八月二日)
(倉橋正直「従軍慰安婦と公娼制度」122頁)

山室軍平「社会廓清論」大正3年10月19日発行 ※1914年

○大連婦人ホーム
其翌明治三十八年、日露戦役の漸く終を告げんとする頃から、満洲大連を経て段々奥へ奥へと入り込む日本醜業婦が引きも切らず、中にはひどい誘拐の事実等も甚だ多い様子を、見るに見兼ねて、当時青年会の慰問部に居られた、今の廓清会理事益富政助氏其他の有志が、満洲婦人救済会といふものを起し、彼等の幾人かを救済して、最初の間は救世軍の東京婦人ホームに送り届けて居られたが・・・
 本年春頃悪漢の手に誘拐せられて大連西通の某料理店に連込まれし姉妹ありき。生れは山口県吉敷郡平川村の者にて姉は十九歳、妹は十七歳の娘盛り、好き良人を迎へて幸福に暮すべき身の、哀れにも満洲風に誘ひ出され、奉公する気で来て見れば鬼住む宿の恐しき事のみにて、来た其夜より客を取れと強ひられ、厭と言へば打ち叩かれて、姉妹相抱いては泣き悲み居たるが、
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1748928/197

八代英雄「秘密爆露裏面之南洋」1915年

『嗚呼淫売国』と誰やらが嘆息したが、事実に於いて日本から海外へ発展してゐる女は、十中の八九まで色香を売って口に糊する売春婦である。・・・
 娘子軍の大部分は、天草を中心としたる九州人で、熊本、長崎の両県から嗾出してゐる。これは海外に出稼ぎに行く事を自ら希望してゐるもので、顔の方はあまり感心しない連中だ。土人でも支那人でも、助平根性は同じ事で、醜婦よりは美人を好み、費消する金高も相違して来る。従って淫売屋の主人も上玉を欲しがり、四方八方に手を廻す。此処を例の無頼漢が付込んで、ある密約を結んで日本へ戻り、純潔無垢の良家の子女を誘拐して行く
 上玉であれば楼主も千や二千の金を惜まない。
 斯うして、多くの悪漢のために南洋の天地へ誘拐されて行く女は、可成り夥しい数に上り、新嘉坡の日本領事の手に取押へられ、内地へ送還される不幸中の幸ひなる女も又多い。それから誘拐中に、警官に観破されて悪漢が取押へられたり、今や船に積み込まうとして発見されたりする実例は、各新聞紙上で往々見受ける。又、誘拐されて南洋に亘り、捨鉢になって遂に悲惨なる最後を遂げたと云ふ、哀れな実話を耳にした事もある。楼主の命を奉ぜぬとあって、厳しい折檻をうけて悶死した一層可憐な実話も聞いてゐる。―自ら好んで出稼ぎに行くのはそれで可い、面白い目をしやうと困らうと自業自得であるから構はぬが、悪漢に欺むかれて南洋へ売られて来た女は、何んとかして救ふてやりたいものだ。

長田秋濤「図南録」1917年4月8日発行

第三編
誘拐、密航、詐偽結婚(二)
 石川や浜の真砂のそれならなくに、如何にその筋の取締厳なればとて、本邦の婦女誘拐と密航は蓋し絶ゆるの時あらざるべし、婦女を誘拐して海外に密航せしむる悪漢は、海外到る処気脈を通じて謀計を凝らせり、而して彼等の中には医者あり歯医者あり、商館の主人あり、坊主あり、軍人あり、船員あり、口入屋あり、随って其奇計妙策たる真に驚天動地底のものあり、奇想天外底のものあり、吃驚仰天唖然呆然として自失せざるは能はざる底のものあり、就中新嘉坡に於ける近来の密航と誘拐方法を聞くに、大抵は医者呉服屋その他の商店の主人が手先となつつ活動する者にて、即ち彼等が仕入その他の用務を帯びて帰朝するに際し、或は看護婦、或は召使、或は女中等の名目によって巧に当局を誤魔化すものなりと、而して彼等が毒手に捕はれたる者は大抵七八百円より千二三百弗に売り飛ばさる、更に注意すべき在留の所謂紳士なる者に恁る悪漢あり、彼等は一旦帰朝して結婚の手続を了し、而して公然渡航し去るも到着後直に離婚の手続をなして売り飛ばし、更に翌々年位にして又々結婚の手続を為す、恁くて再婚三婚四婚と可憐なる婦女を捕へて公々然の残骸を為す。就中当局の注意を促すべきは、毎年初秋の交仕入れの為め帰朝する呉服屋連なり、彼等は此頃内地に於ける夏物の売残りを安価に仕入れて、而して南洋に帰来するや即ち内地の新柄と称して売り捌くものなるが、此際店員或は女中として伴ひ帰る女は大抵彼等の毒爪に罹りて、永劫浮かぶ瀬もなき奈落の淵に投ぜらるゝ者なり。
 その他南洋各地に於けるイカモノ歯医者、イカモノ医者にして内実婦女誘拐と密航を本業とせる者尠からざる由なり。因に記す近来北米行の密航婦は多く上海より新嘉坡に到り、更に印度より英国倫敦に到り、同地より紐育に渡航する風あり、而して此間到る所同臭一味の気脈を通ぜるや勿論なり。その他詳細に彼等が密航の奸策密棒を曝露し来らんか、確に数千頁に余る浩瀚の一冊子たるべし。(170~172頁)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/955911/103

藤田敏郎「海外在勤四半世紀の回顧」昭和6年7月21日発行 ※1931年

醜業婦の輸入及裁判事件(32頁~)
 明治廿二三年の頃、桑港(サンフランシスコ)に於ける日本無頼の徒は種々の工夫を凝らし、醜業婦の輸入をなせり。・・・

醜業婦の送還(71頁~)
 明治廿九、卅年頃新嘉坡(シンガポール)在留日本人は約千人にして、内九百余人は女子にして其九割九分は醜業婦なり、其多くは誘拐されたる者に係る。彼等姓名を偽称するが故に、外務省より取調べ帰国せしむべく命ぜらるゝ毎に多大の困難を感じたり。

南洋及日本人社「シンガポールを中心に同胞活躍 南洋の五十年」昭和13年6月3日発行 ※1938年

一八、娘子軍時代
3、草分と其頃の新嘉坡(シンガポール)
 バンダが出来たのは一八九九年で支那人ばかり最初は邦人の娼家はなかった。華民保護局が出来たのは一八八八年で支那苦力が奴隷的に輸入され、殊に売られて来る女が余りに可愛想だと夫等を保護するために出来たのであって、インスペクタ・ピッカリング氏が最初の局長で、誘拐されて来る哀れな日本娘も亦其処で保護されてゐたのである。

昭和十三年六月一日付の在山海關副領事佐々木高義発、外務大臣宇垣一成宛の件名「支那渡航婦女ノ取締ニ關スル件」の文書に、「支那ニ於テ所謂酌婦ト稱スルハ單ニ酒間ヲ斡旋スル婦女ヲ指スニアラスシテ内地ノ娼妓ト同様ノ稼業ニ従事スルモノナルガ内地婦女子中ニハ往々ニシテ文字通リ解譯シ漫然渡来シ到着地ニ於テ醜業ヲ強ヒラレ」との記述https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/200/syuh/s200093.htm

「秘」印
在外邦人醜業婦の取締に関する訓令

一、明治十六年八月中上海密航婦女の取締を厳重にすべき旨内地各地方長官に訓令せり。
一、明治十八年七月中海外渡航婦女並に密航取締方長崎、福岡、山口、兵庫、大阪、神奈川各地方長官に厳達し重ねて同月中無旅券婦女の渡航及不正渡航者の取締並に乗船取締方訓令し同時に其旨各汽船会社に輸送せり。
一、明治廿五年十月中密航取締方長崎県外十二県へ訓令せり。
一、明治廿六年三月中不良の徒の甘言を以て海外の事情に疎き婦女を誘惑して海外に渡航せしめ醜業を強行せしむる者あり此等醜業婦は海外に於て悲惨の状態に陥るもの不尠(すくなからざる)に付厳重取締方警視総監北海道庁長官、各府県知事へ訓令せり。
一、明治丗三年四月中西濠洲に於ける邦人醜業婦取締方法に関し詳細報告方在シドニー帝国領事に訓令せり。
一、明治三十五年七月中密航婦女の取締方に関し福岡県知事に訓令せり。
一、明治丗九年法律第八〇号
  清国及朝鮮国在留帝国臣民取締法
第一条 「清国及朝鮮国」在留の領事は在留の帝国臣民該地方の安寧を妨害せむとし又は該地方の風俗を壊乱せむとするものある時は一年以上三年以下在留することを禁止す可し。
  以下省略
一、明治卅九年六月日露戦后一般に密航者の数増加の傾向あるに依り厳重取締方長崎、神奈川、兵庫、福岡、山口各県知事に訓令せり。
一、明治四十二年三月中在外邦人醜業婦取締に関し日本基督教婦人矯風会より取締法令制定方従来屡々議会に請願する処あり今回も議会に於ては之を採択すべきものと議決したる処本件に関しては新刑法を以て夫々規定する処あるを以て特に法律制定の要なきも醜業婦の渡航を未然に防止するは吃緊事なるを以て此際厳重取締相成度旨内地各地方長官並に在外各公館長に訓令せり。
一、明治四十三年十月中海外渡航移民にして他人の名義を藉りて出願し写真のみは自己のものを貼付するが如き奸策を弄するものあり特に米国行醜業婦にして此種の手段を用ふるもの多きに付旅券出願者に対し綿密調査相成度旨各地方長官警視総監へ通牒せり。
一、大正元年八月中新嘉坡渡航婦女にして領事発給の証明書を提出せずして旅券を願出るものに対しては醜業の目的を以て渡航する者に非ざるや否や将又領事発給の在留証明書を提示する場合に於ても事実の真相を究めたる後旅券交付相成度旨各地方長官に通牒せり。
一、大正七年一月中支那各地に於ける邦人醜業婦にして相当の居を構へ料理業を営むものの如きは兎も角満洲各地に於ては不体裁極まる場屋に於て専ら下級外国人を顧客とし醜業を営むもの多き為め過般奉天に於て開催せられたる領事館会議に於ては右様の醜業者は其営業状態を改善せざるに於ては本年末迄に之を禁絶することに決議の次第有之たるに付今般在満洲各領事官及各分館主任に対し右決議の趣旨実行方訓令置きたるを以て貴管内に於て右等下級醜業婦ある場合は右の趣旨に依り相当措置相成度旨在支各領事官に訓令せり。
一、同月中在満州邦人醜業婦人取締に関し奉天領事官会議に於て決議事項第五不正営業の取締に関する件の五として決議の趣旨を適当と認むるに付右実行相成度旨在満州各領事に通牒せり。
一、大正九年一月中醜業婦人の海外渡航に対しては今後特に厳重取締相成度旨警視総監各地方長官及拓殖局長官に通牒せり。
一、大正十年六月中邦人醜業婦の多数海外に在ることは我国の体面上面白からざるは勿論之が為めに我国民の堅実なる海外発展を阻害する所以なるを以て最近在新嘉坡山崎総領事代理の為せる如く一定の期間を定め全部はいぎょうせしむるか若し能はざれば当該地方官憲に対し新規営業の許可を与へざる様連絡を保ち現に営業する者は機を見て廃業せしむるが如き漸減主義を採るか何れにしても各地方の事情を参酌して一定の方針を確立し之に拠って醜業者の絶滅を計るべく尚ほ此際適当なる具体的廃娼実行方法を立案し報国すべき旨在外各公館長へ訓令を廃〔ママ〕せり(別紙写の通)(2~4画像目)

在外公館に於ける取締状況
新嘉坡
大正六年中我領事は醜業婦誘拐に対し鋭意取締をなし被誘拐者を発見せること夥し。(10画像目)
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https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B04122144900

その他の誘拐
明治四十一年九月七日接受 主管通商局 ※1908年
香公第一九五号
外国船乗組本邦船員取締に関する件

従来本邦人にして確たる目的を有せず漫然当地に来て直に糊口に其都度当館の保護を求め来たるもの、尠くとも一週二三名を下らざる有様に之有り候。右の中外国船々員として本邦より傭はれ来る者の如きは、何れも無教育のものにて外国語に通ずるものは無論皆無、従て大抵本邦に於ける船員紹介所の甘言に欺かれ彼等の信ずる所は実際の契約に反するを知らず、突然当地に於て解傭せらるゝ不幸に遭遇するものにして、其都度当館は当該船長に交渉せるも、実際の契約文を見るに皆な乗組員の陳述と異るに依り、該船長等に対し何等抗議の理由之無し。現に六月十六日澳国汽船カメタ(Cameta)号乗組員堀部外二名解傭の如き最近の一例にして、亦本月二十四日露国汽船ソペルニック(Sopelnic)号乗組員川崎外五名の者も突然当地に解傭せられ候。察する所外国船の邦人を傭入るゝは一時の間に合せに過ぎずして、初より当地の如き清人雇入の便ある地に於て給料其他の関係上之と更代せしむるの意あるものと信ぜられ候。
右の次第にして、当地の如き船舶の出入瀕繁なる地に在ては今後斯る場合の続々相生ずる恐之有り、為めに館務の煩雑と相成るのみならず一日も早く此等の弊害を艾除せざれば在外邦人取締上種々の不都合を生ずるの虞之有り候に付、門司、神戸横浜等船舶の輻輳烈しき各港当該官庁へ御厳達の上、此等不正船員紹介所取締方可然御移牒相成候様致度、此段申進候敬具。
明治四十一年八月二十七日
在香港
副領事船津辰一郎
外務大臣子爵寺内正毅殿
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B11092265800


福岡日日新聞 1913.10.16 (大正2)

訴訟の自然増加

過般管内視察後長崎控訴院に於る所長検事正会議に列席し十三日帰福したる能勢福岡地方裁判所長は最近の法況に関し左の如く語れり・・・

犯罪の種類県下の各地が活動力に富める事は今次視察の際にも感得したる所なるが管内に於て最も目立って見ゆる犯罪は殺傷罪と誘拐罪の多き事之れ也殺傷罪は各種犯罪中普通第五位又は第六位なるを常とするに管内に於ては実に窃盗罪に次第二位を占め居れり然し其動機は極めて淡泊なるもの多し又誘拐罪は門司其他開港地を有せる結果なるべし云々

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10119696&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA


法律新聞 1916.1.8 (大正5)

大正四年度東京監獄在監人月別

東京監獄典獄 本名瀬礼助君談


略取及び誘拐四月男四人、五六月男各三人七月男四人、八月男二人、九月男三人、十月男二人、女一月乃至九月無、十十一月各一人。

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10064701&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA



東京朝日新聞 1921.9.7 (大正10)

受刑者罪名別

司法省調査に依る七月末現在在監者は男四万四千四百五十四人女一千五百十人総計四万五千九百六十四人にして前月抹に比し四百二十一人の減前年同期に比し四千百三十八人の減少なる事は既報の如くなるが之れを罪名別に示せば左の如し


△略取及誘拐男百二十一人女九人計百三十人

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10065313&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA


大阪朝日新聞 1919.4.8 (大正8)


平和来で犯罪増加

争われぬ北九州の徴候

欧洲戦乱の終局に次いで講和会議の実現と共に北九州に於ける諸工業に大影響を及ぼしたる結果罪を犯す者増加したる徴候あり当局にては極力之れが検挙に努めつつあるも未だ実績を挙ぐるに至らざるが小倉署に於て三月中の取扱件数実に二百七十二件に達せり其内訳は左の如し(小倉発)


 強盗一、窃盗一六八、殺人一、傷害一一、失火三、詐偽二四、横領一〇、賭博五、猥褻姦淫二、誘拐、臓物故売一三、文書偽造一〇、其他刑事二五

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10065489&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA


東京日日新聞 1913.11.16-1913.11.21 (大正2)

見た儘の南洋 (一〜五)

在馬来半島 藤田天民

(一) 南洋の職業は何(上)(四) 名物の醜業婦(上)

高い処では喜摩拉椰の山腹、広い処で西比利の原野、日本醜業婦が到らぬ地はない、けれどもジヤパニース、ムスメの名が世界に轟き、新刊英語字典の中に載せらるるまでに至ったのは、欧亜の通路、世界の公道たる南洋諸港に陣取って黒白の人種、万国の族客を相手に公々然醜業を営むからであろう、彼女等は和漢洋折衷、那処にも類のない一種異様の服装(猿芝居のお姫さま)をなし、筆太に番号を記した楼下に椅子を列べ、英語馬来語打交ぜて行人を呼ぶさま奇異とも醜怪とも形容する□がない、私娼密売なら左ほど目立つまいけれど是はレジスタードと云い、ライセンストと云い、官許の公娼、しかも最も繁華な街□に開業しているのだから堪まらない、一夜五弗ショート、タイムニ弗という相場、支那人が常得意、白皙人にも商えば印度馬来人にも売る、原産地は九州方面、長崎天草が本場、バッテンでなければ幅がきかぬ、近年密航取締□行とあって、補充途絶え、老婆ばかりかと思の外、いずれも妙齢の女子、十五六歳と見ゆる者も少くないとの事、是はチョット不思議なようで不思議にあらずだ、香港行新嘉坡行と云えば、旅行券も必要、其筋の注目も厳しいが、支那行と称すれば、余り六ケしくない、(上海にも漢□にも日本茶館閉鎖以来醜業婦なし)であるから堂々と上海行の切符を買い郵船会社の欧洲行メールに乗込み揚子江の下流か□淞あたりで我敵は本能寺と出掛け、船賃を継続せば那処へでも自由である、現に先頃の郵船にも七八名の女客は確にソレと見えたが果して新嘉坡に着くと忽ち買手が現れ其中の二女一名六七百円に売買調談、四十ばかりの引率婆が十円札百余□帯に□んで帰□したと云う、□品はビーナン、コーラ、□ボー、其他の方面の紹介者に売渡されたであろう、□船諸港の水上署は□□がない、殊に門司警察なんと警部巡査七八名も剣□を緊握しながら、船内限なく捜査を行うが炭庫水槽さては暗□船底に隠れて密航するのは古手な方法、今では最も合法的手段を取り、警察官がノースの尖を掠て平然たるもの此種の密航婦、ではない公航婦も大抵皆欺かれて父母の国を去るので、羅漢相手の辛い勤め、サン泣いて暮すだろう、救済せではと義侠心を動かす日本人士も多いが、

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