その記事
2015.2.11 19:00
【長州「正論」懇話会】
萩生田光一・自民総裁特別補佐「慰安婦報道検証し、名誉回復を」

長州「正論」懇話会の第7回講演会が11日、山口県下関市のシーモールパレスで開かれ、自民党の萩生田光一総裁特別補佐が「日本の誇りと名誉回復元年に」と題して講演した。
・・・首相の靖国神社参拝について「首相は戦争をしたいから靖国に行くわけではない。日本では国会決議によって戦犯は名誉回復され、存在しない。戦勝国も認めた。こうした事実の説明とアピールが大事だ。リーダーの安倍晋三と二人三脚で取り組みたい」と語った。

■どう間違いか。
(1)その決議は以下の4つを指すと思われるが、どれも「戦犯を釈放してもらうよう政府は取組め」という政府への尻叩き決議でしかない。
1952年6月9日参議院本会議「戦犯在所者の釈放等に関する決議」 
 
○岡部常君 先ず決議案文を朗読いたします。
  戦犯在所者の釈放等に関する決議案
講和が成立し独立を恢復したこの時に当り、政府は、
 一、死刑の言渡を受けて比国に拘禁されている者の助命
 二、比国及び濠洲において拘禁されている者の速やかな内地帰還
 三、巣鴨プリズンに拘禁されている者の妥当にして寛大なる措置の速やかな促進のため、関係諸国に対し平和條約所定の勧告を為し、或いはその諒解を求め、もつて、これが実現を図るべきである
  右決議する。
(中略)
○議長(佐藤尚武君) これにて討論の通告者の発言は全部終了いたしました。討論は終局したものと認めます。
 これより本決議案の採決をいたします。本決議案に賛成の諸君の起立を求めます。
 (賛成者起立〕
○議長(佐藤尚武君) 過半数と認めます。よつて本決議案は可決せられました。(拍手)

○国務大臣(木村篤太郎君) 只今御可決になりました決議案に対して政府の所信を申述べたいと思います。
 現在戦争犯罪に問われまして内地に服役されておるかたが九百二十四名、外地で服役されておるかたが三百数十名であるのであります。・・・政府におきましては、今日まであらゆる機会をとらえまして、公式或いは非公式に関係国の好意ある取扱を得べく努力を拂つて参りましたが、今後もこの努力を続けて参りまして、仮出所は勿論のこと、赦免又は減刑につきましても調査の上、正式に勧告を行いまして、この不幸な事態を一日も早く解消せしめまして、今日御可決になりましたこの決議に対して全くこれに応ずる覚悟である次第であります。

1952年12月9日衆議院本会議「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」
 
○田子一民君 
まず決議案の案文を朗読いたします。
 戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議
独立後すでに半歳、しかも戦争による受刑者として内外に拘禁中の者はなお相当の数に上り、国民の感情に堪え難いものがあり、国際友好の上より遺憾とするところである。
 よつて衆議院は、国民の期待に副い家族縁者の悲願を察し、フイリツピンにおいて死刑の宣告を受けた者の助命、同国及びオーストラリア等海外において拘禁中の者の内地送還について関係国の諒解を得るとともに、内地において拘禁中の者の赦免、減刑及び仮出獄の実施を促進するため、まずB級及びC級の戦争犯罪による受刑者に関し政府の適切且つ急速な措置を要望する
 右決議する。
(中略)
○議長(大野伴睦君) これにて討論は終局いたしました。
 採決いたします。本案に賛成の諸君の起立を求めます。
    〔賛成者起立〕
○議長(大野伴睦君) 起立多数。よつて本案は可決いたしました。(拍手)
 この際法務大臣から発言を求められております。これを許します。法務大臣犬養健君。
    〔国務大臣犬養健君登壇〕
○国務大臣(犬養健君) ただいま成立いたしました決議に対して敬意を表し、この際政府の所信を申し上げたいと存じます。・・・政府といたしましては、本日のこの御決議の意を体し、さらに今後とも関係国の好意ある処置を期待しつつ、あらゆる手段方法によりまして、適切迅速なる方途をとり、一日も早くこの不幸なる事態を解消いたしまして、本日の御趣旨に沿いたい覚悟でございます。(拍手)

1953年8月3日衆議院本会議「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」 
 
○山下春江君 
まず、決議案文を朗読いたします。
 戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議
 八月十五日九度目の終戦記念日を迎えんとする今日、しかも独立後すでに十五箇月を経過したが、国民の悲願である戦争犯罪による受刑者の全面赦免を見るに至らないことは、もはや国民の感情に堪えがたいものがあり、国際友好の上より誠に遺憾とするところである。しかしながら、講和条約発効以来戦犯処理の推移を顧みるに、中国は昨年八月日華条約発効と同時に全員赦免を断行し、フランスは本年六月初め大減刑を実行してほとんど全員を釈放し、次いで今回フイリピン共和国はキリノ大統領の英断によつて、去る二十二日朝横浜ふ頭に全員を迎え得たことは、同慶の至りである。且又、来る八月八日には濠州マヌス島より百六十五名全部を迎えることは衷心欣快に堪えないと同時に、濠州政府に対して深甚の謝意を表するものである。
 かくて戦争問題解決の途上に横たわつていた最大の障害が完全に取り除かれ、事態は、最終段階に突入したものと認められる秋に際会したので、この機会を逸することなく、この際有効適切な処置が講じられなければ、受刑者の心境は憂慮すべき事態に立ち至るやも計りがたきを憂えるものである。われわれは、この際関係各国に対して、わが国の完全独立のためにも、将又世界平和、国家親交のためにも、すみやかに問題の全面的解決を計るべきことを喫緊の要事と確信するものである。
 よつて政府は、全面赦免の実施を促進するため、強力にして適切且つ急速な措置を要望する
 右決議する。
(中略)
○議長(堤康次郎君) 採決いたします。本案は、委員長報告の通り決するに御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(堤康次郎君) 御異議なしと認めます。よつて本案は委員長報告の通り可決いたしました。(拍手)
 この際、法務大臣から発言を求められております。これを許します。法務大臣犬養健君。
    〔国務大臣犬養健君登壇〕
○国務大臣(犬養健君) ただいま本院においてなされました御決議を、深き感慨をもつて拝聴いたしました。・・・先ほど提案者の述べられましたごとく、事態は現在いわゆる最終の段階に入つていると考えられますので、政府はここにおいてあらゆる熱意と努力とを傾けまして善処をいたし、もつて国民各位の熱望にこたえたき覚悟でございます。(拍手)

1955年7月19日衆議院本会議「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」 
 
○永山忠則君
まず、決議案を朗読いたします。
 戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議案
 戦いを終えて満十年今なお巣鴨刑務所には五百八十二名の同胞が、いわゆる戦争犯罪人の名のもとに残されている。講和条約が発効してすでに三年、その間本院においてこれら戦争受刑者の全面釈放に関して決議すること三度に及ぶにもかかわらず、いまだに、その根本的解決を見るに至らないことは、われらのもっとも遺憾とするところである。
 ひるがえつて世論の動向を見るに、戦争裁判に対するわが国民感情は、もはやこれ以上の拘禁継続をとうてい容認しえない限度に達している。
 時あたかも日ソ交渉において在ソ抑留同胞の全員送還の実現を要求している現状にかんがみ、政府は、これら戦争受刑者並びに留守家族の悲願と、国民の期待にこたえるべく、ただちに関係諸国に対し全員の即時釈放を強く要請し、きたる八月十五日を期して戦犯問題を全面的に解決するため、誠意をもって速かに具体的措置を断行せられんことを要望する
 右決議する。
(中略)
議長(益谷秀次君) 採決いたします。本案を可決するに御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(益谷秀次君) 御異議なしと認めます。よって本案は可決いたしました。
 この際外務大臣から発言を求められております。これを許します。外務大臣重光葵君。
    〔国務大臣重光葵君登壇〕
○国務大臣(重光葵君) 戦争受刑者の釈放問題につきましては、政府におきまして、これまで関係諸国に対し熱心にその要請をなし来たったのでありまして、関係国の態度は漸次好転して参りましたものの、今なお多くの末釈放者があることは、戦争終結後十年の今日、まことに遺憾にたえません。政府は、ただいまの御決議の趣旨を体して、いわゆる戦犯釈放具現方につき今後とも全力を尽し、その実現を期する所存でありますことをここに申し上げます。以上。(拍手)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/022/0512/02207190512043c.html
3つ目の「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が国会決議なのに「政府は~要望する」と政府が主語になっているのが不可解だが、ここでは取りあえず日本語のミスだろうということにしておく。

さてこれら4決議が釈放要請に関するものということはつまり
・「収監中=生存中」の戦犯が対象の決議であり、既に死んでいた東条英機、山下奉文らは当然対象外である。(話を進めるために)仮にこの決議が名誉回復であるとしても、その場合も東条や山下らは名誉回復されていないわけである。
・A級だけでなくBC級も対象、そのとき収監されていた全戦犯が対象の決議である。つまり(話を進めるために)これが仮に名誉回復決議であるとするなら、その場合A級だけでなくBC級もみな名誉回復されたことになってしまう。荻生田氏ら名誉回復されたよ派は、何百だか何千だかの収監中戦犯が全員名誉回復されたと主張するのだろうか。


(2)戦犯は政府の働きかけで「減刑」されただけであり、「刑期が満了した」だけである。戦犯履歴=前科が消えたわけではない。

まず首相答弁
第121回国会(臨時会)答弁書 
平成三年十月二十九日 内閣総理大臣 海部俊樹   

二の1について
・・・A級戦争犯罪人として有罪判決を受けた者のうち減刑された者は十名(いずれも終身禁錮の判決を受けた者である。)であり、いずれも昭和三十三年四月七日付けで、同日までにそれぞれ服役した期間を刑期とする刑に減刑された。なお、赦免された者はいない。

二の2について
二の1において述べた十名に対する減刑は、いずれも、我が国の勧告並びに米国、英国、フランス、オランダ、オーストラリア、カナダ、フィリピン、パキスタン及びニュー・ジーランドの政府の決定に基づいて行われた。なお、その減刑の処分決定には理由が付されていないが、我が国の勧告は、本人の善行及び高齢を理由とするものであった
二の4について
 平和条約第十一条及び平和条約第十一条による刑の執行及び赦免等に関する法律に規定する「赦免」とは、一般に刑の執行からの解放を意味すると解される。赦免が判決の効力に及ぼす影響について定めた法令等は存在しない。
二の6について
A級戦争犯罪人のすべてについて刑期が満了したのは、昭和三十三年四月七日であり、BC級戦争犯罪人のすべてについて刑期が満了したのは、昭和三十三年十二月二十九日である。BC級戦争犯罪人のうちお尋ねの朝鮮半島出身者及び台湾出身者についての釈放の時期は、不明である。
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/121/touh/t121012.htm

釈放の経緯を説明した外務省・昭和32年・34年版外交青書
わが外交の近況
昭和32年9月
外  務  省

各説 
六 戦犯者の釈放と抑留邦人送還に関する努力
講和条約発効の当時一、二四四名を数えていた戦犯も、政府の各関係国政府に対する不断の釈放要請の結果、中、比、仏、蘭関係戦犯ならびにA級戦犯者が全員釈放あるいは仮出所を許可されて、昭和三十一年末においては巣鴨に服役の戦犯は米、豪、英関係の一〇九名となつた。この内訳は米国関係八四名、豪州関係二三名、英国関係二名である。しかし、英国関係二名は本年一月一日付で釈放されたので、戦犯は米豪両国関係のみとなつたから、政府は戦犯問題の全面解決を図る方針で両国政府に対し強く釈放要請を行つて来た。これに対し豪州政府は昭和三十一年六月末に決定した戦犯に対する措置に基き釈放の促進を示し、四月末には一四名を残すのみとなつた。これら残存者に対してメンジス総理訪日の際岸首相より釈放の申入れを行つた結果、同総理から岸首相あてに残存戦犯全員は六月末までに釈放するとのメッセージがあり、六月二十九日その釈放が実現し、豪州関係戦犯問題は終結を見るにいたつた。
一方米国関係戦犯の釈放振りを見ると、本年に入り毎月三、四名宛現在(九月十五日)までに二七名の仮出所を許可しているが、巣鴨プリズンにはなお五六名が服役している。
政府としては残存する米国関係戦犯についてもこれが根本的解決を計るべく努力中である。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1957/s32-contents.htm
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1957/s32-2-6.htm

わが外交の近況(第3号)
昭和34年3月
外 務 省

各説
二 わが国と各地域との間の諸問題
北米関係
9 戦犯問題の解決
戦犯問題については、政府は、解決しうるものから速やかに解決するとの立場に立つて鋭意処理を進め、昨年九月藤山外務大臣が渡米した際も、米国政府に対し重ねて本件の早期解決方を要請した結果、昨年十二月末をもつて戦犯問題は左のとおり完全に解決した。
A 級 戦 犯
一九五六年三月末をもつてA級戦犯者全員が仮出所が実現したが、これらの者は仮出後もなお保護監督下に置かれている状態であつたので、日本政府は、米国政府をはじめ関係国政府に対しその赦免方を要請していた。しかるところ昨年四月七日在京関係国公館より、対日平和条約第十一条に基き、A級戦犯者全員が同日までに服役した期間までその刑を減刑する旨の通報があつたので、ここにA級戦犯問題は完全に解決するに至つた。
B、C級戦犯
一昨年十二月末現在巣鴨に在所中の米国関係B、C級戦犯者は四十五名であつたが、同年十二月に設置された戦犯釈放促進のための調査会が、米国政府より貸与を受けた裁判記録に基いて一覧を作成し、右所見を基として、日本政府より米国政府に対しこれらの者の仮出所許可方を要請した結果、昨年五月二十日付をもつて全員の仮出所が実現した。政府は、その後さらに仮出所中の米国関係B、C級戦犯者三六〇名をも前記のA級戦犯と同様な方法で速やかに赦免するよう米国政府に要請した。その結果これらの者についても逐次減刑、赦免が許可され、同年十二月二十九日付をもつて全員の赦免が実現した。なほ仮出所のオランダ関係B、C級戦犯一二八名も同年十二月五日付で全員減刑赦免されたので、ここに戦犯問題は完全に解決をみることとなつた。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1959/s34-contents.htm
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1959/s34-2-2-2.htm

ここから分かるのは、
・戦犯は減刑などで「刑期を満了」して出所しただけ、あるいは「釈放」「仮出所」をしただけであり、つまり一定の刑期を務め上げたわけである。犯罪者が刑期を終えて出所したから「名誉回復」だとは誰も言わないだろう。戦犯も同様に出所して元戦犯となっただけである。彼らの戦犯履歴=前科が消えたわけではない。
・海部答弁ではA級戦犯の減刑勧告は「本人の善行及び高齢」を理由としており、罪を認めないなどとは言っていない。

萩生田氏の言う「戦犯は名誉回復され、存在しない」とはつまり「冤罪認定された、そもそも最初から罪など存在しなかったのだ」という意味だと解釈するが、それは間違いであることが以上から分かるだろう。名誉回復されたよ派は、このように根拠が無いのである。


以下は関連エントリ
「東京裁判は事後法で違法・無効」説の真偽
http://blog.livedoor.jp/ekesete1/archives/40575905.html
A級戦犯は罪が重いわけではない、BC級と同じだ、というウソ
http://blog.livedoor.jp/ekesete1/archives/41643358.html
靖国神社の何が問題なのか。問題点3つ
http://blog.livedoor.jp/ekesete1/archives/41361743.html


(参考)

靖国問題―A級戦犯は存在しない
2014.01.07
文/幸福実現党岐阜県本部政調会長 加納有輝彦

◆戦犯の名誉回復
そして1952年6月9日の参議院本会議に「戦犯在所者の釈放等に関する決議」が提出されなんと社会党代議士の賛成弁論もあり全員一致で可決されたのです。
その後1955年7月19日の衆議院本会議で「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」がなされました。国民からも4千万もの署名が集まりました。
これを受けて戦争犯罪人の釈放要求が日本政府から提出され、関係諸国(11か国)の過半数の賛成を得て、1956年に収監されていたA級戦犯が全員釈放されました。(7人は絞首刑によりすでに他界)
このようにサンフランシスコ講和条約の第11条を忠実に解釈して、A級戦犯の名誉が回復されたのであります。対外的にも対内的にも正式な手続きを経て、A級戦犯なる存在は合法的に無くなったのであります。
よって、現段階で存在しないA級戦犯に言及する際は、「いわゆる」を付しているのです。「いわゆる」を付していない中日新聞の報道は、歴史的事実に不誠実と思います。
 
平成十七年十月十七日提出
質問第二一号
「戦犯」に対する認識と内閣総理大臣の靖国神社参拝に関する質問主意書
提出者 野田佳彦
 
3 昭和二十七年六月九日、参議院本会議において「戦犯在所者の釈放等に関する決議」、同年十二月九日、衆議院本会議において「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」がなされ、昭和二十八年八月三日、衆議院本会議においては「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が全会一致で可決され、昭和三十年には「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」がなされた。サンフランシスコ講和条約第十一条の手続きに基づき、関係十一カ国の同意のもと、「A級戦犯」は昭和三十一年に、「BC級戦犯」は昭和三十三年までに赦免され釈放された。刑罰が終了した時点で受刑者の罪は消滅するというのが近代法の理念である。赦免・釈放をもって「戦犯」の名誉は国際的にも回復されたとみなされるが、政府の見解はどうか。http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a163021.htm

堀 義人さんが阿部 鉄弥さんの投稿をシェアしました。
2013年12月29日 · 
A級戦犯は、1952年に4000万人の署名が集まり国会決議を経て赦免された。一方、国際的にも1956年に関係11ヶ国の同意を得て、A級戦犯は赦免されていた。今、靖国神社に合祀されているのは戦犯なのだろうか?

衆議院予算委員会第三分科会 -  
平成26年02月26日
 
○山田賢司自民党議員
ありがとうございます。
おっしゃったように、何人も、裁くためには、あらかじめ定められた法律によって適正に処罰されなければならない。東京裁判というのは、もう皆さん御承知のように、事後法によって裁かれた方々。これを、今さら判決を蒸し返そうということではありませんけれども、日本国政府の取り扱いとしては、これは刑務死ではなくて公務死、公務に殉じた人だったということを改めてここで確認しておきたいと思います。
そして、さらに、そういった経緯もあって、かつて、戦後、東京裁判の後、日本弁護士会を中心に、いわゆる戦犯の方々の赦免、釈放を求める署名活動、こういったことが行われて日本国で四千万人を超える署名を集めた、国会においても四度にわたってこの赦免、釈放という決議がなされた、こういった形で名誉が回復されたというふうに理解しております
にもかかわらず、亡くなられた方々をあくまで、あたかも極悪犯罪人であるかのように、A級戦犯だ、こいつらが戦争責任があるんだみたいなことを言っておとしめる方々がいらっしゃいます。
ここでちょっと確認したいんですけれども、死者の名誉に関して、刑法二百三十条の二項では、虚偽の事実を摘示して名誉を毀損した場合にも処罰の対象となる、こういう旨の規定がありますけれども、虚偽の事実を摘示して個々の英霊を犯罪者としておとしめるということは名誉毀損に該当すると考えますが、いかがでしょうか。

- 参 - 予算委員会 - 24号 
平成23年08月11日
 
○有村治子自民党議員
 私も今回のことを機に……(発言する者あり)味方の皆様、静かにしていただけると感謝します。大事なことです。
 私も今回のを機に改めて調査をして、正確さを期すために再確認をいたしました。終戦から四十年もたった昭和六十年、一九八五年、時の中曽根康弘総理の参拝からでした。
 実は、その前、いわゆるA級戦犯が合祀された後も、キリスト教徒でいられた大平正芳首相と、また鈴木善幸首相が閣僚十五名以上を連れて靖国神社に参拝されたとき、中国は抗議をしていません。つまり、中国は、終戦から四十年経過して初めて靖国問題を外交カードにしてきました。合祀されてから何年も何も言わなかった中国が突如A級戦犯を持ち出してくることは論理的一貫性がないという外交事実をここで共有させていただきます。
 GHQの占領政策が終わって主権を回復した当時の日本の人口は約八千六百万、うち四千万人とも言われる多数の国民が、戦犯とされた受刑者の即時釈放を求めて署名に走りました。日弁連、時の日本弁護士連合会も大々的に署名活動を展開し、それを受けて昭和三十年までに、戦犯の赦免、釈放等の働きかけを政府に求める国会決議が可決しました。そのうちの二本の決議は、衆議院で与野党全会一致で成立をしています。この衆参両院の意思を受けて、サンフランシスコ講和条約第十一条に基づき日本政府が連合国と交渉し、戦争犯罪受刑者を釈放し、彼らの名誉回復を図りました。
 これら戦争裁判受刑者は、講和条約に従って連合国の合意の下、主権を回復した日本政府から赦免、減刑をされ、もはや国内法上も犯罪者ではなくなったことを日本政府は度々答弁してきました。にもかかわらず、なぜ総理はA級戦犯のことを殊更蒸し返されるのでしょうか。これは、占領後、主権を回復した日本の国会の歴史を知らないという総理の無知なのか、それとも、この名誉を回復した二回の全会一致の決議があるという国会の歴史を分かった上であえて現実から目を背けようとする、言わば総理の確信的見解なのか、端的にお答えください。

特集
A級戦犯は既に免責されている
杉本幹夫(自由主義史観研究会理事)
 
中国はサンフランシスコ講和条約11条で東京裁判を認めたのだから、日本は彼らの罪を認め、靖国神社に合祀することを止めろと主張している。
しかし日本はこの11条で彼らが既に免責されていることを、もっと主張すべきである。その第2項には、その裁判を行った国の過半数の同意を得た場合は赦免できることになっている。日本はこの条項を受け、国会で何回も戦犯の免責を決議し、関係各国に働きかけ、A級戦犯は1956年3月末までに、B・C級戦犯は1958年5月末までに全員赦免、釈放を勝ち取ったのである。更にこの釈放により、刑死した方の遺族にも恩給が支給されることになったのである。
下記に昭和27年12月9日と昭和28年8月3日付けの衆議院本会議の決議を示す。
http://www.jiyuushikan.org/tokushu/tokushu_g_9.html

2004年12月1日(水)「しんぶん赤旗」
戦犯の名誉回復の国会決議って?
 
 〈問い〉 『文芸春秋』12月号の座談会で中西輝政氏が“昭和28年の国会で、戦犯の名誉回復が全会一致で決議された。A級戦犯の靖国合祀も基本的にはこの決議の延長線上にある”といっています。これは本当ですか? 日本共産党も賛成したのですか? (大阪・一読者)
 〈答え〉 サンフランシスコ平和条約調印のあと国会では戦争犯罪問題に関する論戦がさかんにおこなわれました。その特徴は、侵略戦争への反省はほとんどみられず、逆に戦争犯罪は、国内法による犯罪ではないから「前科」とはならない、戦争犯罪人は「国の犠牲者」「愛国者」であるといった論議でした。戦犯釈放要請決議も繰り返しおこなわれました。((1)52年6月9日、参院本会議(2)52年6月12日、衆院本会議(3)52年12月9日、衆院本会議(4)53年8月3日、衆院本会議(5)55年7月19日、衆院本会議)
 これらは、自由党、改進党、両派社会党共同提案といったように日本共産党と労農党を除き、社会党もふくめておこなわれました。
 こうした動きにたいして、日本共産党は、田中堯平衆院議員が、戦犯の「刑執行及び赦免等に関する法律」制定に反対する討論(52年4月14日衆院法務委員会)をおこなったのをはじめ、岩間正男議員が「戦犯在所者の釈放等に関する決議案」にたいする反対討論(52年6月9日参議院本会議)、高田富之議員が「戦争犯罪者の釈放等に関する決議案」にたいする反対討論(52年6月12日、衆院本会議)に、それぞれ立つなど、たたかいました。
 中西氏が言う「昭和28年(53年)」当時、日本共産党は国会の会派がありませんでした。ですから、このときの国会決議が全会一致といっても日本共産党はふくまれません。(衆院議員は一人で「小会派クラブ」に属しており、クラブの個々の議員の態度の記録はありません)
 日本共産党は、戦前から侵略戦争に命がけで反対し、戦後も戦犯政治をきびしく批判し主権者である国民が主人公となる民主政治を追求してきました。日本共産党はこうした党の歴史を誇りとしており、戦争犯罪者を免罪するような態度をとることはあり得ないことです。(喜)
 〔2004・12・1(水)〕
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-12-01/2004-12-01faq.html