国会会議録http://kokkai.ndl.go.jpで「粛々と」を検索すると、件数は

1940年代     0例(※47年5月~)
1950年代   10例
1960年代     8例
1970年代     9例
1980年代   58例(80~84年3例、85年4例、86年12例、87年6例、88年19例、89年14例)
1990年代  277例
2000年代  600例
2010年代  302例


このように「粛々と」は昭和末から使用数が急増し、平成に大流行している表現である。 
80年代前半あたりまでの用例は、本来の「静かに」「おごそかに」という聴覚的視覚的意味で用いられているものが多い。
- 衆 - 考査特別委員会 - 昭和25年04月03日
○上村証人 上村宗平 そしてまたその後帰還梯団がどんどん帰つて行くと、今帰還梯団は子供が花束をささげる、そのささげた花束が、これは反動のまわし者じやないかと言つて取つて捨てた者がある、しかしそのようにして国民の反感をかつてはいけない、だから今度はもつと静々粛々と帰還するようにというぐあいな何かが出ております。

- 衆 - 予算委員会 - 昭和26年02月07日
○井出委員 井出一太郎 ナポレオン戰役のあと、ベルリン大学の校外をフランスのラツパ部隊が粛々と進んで行つたそのとき、教室の中で哲学者フイヒテの講義を聞きつつあつた当時のドイツの青年は、おそらく歯を食いしばつて、このラツパ部隊の音にフイヒテの講義がかき消されようとしながらも、ノートのペンを休めなかつたというような事例を聞くのでございます。

- 衆 - 労働委員会 - 昭和27年05月22日
○柳澤委員 柳澤義男
先日来私はアメリカにおける労働争議の実情をつぶさに研究して参りました。アメリカにおいてストライキをやつている実情を見まして、私は驚嘆したのでありますが、大きなプラカードに要求を書いて、きわめて粛々と二列に並んで行進をしておる。

 - 衆 - 内閣委員会 - 昭和30年07月28日
○中村(高)委員 中村高一 芦田均氏は、委員長として本会議に登壇をするときに、特にモーニングに威儀を正しまして――ふだんモーニングなどを着込んで委員長報告をする人はありませんよ。それをモーニングに威儀を正してポケットに白いハンカチをのぞかせて、私はいまだによく記憶がありますが、そうして壇上に粛々として上って、明治憲法とおわかれをするのだ、ここに平和の憲法ができましたことは、欣快の至りにたえないといって、涙を流したことを忘れちゃいけないのですよ。


昭和末~平成初頭頃から、「決まり通り・規則通りに、決まった(方針の)通りに」という用法が目につくようになる。
- 参 - 補助金等に関する特別委… -  昭和60年04月24日
○中野明君 まず、今回のこの法案が大変当初の見通しよりもおくれて、地方の皆さん方に大変迷惑をかけているということになっておりますが、新聞報道なんかも法案がおくれている、国会審議がおくれたというようなニュアンスで報道されているわけですが、現実の問題として、国会の審議というのは私どもは決しておくれたとは思っておりません。正規に粛々と衆議院の方も参議院の方も審議をしているわけですから、あたかも国会審議がおくれたことによって地方公共団体に迷惑をかけているというような、そういう状況であるということは我々は甚だ心外でございます。

- 衆 - 予算委員会第一分科会 -  昭和61年03月06日
○田中(宏樹)政府委員 運動と基金の活動とは直には結びつかないと思います。中身をどういうようにされておるか存じませんが、私どもは粛々として政府の施策としての基金を創設したい、こう思っております。

 - 参 - 内閣委員会 -  昭和61年12月16日
○国務大臣(玉置和郎君) かねてから申し上げておりますように、タブー視されておるものというものは、先生御承知のとおり、これは農協の問題、そして農政全般の問題、米を含む、これが一つ。これにはもう既に監寮〔ママ〕が入っておりまして、事務的に粛々として進めております

- 衆 - 議院運営委員会 -  昭和62年03月05日
○石井(一)委員 石井一
公聴会の開会ということは、国民の持っておる尊厳なる権利であり、これは国会の政争の具に付すべき問題でなく、戦術的問題とはかけ離れて、国民に対して予算の審議の過程で公示しなければいかぬという義務が課せられておるわけでありますから、そういう手続のもとにこれが議運に持ち込まれた場合に、我々は整々粛々と国会法、先例等に従ってこれを決定する以外に方法はございません。

- 衆 - 農林水産委員会 -  昭和63年12月20日
○佐藤国務大臣 佐藤隆
各般の批判をいただきながら、御理解をいただきながら、その基本方向に基づいて農政は粛々として進められるべきものと心得ておる次第でございます。

- 衆 - 予算委員会 -  平成03年02月14日
○松永委員 松永光
幸いに、去年の十一月、この三党合意事項というのがあるわけでありまして、この中で、やはり国際緊急援助隊法の定める災害救助活動、こういったものもきちっとやらなければならぬということが合意されているように私は受けとめるわけでありますが、この三党の合意、覚書、これはまあ三党間の覚書ではありますけれども、やはり政府がある程度案を用意して、それに基づいて各党の合意を得る、そういった上で遅いなという批判が起こらぬように、平和回復後のもろもろの復旧活動や医療協力活動やあるいはまた海上汚染を除去する活動、これはてきぱきとやらなければならぬと思うのですね。その場合に、能率的に仕事のできるチームを編成することが一番大事なことですね。そういったことに手抜かりがないようにしなきゃならぬと思うのでありますが、その点について、まず三党の合意、覚書に基づく作業というものは粛々と進んでおるのじゃなかろうかと思うのでありますけれども、事務方どうですか、これは。じゃ、大臣よろしく。

- 衆 - 法務委員会 -  平成03年12月04日
○木島委員 木島日出夫 きょうはもう時間が全然ありませんから、この解釈論争をするつもりはさらさらないのですけれども、逮捕され勾留された、そして弁護人が保釈申請をした、裁判所が保釈を認めた、そしてこれから粛々と刑事裁判が進められていくわけですが、なぜそんな状況のときに行政手続が横から出てきて拘束しなければならないのですか。


「反対・異論などの声があるなかで粛々と」という文脈で用いられた初期の例は、昭和52年の原子力船「むつ」佐世保受入れ問題時である。ただこれはまだ「静かに」という本来の意味合いが強い。
- 衆 - 予算委員会第一分科会 -  昭和52年03月12日
○中村(重)分科員 中村重光 ・・・それから、県民感情は、率直に言って、安全と言うんだったら炉をつくった神戸の三菱重工でやったらいいじゃないか、あるいは船体をつくった東京でやればいいじゃないかとか、それが率直な感情ですから、それに対して長官はどのようにお考えになっていらっしゃるか。・・・
○宇野国務大臣 宇野宗佑 ・・・その次は、県民感情は製作した港でやれということだ、県民感情から申し上げればそうした御意見もあろうかと存じますが、何分にも原子力船でございますから、したがいまして、これはその手続に従って六十日以前に入港届を出さなくちゃなりませんし、特に政府が昨年の二月に長崎県にお願いしたばかりでございますから、お願いをしておきながら、いやあなたのところ都合悪いからこちらだというわけにもまいりませんし、手続上そう簡単に製作した港へ持っていくというふうなことはとうてい現状では考えられない次第でございます。
  強行入港もあり得るかというのでございますが、できましたらそういうことのないように私は考えたい。やはりお互い国民同士でございますから、何かこう敵と味方に分かれたようなすさまじい光景を展開しながらこの問題が解決するということは、果たして今後の原子力行政のためにプラスになるかどうであろうかということも、やはり為政者といたしましては考えていかなくちゃなりません。特に、福田総理大臣もそうした点におきましては、極力県民の方々の御理解を仰いで、粛粛と青森県から出て粛々と長崎県に入る、そういうふうな方途で科学技術庁長官は努力せよ、こういうふうな厳命も受けております。

- 衆 - 科学技術振興対策特別委… - 昭和52年03月16日
○宇野国務大臣 宇野宗佑 反対運動がこの間の日曜日にもあったということは、新聞あるいはまたテレビ等によって私も十分認識いたしております。それに対しまして、やはり十分認識を持っていただいている方々も多いということも私十分承知いたしております。したがいまして、そうした声をいろいろと検討しながら知事、市長は最終判断を下すだろうと思いますから、いま瀬崎さんもおっしゃったとおり、私自身といたしましても過般、各委員の御質問に対しましてお答えいたしておるのですが、青森県を整々粛々と出て、そして長崎県に整整粛々と入りたい、もうこの一言であります。

- 衆 - 決算委員会 -  昭和52年03月22日
○宇野国務大臣 宇野宗佑 ただ、せっかく受け入れていただくためには、やはり整々粛々入りたいものでございまするから、恐らく市長さんもまた知事さんも、県民の心を心として行政をなさっておるお方でございましょうから、そういうふうなお考え方の結論を出されるのではなかろうか。さすれば、そういう結論に対しましては、私みずから、もちろん政府みずからがその結論を尊重しなくちゃならない、こういう立場で臨んでおるところであります。


その後、昭和62年の三宅島NLP訓練場建設問題と、平成の長良川河口堰問題になると、「反対の声に影響されず方針通りに」という、もはや聴覚的視覚的意味合いからだいぶ離れた用法になっている。
- 参 - 予算委員会 -  昭和62年07月23日
○政府委員(友藤一隆君) 私どもとしましては、調査関係の工事につきましては、観測柱を立てる場所の土地の権利者からは使用の権限をいただいて、しかも自然公園内では所定の手続を経て平穏に実施をしたいということで考えておりまして、特に強行というような性格のものではないわけでございます。
○内藤功君 村長から各政党、国会あるいは政府筋に対して陳情書が七月二十一日付で出ています。・・・防衛庁にも行っていると思うのです。これを踏みにじることになりませんか。それでも工事をやりますか。強行すると言うのですか
○政府委員(友藤一隆君) 私どもは、先ほど来申し上げておりますように、自分の借りました土地の中で観測柱を立てて観測をしたいということでございますので、強行というのはいかがかと思うわけでございますし、・・・
○内藤功君 もう観光シーズンに入ったんですよ。ですから、強行するのかどうか。強行を断念されますか。
○政府委員(友藤一隆君) 私どもとしましては、平穏裏に粛々とやりたいというふうに考えております。

- 衆 - 内閣委員会 -  昭和62年08月20日
○友藤政府委員 友藤一隆 三宅島におきます艦載機着陸訓練場に関します事前調査を白紙撤回しないか、こういう御質問でございますが、私どもとしましては、空母の艦載機の着陸訓練の意義は、日米安保条約上も我が国の重要な責務でございますし、我が国自身の安全保障のため欠くことができないものだと考えております。・・・
 三宅島におきまして、現在、お尋ねのように、大変村民の方の反対が強いということは私どもも承知いたしておるわけでございますけれども、よく伺ってみますと、この反対のかなりの部分と申しますのがいろいろな憶測に基づく誤解が原因となっている部分が相当ございますし、私どもとしても我が国の安全保障上ぜひ必要だというようなこともございます。そういった国側の十分な説明を聞いていただいて設置については御判断をいただきたいということで、現在も村民の方々等につきまして説得を続けておるわけでございます。 設置につきましては、私どもとしては当該自治体あるいは地元の村民の方々、関係地方公共団体等々の御理解を得ながら進めていく必要があると考えておりますが、ただ、そのための事前のいろいろな準備とか調査につきましては、事務的に、候補地ということでもございますので、実際のデータ等をとる必要がございます。そういう観点から粛々と事務的に進めさせていただきたいということで開始をいたしたところでございます。・・・

- 衆 - 予算委員会 - 平成03年02月22日
○大塚国務大臣 大塚雄司 ・・・先ほど来申し上げておりますように、河口ぜきの建設を一時中止して再検討をしてはどうかというお声は一部にあるようでありますが、他方、愛知県、岐阜県、三重県の三県を初め沿川の地方公共団体や議会から強い促進決議も出されておるような状況でございます。この地域の抜本的な治水対策は、住民の長年の悲願であることでもございますし、環境保全に万全を期して、粛々と現在工事を進めている状況にあるわけであります。

- 参 - 予算委員会 -  平成03年04月04日
○竹村泰子君 初めに、長良川の問題について御質問申し上げたいと思います。
 お手元に資料をお配りしてございますけれども、昨年十一月十四日付朝日新聞の東海三県住民アンケートでは、建設中止と一時凍結が六八%、推進が一〇%にすぎず、十二月二十九日実施の長島町民アンケートでも、建設中止と一時凍結が六二%、推進が一四%、さらには河口ぜきができると危険になると答えた人が四一%にも達することを建設大臣は御存じでしょうか。御存じだとすれば、その地元の結果の数字をどうごらんになりますか。
○国務大臣(大塚雄司君) アンケートにつきましては、報道を通じて拝見をいたしました。
 率直に申し上げて、長良川の河口ぜきの問題には今日までいろいろな経過があるわけでありますが、建設省といたしましては、地域住民の生命、財産を守るという観点から決められた今日までの経過におきまして工事を現在進めている途上にございます。そして、その沿川の市町村あるいは議会も全議会が賛成でございまして、そのような過程で行われておりますが、環境を守ることも大変に大事だと。これも一つのアンケートの結果でありますから軽視するつもりはございませんけれども、工事は粛々と進めてまいりたいと思っております。
 
で現在に至ると。