まず記事
 「村山談話」閣議決定時は“異様な雰囲気”人民日報が多用する語句も 検証プロジェクト (2/2ページ)
2015.06.24
 和田氏は「村山談話の中には『疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し~』という部分がある。チームの一員である拓殖大学の藤岡信勝客員教授によると、この『疑うべくもない~』というフレーズは、人民日報が頻繁に使用しているという。どうして、これが入れられたのか…」と首をかしげる。

 確かに、ネット検索で「疑うべくもない」「人民日報」と入れると、「第二次世界大戦後の裁判結果は疑うべくもない」(人民網日本語版、2013年3月16日)、「忙しい仕事の合間を縫って旅行することは、生活における最高の癒しであることは疑うべくもない」(同、15年4月30日)などと、いくつも出てくる。人民網は、人民日報のニュースサイトである。

 真相を突き止めるため、和田氏は近く質問主意書を提出し、「疑うべくもない」というフレーズが、どういう経緯で挿入されたのかについて、政府に問うという。 (ジャーナリスト・安積明子)


次に戦前の用例
満州日日新聞 1918.6.29(大正7)
慈善と社会改良
愛国婦人会事務総長 久米金弥氏談

物価暴騰の今日に於て労働者の賃金がそれに比例して昂って居ることは事実であるがこれも軈て過去となり目下では物価騰貴に圧倒され気味である而して過去になった労働者の生活状態は昨今多降り気味となっているかかる有様であるから将来に於いては少くとも下層の生活に大打撃の来る事は疑うべくもないのである 

大阪毎日新聞 1918.7.30-1918.8.??(大正7)
出兵を提議せる米国の真意 (一~四)
法学博士 吉野作造

米国は元来露国の内政に関与するを欲せずと云う立場から、出兵には反対して居った。就中反過激派の諸勢力を助くることに依って露国の秩序を恢復せんとする計画には最も熱心に反対して居った。此事は既に世人の識る所である。米国が進んで過激派の思想並に行動に同情して居るものか否かは疑問であるとしても、少くとも今日の場合、人為的に過激派の勢力の圧倒を図る事は、露国多数人民の現在(少くとも)の希望に反すると認めて居った様に見ゆる。近時西電は荐に過激派勢力の減退を報ずと雖も、然しまた他方彼に取て代るだけの確な勢力が未だ現れて来ない事は疑うべくもない。して見れば、過激派の喜ばざる、否過激派圧倒を目的とする、若くは少くとも斯かる結果を伴うべき所謂出兵は、依然として米国の欲せざる所でなければならぬ。是れ従来彼が英仏を始め我日本などの希望に背き、断乎として出兵に同意するを肯ぜざりし所以であろう。 

大阪時事新報 1919.8.21-1919.8.25(大正8)
国民生活の危機 (一~五)
法学博士 小林丑三郎
 
要するに通貨の膨脹は必ずしも輸出貿易のみの関係ではないが仮りに皆其の関係より来るとするも兔に角通貨の膨脹は事実であって之が物価一般の呼値的騰貴に関する一般的直接的主因であることは疑うべくもない之を大勢と称して恰も通貨関係にあらざる如く瞞化し去らんとするは笑柄の一である

大阪毎日新聞 1929.10.7-1929.10.13(昭和4)
国際会議
太平洋問題調査会
本社顧問 新渡戸稲造博士

こういう風であるから寄り合う人もうっかりした言は口に出さない。もし出せば制限された小さな会合の席で参考に述べる位なことであって、多数人の集まる公会などでは述べることを憚る。ゆえに世間には如何なる議論が行われたか一々漏れまいが聞く者にとっては頗る参考になるから決議案などが無く簡単なる学説の如く聞えてもその有益なる点は疑うべくもない。 

満州日報 1933.1.1(昭和8)
満蒙経済の変革と大連港の将来
大連商工会議所会頭 高田友吉

関東州はわが唯一の租借地であって、満洲国唯一の国際貿易港であり、満洲国と同一経済圏内に置かるるものである、満洲国建設に伴う経済機構の変革は日満関係を更に緊密にし、その経済統制の具体化を見んとしている、而して近く通商条約の締結と共に関税の合理的改正を行うべく、之に関して満洲国は素より母国の当路においても研究を進め、日満商工業者も深甚に考慮せられつつあれば関東州における製産品に対しても従来の障壁が打破せられ、有効適切なる関税が実施せらるるに至るであろうことは疑うべくもない、今後における関東州の工業勃興は刮目するものがあると信ずる 

大阪朝日新聞 1936.3.25-1936.3.27(昭和11)
政府に望む農村対策
東大教授 那須皓

以上を要するに、我が農村振興のためには社会共同団体としての村の意義を共同経済活動その他により一層発揮せしめるとともに一国全体としてこれが統制をはからねばならぬ、この農村の協同組合化これに対応すべき都市産業の協同組合化を要望するものである、かかる形において都会と農村の経済的連繋が完成せらるるとき、道義立国の大義を脅かすべき階級的職業的、地域的利害の対立は緩和せられ、適当たる解決策が見出されるであろう、結局、現代社会は農村において革新と転機を迫られていることは疑うべくもないが、これを合法的漸進的の途によってなし遂げんとするのが我々の要望であり、また広田内閣に期待するところである。(おわり) 

大阪毎日新聞 1939.1.17-1939.1.19(昭和14)
東亜の資源 (上)
企画院調査官陸軍歩兵大佐 池田純久
国防経済に寄与 満支の鉄、石炭、工業塩
 
抑々我帝国は第十九世紀以来鋭意努力の結晶が現在の隆盛を招来したのであって今日疑うべくもなき東亜の安定勢力となった。欧米の飽くなき東亜に対する欲求を抑制し或は世界赤化の障壁として多くの犠牲を払えるは帝国を除いて他に如何なる民族が存在するであろうか。いわば帝国は東亜の守護神である。帝国を除いて東亜を護るものはない。

初島紀行
與謝野晶子

 正月六日朝早く千人風呂に入はひつて、その硝子窓から伊豆の沖の美くしい日の出を見ました。今日の快晴は疑ふべくも無い

徳田秋声「闇の花」
 すると其時、それこそ夢にも思ひがけなかったことであったが、観音堂の後にそゝり立ってゐる岩の凸凹した山をおりて来る、色の浅黒い目のぎろりとした男が一人あった。彼も質素な白地を着て、黝ずんだ麦稈帽を阿弥陀に冠ってゐたが、ふと見ると、それが疑ふべくもない米山庸太郎であった。

金聖歎
幸田露伴

元來水滸傳が面白いものにせよ、百二十囘では餘り長過ぎて、讀者も些し倦きもすれば、出版者も手間や資金がかゝり過ぎる傾がある。そこで七十囘位にすると丁度商賣上商品として頃合のものになるのである。物の行はれる行はれぬといふことには、其物の眞價からのみでは無くて、世間に向く頃合といふことが大切な條件の一になつてゐることは言ふまでも無い。其の大切な「頃合」といふことから、七十囘本が歡迎されたことは疑ふべくも無い
http://www003.upp.so-net.ne.jp/haoyi/guanhua/jst/data/kinseitan.htm