白石村分遣隊辛庄付近の戦斗概要
(昭和十五年十二月二十五日 自一〇、〇〇 至一七、三〇)

一 戦斗前に於ける彼我形勢の概要
・・・長谷軍曹は敵情を報告に来りし村民の態度其の他より考察し必ずや敵は我を誘致して掩撃せんと企図しあるものと判断し捷路たる峪地道を避け制高地点たる辛庄村北川高地より該敵を攻撃すべく決意し且其の近接を容易ならしむる為全員便衣を著し先ず稜線に沿ふて白石村東側A高地に向ひ前進を開始す 

七 将来の為の参考事項
5 全員便衣を著したるが為敵をして誤認せしめ最初の攻撃に於て敵の意表に出でたるも爾後村落内に突入したる際後方の射撃部隊は彼我の識別困難にして為に射撃の好機を逸したることあり

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レファレンスコードC11111496300(2・3・8・10枚目)
独立歩兵第6大隊第1中隊戦闘詳報 昭和15年12月25日
便衣1便衣2

昭和十八年九月二十日
討伐粛正戦例集 第一輯
河野兵団

便衣隊を以て敵蠢動地を攻撃し効果を収めたる例
歩兵第二十連隊第三大隊
四元中尉以下三十一名

一、戦闘前の情況
「フアブリカ」警備隊四元中尉は「ゲリラ」戦を以て我に抵抗しある敵兵匪を積極果敢に討伐しありしが昭和十七年十二月十日「ビト」(「フアブリカ」東方約三十粁)付近に約二百の敵兵匪ありとの土民の報告を受領せり

二、戦闘経過の概要
土民の報告に接するや直ちに之を攻撃するに決し全員便衣を着服して同日出発す
戦闘経過概要別紙要図の如し

三、教訓
1、便衣を着用して敵を欺瞞し至近距離迄近接攻撃せば効果あり

四、当時の便衣の装着要領
1、便衣は住民より借用す
2、襦袢の上に雑嚢水筒帯革を装着し其の上に便衣を着用して装具を隠匿し巻脚絆を用ひず鉄帽には各種住民の帽を縛着偽装す
3、銃は砂糖袋其の他布片等にて覆ひ提銃とし或は荷物の如くして担ふ

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レファレンスコードC13071678600(22・23枚目)
第11独立守備隊 比島討伐に関する書類其2 昭和18年
便衣3便衣4

昭和十六年十二月陣中日誌
十二月一日 小雨 南岡
一、〇六三〇昨十一月三〇日作命甲第三二号に基き横島中尉以下二八名便衣を着用し鐘萬常の部下一味の検索に出発す

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レファレンスコードC13071146900(1枚目)
輜重兵第51連隊陣中日誌 昭和16年12月1日~16年12月31日
便衣5

桑木兵団 密偵捕獲隊利用の経験
新美部隊本部

匪情の収集と査覈に就て
  敵匪は皇軍屡時の大討伐に依り、今や巧に便衣又は極度の分散配置をとるに至れり。之を偵知確認し、奇襲以て殲滅せんことは刻下の急務たり。之が為、各種工作に依る外、密偵捕獲隊(軍自らの変装偵知)に依り敵匪の地下工作破、壊〔「、」の位置ママ〕密偵の捕獲、民衆の思想動向偵知等に努むるは将来粛清作戦上の喫緊事たり。

密偵捕獲隊の編成装備
召集前警察事務に関係ありし兵、または剛胆にして機智に富む兵を選抜し、之に県警察保衛団を利用す。
新美部隊本部に於て編成せる密偵捕獲隊の一例左の如し。
左記
班長亀(?)尾曹長
日本軍一 保衛団二
  〃 一   〃 二
  〃 一   〃 二
各人便衣を着用し拳銃各一携行時に自転車使用

捕獲法並に行動の概要
8 行動の一例
イ 西紋村
  自分等は第三区公所のものだが、一寸相談が有るから、同志の所へ案内してくれと告げ、之と同行学校に於て会議中を急襲し捕虜三(遊撃隊員一、連絡員一、農民一)。

ロ 大陳村
  匪軍地帯の市日道路の途中に於て、商人と同行し、使用人の風を装ひ、一組宛付添、敵より誰何せられ敵匪たることを偵知して捕獲せんとせし所、逃走せるに依り二名を射殺す。鹵獲品拳銃一。

ハ 韓(?)家荘
  自転車通行者が連絡せし疑ひありたるを以て、二組を殊更日本軍の便衣たることを良く解らしめ、一組を以て状況捜索の風を装ひ、匪軍の証明書を示し、土民を安心せしめ自衛団長の所に案内せしむ。
  会議中の抗日会員八名を捕ふ。

ニ 東建陽
  密偵報に依り、各村共に村落通路外に歩哨を立てある事を承知す。歩哨に同志は昨夜お前の村に宿った筈だから案内して呉れと告げ、該歩哨の案内に依り抗日自衛団本部を襲ひ捕虜二、洋砲二。

ホ 牛村
  捕虜を調査せる所、其自白に依り該村に連絡員あることを知り、援護隊の応援を得て、夜間密かに土塀を乗越へ家屋に侵入、就寝中を襲ひ之を捕ふ捕虜二。

へ 大深河
  農民の密告に依り遊撃隊員たることを知り、拳銃を擬して之を包囲捕獲す。
  捕虜一、拳銃一。

ト 清風村
  掩護部隊より二粁程先行、主要道路の側方に潜伏部隊の来着に依り、警戒中の敵便衣歩哨報告の為通過せるを捕獲す。
  捕虜六、拳銃一。

チ 安家荘
  掩護部隊より二粁行程先行、敵の連絡員たることを装ひ、日本軍が呂家荘を攻撃するから、同志は直ちに聖仏頭方向に集合せよと命じ、自転車にて先行途中に潜伏射殺一、捕虜二、拳銃一。

リ ●白土
  河北民軍遊撃第一支隊参謀婚礼の為、部下数名を率ひ●白土に潜入中なりとの密告に依り、掩護隊十名と協力、折柄の大風雨を冒し、婚礼中を奇襲し、其の部下二名を逮捕拳銃一を鹵獲せり。

其の他
1 敵中深く侵入し、捕獲し得ざる場合射殺するは、最も拙劣なる方法にして、之が為敵の重囲(?)に陥ること有る可きを以て、予め絞殺法を教育し置くこと肝要なり。
2 敵中離脱に際しては、組の掌握に充分注意を払ふを要す。時に日本兵のみ匪に●●さるゝことあり。
3 民衆動向偵知の件に関しては「方軍特情第七十一号」記載事項と大同小異なるを以て略す。

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レファレンスコードC11110490500(1枚目)
治安工作経験蒐録 昭和14年6月 中旬

一三師作命甲第一二六一号に基く指示
企図の秘匿に関する注意事項

三、河岸偵察は凡て便衣を着用するものとす

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レファレンスコードC13070555600(1枚目)
歩兵第65連隊江南殲滅作戦 戦闘詳報 (第45号) 2/2 昭和18年5月6日~18年6月25日
便衣6

「軍事極秘」印
警備会報 八月四日

一、軍隊が直接比島側政務機関に軍政上支障を来すが如き各種交渉をなすべからず 
之等交渉は順序を経て師団を通じ以て軍政部機関と連絡の上相互の業務遂行に支障を来すが如き事なき様注意するを要す
但し民心は悪、情報蒐集等今迄の施策には何等変更を来すものにあらず

三、便衣を濫用すべからず
特別攻撃隊追撃隊等にして任務終了後尚便衣を着用し甚だしきは頭髪を長くせるものあり斯の如きは軍紀の破壊者にして軍隊の惰〔ママ〕落なり
幹部たる者は厳に監督すべし

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レファレンスコードC13071869700(2枚目)
左警備隊.警備日報.会報綴 昭和17年10月~18年11月
便衣7

自十一月一日 
至十二月三十一日
「レイテ」「サマール」地区への転進並粛正討伐
第一次「レイテ」「サマール」島師団統一討伐
第二大隊

前述の如く大隊が新年早々敢行せんとする統一大討伐の為敵情地形の偵察を命ぜられたる小倉将校斥候一同(全員便衣にして拳銃携行)は其の任務の重大なるを肝に銘じ成功を期しつゝ勇躍出動命の如く先づ「ヒトムノグ」を経て「ロビ」山麓敵中に敢然挺身せり

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レファレンスコードC13071554200(1枚目)※表紙 C13071554800(9枚目)
歩兵第20連隊 第2大隊戦闘詳報 昭和18年7月1日~18年12月31日

極秘
支那事変情報記録第一六四号付録
昭和十四年七月十二日 関東軍参謀部複写
便衣利用上の参考

便衣利用上の参考
北支篠塚部隊に於て便衣の斥候を派遣し八路軍の密偵なりと詐称し土民より有利なる資料を蒐集し或は敵密偵を捕獲しつつあり。左に同隊の報告を抄録す。
(以下略)

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レファレンスコードC11110697300
支那事変教訓 昭和13年10月~14年9月

「軍事極秘」印
警備会報 一月三十日

二、変装隊の編成及警察隊の利用、討伐に際する急襲奇襲に加ふるに変装隊の活用は相当の効果ありと認む。之に要する被服は経理室にて又拳銃等は師団兵器部にて準備する筈に付予め連絡せられ度し。警察隊は地形地理民情に精通情報蒐集には有利なる場合多し。但し之が指導は憲兵隊のみ之をなし得。警備隊には直接之が指導権なきに付注意相成度。

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レファレンスコードC13071868700(1枚目)
左警備隊.警備日報.会報綴 昭和17年10月~18年11月

「軍事極秘」印
警備会報 二月六日

一、軍紀、風紀、内務及教育につきて
(略)
二、討伐並に情報の収集につきて
3、変装隊は可なるも敵も又之に慣れ包囲等の策に出づる場合あるやも知れず故に之を要する場合には後方に一部を踉随し之に応じ得る如く準備するを要す
奇襲する場合等は大いに利用して可なるも昼間的に察知さるゝこと明瞭なる場合は避くるを要す之軍紀風紀上よりも必要なり
又爾今変装隊を特別攻撃隊と称する如く師団に於て定められたり

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レファレンスコードC13071868900(4枚目)
左警備隊.警備日報.会報綴 昭和17年10月~18年11月

匪首捕獲の参考其の一
(「ナカール」中佐討伐)

一、部署(?)上の参考
2 密偵報(密告)等により挺進して検索を要する場合は特に土民服等を着用し変装せしむるの著意を要す

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レファレンスコードC14020723500(2枚目)
匪首捕獲の参考 S17.12.25

「ナカール」中佐捕獲経過概要
昭和十七年十二月二十日
高野兵団司令部調製

「ナカール」討伐捕獲計画
第一、方針
第二、要領
四、一部兵力を最も速かに北部「プゴ」付近に変装潜入せしむると共に「テチピオ」及其の南方「デイヅヨン」川河谷を占領し・・・
 
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レファレンスコードC14020725100(3枚目)
匪首捕獲の参考 S17.12.25

(二)第一回「ラコマ」小隊掃蕩戦闘
1、戦闘前の彼我態勢の概要
2 彼我兵力
イ、敵兵力 「ラコマ」少尉及護衛兵 約十名
ロ、我兵力
    本部情報班 将校以下 四名
    第六中隊森井少尉以下約一分隊 十八名
    通訳 三名
    比人密偵 一名
3 各時期に於ける戦闘経過
イ、八月九日二〇、〇〇土民に変装せる討伐隊は先づ「ラコマ」少尉に糧秣を補給しありとの情報ある「バリアドリツド」付近の土民を検索するに・・・

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レファレンスコードC13071509300(1枚目)
歩兵第9連隊第3大隊 比島全島粛正討伐戦闘詳報 昭和18年7月1日~18年12月31日

四 「ナガ」町西南方付近の戦闘
1、戦斗前に於ける彼我態勢の概要
イ 「ショック」中尉逮捕に依り土民に化せる敵及兵器所有者判明し「ナガ」西南方付近に敵匪秋毫しあるを探知す
ロ 大隊長は二十五日一六〇〇別紙福作命第三大号を下達し本部情報班及伝令をして之を奇襲せしむ
2、彼我兵力
イ 敵兵力 「ショック」中隊の敗残匪約二〇
ロ 我兵力
    本部情報班 村尾少尉以下四名
    伝令 四名
    通訳 一名
    比人密偵 三名
3 各時機に於ける戦斗行動
イ 討伐隊は土民に変装一九〇〇より「テイナアン」(「ナガ」南方一粁)に集合し二〇〇〇比人密偵の案内に依り出発す。途中土民に察知せらるることなく・・・

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レファレンスコードC13071508700(1枚目)
歩兵第9連隊第3大隊 比島全島粛正討伐戦闘詳報 昭和18年7月1日~18年12月31日

鎌報第二二号
情報研究問題解答送付に関する件
●●●九年四月四日 ラグナ地区警備隊長
垣第六五五〇部隊参謀長殿
首題の件に関し別紙の如く回答す

第一、主要匪首特に地下組織的匪団に関する情報収集要項
一、重点的匪情蒐集(別紙第二)
①密偵の使用
➁潜伏斥候
重点方面に対し将校及び下士官を長とする約十名の斥候を変装潜伏せしめ直接に匪団員特に之が諜報連絡員の獲得に努め之に依りて芋蔓的検索討伐を実施す。・・・

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レファレンスコードC13071634100(2枚目)
歩兵第33連隊 (鎌田隊)発翰綴 昭和19年1月4日~19年10月11日

昭和十九年六月
河野兵団ボホール島統一討伐 揚陸作業計画
船舶工兵第一野戦補充隊

第一 方針
部隊は企図を秘匿し小型輸送船及発動艇の海上機動に依り満潮時を利用し一挙に奇襲敵前上陸を敢行し迅速なる揚陸完了に努む
第五 上陸点の偵察及誘導
大久保、小茂田及伊藤隊の上陸点は企図を秘匿し上陸点の事前偵察を行ふ
本事前偵察は漁船を使用し偵察将校は変装上陸の為海上輸送開始前々日迄に終了するものとし・・・

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レファレンスコードC13071466500(4枚目)
独立混成第33旅団 作命綴 昭和19年

別冊第一
便衣を着用し集市を奇襲八路匪十名捕獲に成功したる戦訓

岩下隊渡邊隊に於ては昭和十九年十一月十二日山東省新泰県平子庄の集市を便衣着用農民商人に変装敵の虚を衝き該集市に潜入しありたる魯中軍区匪蒙陰県独立営龍延区中隊指導員楊守先以下十名を捕獲拳銃三挺を齒獲せり

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レファレンスコードC13032084800
北支那特別警備隊第7警備大隊 第2期作戦戦闘詳報 昭和19年6月10日~20年1月4日

八、齟齬過失将来の参考となるべき事項
(一)齟齬加湿
(二)将来の参考となるべき事項
2、小数兵力に分散便衣化せる謀略的行動は敵及農民を欺罔し得多く成功せるも昼間制服を着用せる単一の行動は一般に失敗せり。農民は之を遠望し我方行進方向部落に逓伝し敵を躱避せしむ。

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レファレンスコードC13032077800(2枚目)
北支那特別警備隊第3警備大隊 第4中隊戦闘詳報 昭和18年9月20日~19年6月9日

特警三大四作命第三号
第四中隊命令 十月二十七日 一〇、〇〇 於天津

五、第四小隊長は下士官(便衣兵(制服)各一を二十八日二十一時迄に本部に差出し本山大尉の指揮を受けしむべし
六、第一小隊長は下士官(便衣兵(制服)二を二十九日唐山到着と同時に原田見習士官の下に差出し其の指揮を受けしむべし

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レファレンスコードC13032076800(5・6枚目)
北支那特別警備隊第3警備大隊 第4中隊戦闘詳報 昭和18年9月20日~19年6月9日

六、行軍間小隊長は敵歩哨戦突破を次の如く考案し之を実行するに決す
即ち兵二名をして便衣を着せしめ銃剣及拳銃を携行せしめ彼等の親交ある土民二名を合し警戒斥候の前方二百米を進め敵歩哨の問査に対し土民をして「昼忘れ物をしたから帰って来た」と云はしめて逐次近接し銃剣を揮て敵歩哨を倒し以て之を通過せんとし決死の二名を募集せしに小隊全員之に志願して肯ぜず。依て之を指名するに定め一等兵山下準作、二等兵神納鎌一の二名を選抜し直ちに〔ママ〕と替へ顔に泥を塗り全く土民と一致し識別不可能なりき。依て相言葉を定む。
此の地に於て通訳を利用し三回歩哨線突破の要領を練習し二名の成功を祈願し今世の惜別の辞を交し水杯を以て其の壮途を祝福す。一同感涙極に達し其の景悲壮たり。

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レファレンスコードC14030282300(17枚目~)
歩兵第18連隊第3中隊第2小隊 黒金河西方山中戦闘詳報 昭10.5.25

軍事機密
独歩Ⅲ第一中隊戦詳第一号 13部の内第3号
自昭和二十年五月二十二日 至昭和二十年五月二十三日
王家荘付近戦闘詳報
独立歩兵第三大隊第一中隊

第四 各時期に於ける行動戦斗経過の概要
(一)優秀なる兵を以て便衣を着し下士官を長とする便衣分隊(四名宛二組と各組に警察隊五名を付す)と一般小隊を編制し二十三時三十分
左記命令を下達し出発す
中隊命令 二十二日二十三時三十分 西合営

一 蔚陽支隊第二大隊及第六区遊撃隊約六十は栢樹村に潜在しある如し
二 中隊は今夜半栢樹村を奇襲此の敵を撃滅せんとす
三 便衣分隊は警察隊十名を併せ指揮し尖兵となり本隊の前方五百米を情報蒐集しつゝ牛大人荘王家荘を経て栢樹村に向ひ前進すべし
四 余は大橋小隊の先頭を前進す
中隊長 赤坂中尉
下達法 口達

(三)二十三日二時十分情報入手民兵捕獲の為便衣分隊を王家荘南堡に派遣し大橋小隊を以て永寧寨栢樹村方向に対し警戒せしむ
(四)便衣分隊は直ちに南堡城門に至るや歩哨らしき者上方に透視し得。第一組を以て東側より土壁を登攀之を奇襲し立哨中の敵側民兵一名を捕獲し第一組を城門警戒第二組を以て民兵を連行せしめ取調べたるに南堡南側家屋に第六区遊撃隊八名宿営しあること白状し宿営状況細部に付聴取す
(五)中隊長は直ちに遊撃隊殲滅に決し主力を部落東南側に近迫左記命令を下達す

中隊命令 五月二十三日二時四十分 王家荘南堡東南側
一 敵第六区遊撃隊は南側家屋に宿営しあり
二 中隊は部落を包囲し敵を撃滅せんとす
三 便衣分隊は民兵を連行し家屋に突入すべし
四 大橋小隊は敵脱逸を防止すると共に永寧寨栢樹村方向に対し警戒すべし
五 余は部落中央家屋上に前進す
中隊長 赤坂中尉
下達法分隊長以上を集め口達

(六)便衣分隊は逐次家屋に迫り大橋小隊は穏〔ママ〕密に警戒配備に付く(付図其の一)
(七)便衣分隊は敵宿営家屋に迫り便衣分隊長は第二組を屋上組と為し人梯により屋上に進出せしめ第一組を二名宛となし家屋内両側家屋に突入を命ず
(八)突入組は一挙に突入右家屋に突入したる寺岡兵長は敵就寝中なるを察知し壁に掛けありたる小銃四を分捕り家屋外にありたる他の一名は機を失せず家屋内に手榴弾を投擲す
左家屋に突入したる前田軍曹以下二名は敵手榴弾投擲姿勢にありたるを以て機先を制し手榴弾を家屋内に投擲し敵隊長以下三名即死せしむ。間を入れず敵は手榴弾小銃を両側家屋より投擲射撃し来り我に抵抗す。突入組は一時表門付近に損害を避く
(九)屋上組は手榴弾を一斉に家屋内に投擲し之を制圧 敵手榴弾止むと同時に突入組は再度左右家屋に突入し之を捕獲す
(十)直に家屋内を掃蕩す時に三時五十分なり

第六 将来の参考となるべき事項
(一)今次成功の因は便衣分隊の勇敢機敏なる挺進奇襲に依る。組編成は果敢周密なる組長組員の選定に留意し編成せば有利なり。

付表第一
王家荘付近戦斗詳報 赤坂隊編成表
便衣分隊
第一組
長 軍 前田善一
   長 平野正夫
   上 大木清
   一 下村光治

第二組
長 長 寺岡調治
   長 黒田真男
   上 井上仁義
   一 本谷登

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独立混成第2旅団新配備移行作戦 戦闘詳報 昭和20年5月18日~20年6月7日

無血渡河の蔭に変装の偵察隊
歩四七 RiA 歩兵上等兵 三重野正男

六月三日私共観測班は高木部隊長殿各中隊長殿と共に敵陣地偵察のため午前八時集結地を出発しました。
道の二粁も進むと漢水の堤防が見え始めて砲隊鏡を背負った背中は汗でビッショリなって来ました。
午前十一時頃目的地に到着して見ると三十九師団の兵隊が一ケ分隊位で警備して対岸の敵陣地は良く判ります。
昼食を済せると河岸偵察のため部隊長殿以下便衣に着替へ変装が終ると各自目的地店に向って出発しました。
先づ高木部隊長殿が百姓に変装して歩き出されましたが姿は百姓にソックリでも歩き方が活溌な様です。次は四中隊の三ヶ尻少尉殿大きな鍬を担ついで後を振り返って笑ったかと思ふと農民の引いて行く牛車の後に続かれました。
次の一中隊長殿のバッチョロ傘は良く似合ってゐますが服が短くて軍靴がまる出しです。
連隊砲の志賀少尉殿が大きな鎌を片手にボツボツ歩き出されると最後に観測班長の今津軍曹殿が大きな籠に測遠機を入れて棒を杖につきながら悠々と歩き出されました。
皆それぞれの変装に私共は思はず吹き出すと高木部隊長殿はもう姿を消して居られました。
此の様な部隊長以下の決死の変装偵察に依って敵が命の綱と頼む漢水の線を見事に突破したのです。作戦の裏にひそむ隊長殿の労苦を思ふと只感激に胸が迫って来ます。

奉祝記念
紀元二千六百年
不許複製
第六師団転戦実話
第三次警備 宜昌作戦 篇

限定 壱百弐拾部中 
第 号

昭和十五年十一月三日 
於中支
町尻部隊本部
戦史編纂班

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C11112113100(27枚目)
第6師団転戦実話 宜昌篇 2/2

「軍事極秘」印
謀略遊撃戦の一例
昭和十九年二月十五日
渡集団司令部 

共産匪等の行動活発なるのみならず民衆武装の組織十分且その活動活溌にして諜者及僅少兵力の行動至難なる状況下に於ては偵諜網の構成は困難なり該困難性に眩惑しつつあるときは主力を以てする偵諜開始を速かならしむることは望むべくもあらず
各中、小隊は果敢なる積極主動性を発揮し斬新卓抜なる創意の下に謀略遊撃戦を徹底的に展開し以て武装匪等をして回避遁竄せしめ民衆武装を破摧し部落民に対する威力宣伝の効果を獲得しつつ迅速に偵諜拠点を構成し整々たる秘密戦を指導するを要す

◎謀略遊撃戦の概念
秘匿 徹底せる集団変装及偽装行動に努む(3枚目)

戦闘指導要領
戦闘方式の一端
敵の最も希望しある糧穀を満載したるカロマタ、水牛車等の縦列に我が部隊を偽装し顕はに行動し敵をして之を奪取する為襲撃せしめ至近距離に敵を誘致し瓦斯戦、手榴弾戦に依り反撃奇襲し敵を捕獲す(5枚目)

第二
全員変装しあるものとす
偽装分散展開す(9枚目)

第三
台車に依る集団偽装を以て前進す(11枚目)

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第14軍関係情報資料綴 昭和19年
 
  隊長は声を張り上げ命令を伝える。「我が中隊はこれより河北省中部に展開せる第十二軍の通信網構成のため、中隊一丸となり作戦に参加する旨下令あり。出動は夜明けとす。また一部の小隊は便衣にて行動する」と。
  編成は直ちに発表され、俺は第一小隊に所属、被服係より作戦服を受領する。それは黒い支那服で便衣隊である。翌朝の〇四〇〇、営庭に集合。 我が第一小隊は小隊長品田少尉以下四十五人である。全員支給された便衣を着用、武器は捕獲品のチェコ軽機一、騎兵銃と弾薬六十発、手榴弾三個のみで、通信機は一台と甚だお寒い整備である。また友軍からの誤射を避けるため目印の小旗が山崎軍曹に手渡された。(17頁)
  ・・・気が付くと歩兵の連中が物珍しげに集まり、ワイワイがやがや、我々の便衣のためだ。やがて小隊長、分隊長が帰り、また行軍開始である。ある部落を通過中に中年の支那人に声を掛けられ、黙っていると、今度は流暢な日本語が追いかけてくる。聞けば早稲田の文科出身で、この村の村長だとか。早く戦争が終われば日本へ行きたいともらしていた。
  数時間後、通信網を構成し、クリークの土手で小休止中、友軍の重機の射撃を浴び、一瞬もう駄目かと思った。分隊長が慌てて合図の小旗を振り事なきを得たが危なかった。河北の山中で支那服のまま友軍に撃たれ死んだでは死んでも死に切れないなあー、と皆で大笑いをする。数時間後便衣から正規の軍服に着替えて日本軍に戻った。(19頁)高橋
https://www.heiwakinen.go.jp/shiryokan/heiwa/17onketsu/O_17_014_1.pdf

 第二大隊長(皆塚大隊長戦死の後任)に永田達夫少佐が大隊長となる。今までの作戦と違い一個大隊全員が便衣に服装を変え、中国兵のように弾帯も肩から掛け、軍靴ではなくわらじを作って履き、食器も腰にぶら下げるなど中国兵に偽装して敵地奥深く侵入するのである。・・・
 ここは第十中隊の警備地で、治安関係も良く、我が第二大隊の服装を見るなり唖然として見ている。衣服は便衣の服装で弾帯と米袋を肩にあやに掛け、竹筒を腰に下げて銃は思いおもいに担ぎ、どう見ても日本の兵隊とは思われない姿であった。第十中隊の連中は敵が来たのかと思いびっくりしたそうだ。(309頁)今野https://www.heiwakinen.go.jp/shiryokan/heiwa/12onketsu/O_12_301_1.pdf

 南部粤漢線打通作戦について。この作戦は、まさに忍者の作戦であった。
 支那のおわん型の帽子や百姓の編笠をかぶった男たちが、みんな同じ様に黒か濃紺色の垢汚れた貧しい農民の衣服をまとっている。野盗か、それとも山賊の一群か。黒装束の縦隊、まるで隠密の忍者行進だ
 闇夜の中でよく見ると、百姓姿の木綿着の襟もとから赤い襟章に小さな黄色の星型、短いズボンの裾下には締め付けられた巻脚絆。それは、紛れもない日本陸軍の軍装だった。軍靴の底には、ひとまわり大きい草鞋をはきかぶせ、ボロ布で巻き込んだ小銃は横かつぎ、その両端に装具をくくりつけて天びん棒の荷物のように見せかけ、重機関銃の銃身や部品も各個に分解し布包みに背負っている
 ここ支那大陸の西南方の奥地。正確な地図面でいえば、江西、湖南の二省の南端と華南地域の広東、広西両省の北東部が複雑に交差して省境を界するけわしい山岳地帯、俗に老山界と呼ばれる僻遠の地である。
 遠くヒマラヤ山系から雲南・貴州の両省を越え、うねりくる尾根は、大庚嶺、越城嶺、都廰嶺、廰子嶺、騎田嶺に分かれ、それぞれ標高一五〇〇メートル級の山系が波立ち五嶺山脈と呼ばれ、その五嶺のうちの大庚嶺。すぐ目の前には老山という垂直の鋭い岩山が望め、山頂付近には少数民族の苗族が集落をつくり住んでいるという。
 昭和二十年一月三日。時刻は間もなく四日の零時を迎えようとしていた。支那大陸も南方の冬季はしのぎやすいというが、深夜の冷気はさすが身にしみる。小石まじりの間道を一群が通り過ぎると、また別の黒装束の一隊が続く。軍勢およそ四五〇人余。
 行軍中の個人の私語会話さえ禁じられた無言の暗夜行進。隊列の先頭は保田軍曹と藤田伍長の指揮する情報分隊と台湾出身の通訳、それに戦場慣れして多少の支那語が話せる古参兵らが歩き、「走(振り仮名ツオー)!(進め)」「休止(振り仮名シュウシ)!(止まれ)」行軍中も支那軍隊の号令で行動する。(333・334頁)高橋
https://www.heiwakinen.go.jp/shiryokan/heiwa/10onketsu/O_10_326_1.pdf
 
 昭和二十年二月になると警備地区交代のため広水を出発、応山着、付近の警備に就きました。・・・
当時第十一旅団は第三十四軍に属し、第三十九師団(藤)の後衛として参加していました。そのころ大隊の中に一個小隊の挺身隊があり、黒い民服と、布靴着用で支那軍に変装し、銃を逆にかつぎ敵中に紛れ込んでゲリラ活動をやっていました。二ヵ月間の作戦ですが裏作戦だけに世に知られていません。(274頁)朝倉
https://www.heiwakinen.go.jp/shiryokan/heiwa/09onketsu/O_09_271_1.pdf

作戦に出てしばらくすると軍服や編上靴に穴があいても補充がない。兵隊は皆、現地人の服や木綿靴を使用し、シラミやマラリアも苦にならなくなってきました。(231頁)清水・中国

小雪が降りかかってくる。十二月というの十二月というのに第一線の我々の服装は上から下までまだ夏物でありました。これは想像つかないでしょう。中には寒さ凌ぎに土民の綿着をかぶっているのも見えました。(59頁)加藤・中国

我々の服装も便衣で中国人に化ける、敵の目をくらますため、隊長以下便衣で、大体一個小隊単位で行く。両軍共にゲリラ戦、こちらも敵も同様だった。(354・355頁)小栗
https://www.heiwakinen.go.jp/shiryokan/heiwa/05onketsu/O_05_352_1.pdf

小出撃命令
 九月中旬、この分遣隊に着任した直後、旅団命令として「各警備隊は向こう一カ月の間、付近の敵を求めて極力出撃を敢行せよ」との電報を受ける。敵は各警備隊の間隙を縫い、共産地区の拡張を狙い、宣撫徴税を反覆しつつあり、その敵の企図撃破するための命令であった。さりとてこの寡少配備の中から出撃のため抽出可能な兵力は日本兵七〜八名、警察隊二〇名、装備は軽機一、擲弾筒二、弾薬手は警察隊をもって充てる。これが抽出力で戦力は二分の一小隊程度か。出撃可能の距離は一〇キロ以内で、正午頃には帰営出来る距離とし、服装は、脱出反転の際を考え全員便衣、地下足袋と定める。(76頁)井上https://www.heiwakinen.go.jp/shiryokan/heiwa/04onketsu/O_04_071_1.pdf

 我々の毎日の勤務は、粛正討伐である。日本側につく北支住民の情報により部落に八路軍進入の報告を受け、便衣隊の服装に替えて敵の少ない時は小銃、または私は拳銃を持って夜間攻撃に出動する。(46・47頁)北口