三橋記事
三橋氏が「挺身隊といえば正式の徴用である女子挺身隊しかない」と考えている事が分かる。
しかし実際は1920年代~太平洋戦争の「挺身隊」の用例で示したように、1920年代30年代から「挺身隊」という単語は
・島根縣靑年勤勞挺身隊(1939)
・國粹大衆黨挺身隊(1933創立)
・三井、三菱、鐘紡などがこの地方に経済挺身隊を派し(1933年大阪朝日新聞記事)
など公あるいは民間の様々な組織について使用されていた。つまり「女子勤労挺身隊」とは別に様々な「挺身隊」が存在したわけである。
なお朝鮮半島でも同様であったのは、同エントリで他ブログの引用を示した。
そして慰安婦と挺身隊の混同、というウソ。混同ではない。や【慰安婦】米報告書について誤解を招く産経報道で示したように、慰安婦は「婦人部隊」として募集されていた。これが当時の日本語で「挺身隊」だった可能性は十分にある。何しろその可能性を否定する右翼側の根拠「挺身隊といえば法令に基づき動員され工場で働く女子勤労挺身隊に決まってる」が、上に述べた通り無知に基づく単なる思い込みなのである。
三橋氏の文章は、従軍慰安婦に関する典型的無知の典型例と言っていいだろう。
また慰安婦数については、研究者の推計がある
http://www.awf.or.jp/1/facts-07.html
「挺身隊」について同様の間違いと思われる例
池田信夫氏
梶井彩子氏
第一歩
2016-02-18 10:18:29
さらに、2014年に朝日新聞が吉田の証言を取り上げたこと等について、「事実関係の誤りを認め、正式に謝罪した」と説明。「慰安婦20万人」についても、一切のソース、証拠が存在しない数字であり、朝日新聞が大東亜戦争期の女子挺身隊(朝鮮半島出身者はゼロ)の人数と混同したことが始まりであると説明。
・・・1943年5月の時点で日本軍が「朝鮮人女子挺身隊」を徴用に行くなどということが、タイムマシンを実用化しない限り、あり得ない話なのです。
三橋氏が「挺身隊といえば正式の徴用である女子挺身隊しかない」と考えている事が分かる。
しかし実際は1920年代~太平洋戦争の「挺身隊」の用例で示したように、1920年代30年代から「挺身隊」という単語は
・島根縣靑年勤勞挺身隊(1939)
・國粹大衆黨挺身隊(1933創立)
・三井、三菱、鐘紡などがこの地方に経済挺身隊を派し(1933年大阪朝日新聞記事)
など公あるいは民間の様々な組織について使用されていた。つまり「女子勤労挺身隊」とは別に様々な「挺身隊」が存在したわけである。
なお朝鮮半島でも同様であったのは、同エントリで他ブログの引用を示した。
そして慰安婦と挺身隊の混同、というウソ。混同ではない。や【慰安婦】米報告書について誤解を招く産経報道で示したように、慰安婦は「婦人部隊」として募集されていた。これが当時の日本語で「挺身隊」だった可能性は十分にある。何しろその可能性を否定する右翼側の根拠「挺身隊といえば法令に基づき動員され工場で働く女子勤労挺身隊に決まってる」が、上に述べた通り無知に基づく単なる思い込みなのである。
三橋氏の文章は、従軍慰安婦に関する典型的無知の典型例と言っていいだろう。
また慰安婦数については、研究者の推計がある
研究者名 | 発表年 | 兵総数 | パラメーター | 交代率 | 慰安婦数 |
秦郁彦 | 1993 | 300万人 | 兵50人に1人 | 1.5 | 9万人 |
吉見義明 | 1995 | 300万人 | 兵100人に1人 | 1.5 | 4万5000人 |
兵30人に1人 | 2 | 20万人 | |||
蘇智良 | 1999 | 300万人 | 兵30人に1人 | 3.5 | 36万人 |
4 | 41万人 | ||||
秦郁彦 | 1999 | 250万人 | 兵150人に1人 | 1.5 | 2万人 |
「挺身隊」について同様の間違いと思われる例
池田信夫氏
2014年12月11日17:11
「強制連行」をでっち上げたのは植村隆ではない
特に大きな問題は「女子挺身隊」という日本政府による徴用を意味する言葉を、私的な慰安婦に使ったことだ。問題の1991年8月11日の記事はこうなっている。
http://linkis.com/livedoor.biz/7snce
梶井彩子氏
朝日新聞よりひどい!テレビが報じた「従軍慰安婦」
『月刊 WiLL』 2016年1月号
のっけから激しいBGMとともに、〈女子挺身隊という名の慰安婦〉と大間違いのテロップが画面の真ん中にドカンと現れる。
http://ironna.jp/article/2855?p=2
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