日本外交文書 満州事変 第一巻 第一冊
外務省
https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/st-1-11.html
https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/pdfs/manshujihen1_1_01.pdf
https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/pdfs/manshujihen1_1_02.pdf
 

鉄道爆破直前に参謀本部から建川部長が派遣されている。現地日本軍の動きを察知した参謀本部が、抑止のために派遣したとされている。また爆破後、日本軍は現場に人を寄せ付けなかった。中国側がやったならその不当行為をアピールする絶好の機会のはずだが、日本軍はなぜかそうせず隠そうとした。現地領事は諸情報から日本軍の計画的犯行と判断した。
12 昭和6年9月19日 在奉天林総領事より幣原外務大臣宛(電報)
今次事件は軍部の計画的行動との判断について
奉天 9月19日前発
本省 9月19日前着

第六三〇号(至急極秘)
参謀本部建川部長は十八日午後一時の列車にて当地に入込みたりとの報あり。軍側にては秘密に付し居るも右は或は真実なるやに思はれ又満鉄木村理事の内報に依れば支那側に破壊せられたりと伝へらるる鉄道箇所修理の為満鉄より保線工夫を派遣せるも軍は現場に近寄せしめざる趣にて今次の事件は全く軍部の計画的行動に出でたるものと想像せらる。

満州事変12


外務省側は陸軍情報(つまり中国がやったという)を疑っていた
17 昭和6年9月19日 在奉天林総領事より幣原外務大臣宛(電報)
事件に関する対外的応答振りについて
奉天 9月19日前発
本省 9月19日前着

第六三五号(極秘)
今次事件の原因に付ては陸軍側の所報に疑の余地多きも差当り外人側の質問に対しては陸軍側の説明通り回答し居る次第なる処予て陸軍の積極方針宣伝せられ居ることにもあり果して充分の納得を期待し得るや頗る疑はしと思考せらる就ては右に関し何等御意見もあらば至急御回示ありたし

満州事変17


鉄道はかすり傷程度で、7、8時間後にはもう運行を再開した。
19 昭和6年9月19日 在奉天林総領事より幣原外務大臣宛(電報)
満鉄の運行再開について
奉天 9月19日前発
本省 9月19日前着

第六三七号
昨夜十時半頃爆破されたる柳条溝付近の満鉄線は今朝六時頃修理完了列車の運行を開始せり。
支、北平、南京、在満州各領事へ転電せり。
満州事変19


そういえば爆破前に日本軍のこんな不審な行動があった、という現地領事の報告
49 昭和6年9月19日 在遼陽山崎領事代理より幣原外務大臣宛(電報)
事件勃発後の多門師団長の動静について
遼陽 9月19日後発
本省 9月19日後着

第二二号(極秘)
往電第二一号に関し
当地軍奉天出動前後状況御参考迄に電報す
(一)十九日午前零時半北大営事件突発の情報に接し本官は不取敢情報交換旁当地軍部の行動を確かむる為即時多門師団長を官舎に往訪したる処就寝中なりし如く暫し待たされたる後師団長高級副官と共に和服姿にて迎接し又参謀長は稍遅れて軍服にて情報持参馳付来り打揃ふて面談したるが其際師団長は即座に在遼陽各部隊に出動を命じ装甲列車及貨物列車にて敏速に前電通り出発したり。
(二)之より先本庄関東軍司令官検閲の為当地滞在中去る十七日午後付属地内演習を検閲したる後軍隊輸送の予行演習を行ひ遼陽駅倉庫内に常備せる装甲列車九輌を本線に引出し不時の使用に堪へるや否やを検査せり
(三)又同軍司令官滞在中師団司令部に於ては軍首脳者間に於て奉天城攻略の図上演習を考究せり
(四)朝鮮銀行支店長に対し十八日午後二時頃経理係員より営業時間外何時にても軍部の必要に応じ現金引出に応じ得るや否や予め質す処ありたる趣なり。
支、北平、奉天へ転電せり。
※多門師団長は多門二郎陸軍中将
満州事変49


鉄道爆破の被害者である満鉄自身も現地に入れてもらえず何が起きたのか分からなかった、日本軍は直前に事件を模した演習をやっていた、諸々から判断して日本軍の計画的犯行と推定する、という満鉄総裁の報告
60 昭和6年9月19日 内田満鉄総裁より幣原外務大臣宛(電報)
今次事件は軍部の予定計画の実現との推定について
満鉄構内 9月19日後発
本省 9月20日前着

今回の事件の拡大性に付ては領事館員に対する板垣参謀の口吻より察するに満鉄沿線に於ける支那側兵用地の軍事占領続行するものと思はる。鳳凰城への進軍は其一例なり。支那側の態度は頻々たる総領事への電話要求に依り察するに皇姑屯事件の際の如く無抵抗主義を執れり。此の結果外交上至難なる事態を惹起するは想像に余りあり。此の軍事占領の理由は北大営に属する支那兵が鉄道を破壊せりと謂ふにあるが唯今迄我社保線係を三度現場に差向けたるも入場を拒絶せられ或は「レール」を外せりとか或は爆弾にて破壊せりとか情報区々なり。今回軍隊出動の計画は既に十四日以来非常演習として予行せられたり
撫順守備隊長の炭坑社員等に極秘として伝へし軍事行動の時期は一日遅れしも時刻は符節を合し而も第一の目標として支那飛行機格納庫の付近と称せしは今占領中の北大営に外ならず。事件の発生せし日の朝駅員が建川少将と認めし人物安奉線に依り来奉せり。其他種々なる情報を総合し我軍今回の行動は予て御話せし予定計画の実現と推定せらる。将又支那側の無抵抗態度と我軍事行動に伴ふ小事故が在留外人を刺戟し世界の輿論が我方に不利なる傾向を現はし今後に於ける対外政策益々南極に陥るなきや憂慮に堪へず。
満州事変60

アジア歴史資料センターhttps://www.jacar.go.jp
レファレンスコード B02030185200(23画像目)にも有

爆破による破損は僅少だった(自演を疑わせる)、日本軍は事前から出動準備していた、水杯までやってたという報告
66 昭和6年9月20日 在奉天林領事より幣原外務大臣宛(電報)
軍側の鉄道爆破現場への立入り阻止について
奉天 9月20日前発
本省 9月20日前着

第六六四号(極秘)
木村理事の談に依れば鉄道爆破直後満鉄側より修理の為保線工夫を現場に入れんとしたるも軍側の阻止に依り(脱)得ざりしが破損個所は下り線約七十「サンチ」上り線約十「サンチ」が爆破せられたるものらしき痕跡あり。枕木の破損も二本に止まり破損個所も両線合計一米に達せざる為容易に修理し得たる訳なる由なり。又奉天警察特務は兵卒が昼以来準備を命ぜられ又復夜間演習かと思ひ居たるに本物なりしと語り合へるを耳にしたることあり。又十八日午後(事件前)当館一館員は海城より来奉の一将校が既に水杯を為して来れる旨を語り居れるを聞込みたることあり御参考迄。
満州事変66


元々日本陸軍に満州占領計画があり今回それを実行したという日本の武官の考え
昭和6 一二七五二 暗 上海十九日後発 本省九月十九日後着
幣原外務大臣 重光公使

第九八一号(極秘)
十九日田代武官は奉天事件は予々中村事件交渉の際に用意しありたる陸軍側の計画を十八日夜の事件に依りて其儘実行されたるものと思はるる旨を述べ居たり御参考迄(右情報の出所は省外に洩れざる様せられたし)
アジア歴史資料センターhttps://www.jacar.go.jp/
レファレンスコードB02030185200
外務省外交史料館 戦前期外務省記録 満洲事変(支那兵ノ満鉄柳条溝爆破ニ因ル日、支軍衝突関係) 第一巻
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鉄道爆破とは別の計画(鉄道爆破に付随する計画?)もあった。
5 昭和6年9月19日 在奉天林総領事より幣原外務大臣宛(電報)
撫順守備隊長等による中国飛行場襲撃計画について
奉天 9月19日前発
本省 9月19日前着

第六二一号
九月十七日夜撫順炭坑庶務課長当館に来訪し九月十四日撫順守備隊長は臨時警備会を開き在郷軍人会長警察署長憲兵隊長炭坑庶務課長撫順駅長及大官屯駅長の参集を求め同守備隊長は中村事件交渉応援軍事行動の一として十八日午後十一時三四十分頃出発牛相屯に至り下車し渾河を渡渉し支那飛行機を襲ふ計画に付満鉄は列車を準備せられたく又出発後の炭坑防備は在郷軍人を主とする防備隊に於て当られたし但し本件は厳秘に付せられたしと述べたるが十七日朝に至り本件は交渉上の都合に依り一時延期となりたる旨通告を為せりとの報告を為したるが本官は右は出先守備隊が中村事件に関し興奮の余り準備せる計画にして実現せられざるものと観察したるも尚為念木村理事と連絡し注意を怠らざりし際に不幸にも十八日夜の衝突事件を惹起するに至れり。
支、北平、南京へ転電せり。
満州事変5


21 昭和6年9月19日 在奉天林総領事より幣原外務大臣宛(電報)
撫順守備隊の動向について
奉天 9月19日前発
本省 9月19日前着
第六四〇号(暗)
往電第六二一号撫順警備会談に関しては同電所載炭坑庶務課長の報告には一時延期となりたりとの趣なりしも本官より直に軍司令官の注意喚起手筈(郵便にて)を取り置きたるも十八日夜事件発生せる為遂に間に合はざりし次第なり。
支、南京、北平に転電せり。
満州事変21


87 昭和6年9月21日 在奉天林領事より幣原外務大臣宛(電報)
撫順警備会議に関する軍側の弁明について
奉天 9月21日前発
本省 9月21日前着

第六七九号
二十日午後八時三宅参謀長来訪し往電第六二一号の報告の本月十四日撫順に於ける警備会議の件に関し右は川上中隊長が性質粗笨なりし為演習計画を余りに強く説明したる為今回の事変が軍の計画的行動なるやの疑を招くこととなりたる次第なるに付誤解なき様希望すとて縷々弁明を試みたるに付本官は唯之を聞き置くに止めたり
支、北平、南京に転電せり





昭和6 一二七七六


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