事件の概要
一九三二年の上海事変の際には「設置計画中の海軍指定慰安所で働かせるため、長崎地方の女性一五名を事情を隠し、女給・女中を雇うかのように騙して長崎から乗船させ(誘拐)、上海に上陸させた(移送)」事件がおこり、被疑者は起訴されたが、長崎控訴院は刑法旧第二二六条第一項の国外誘拐罪と同条第二項国外移送罪が成立するものとして有罪を宣告し、大審院もこれを支持した(大審院判決が出されたのは一九三七年三月)(戸塚悦郎「確認された日本軍性奴隷募集の犯罪性」、『法学セミナー』一九九七年一〇月号)。
http://nagaikazu.la.coocan.jp/works/guniansyo.html

以下、控訴院の判決文だが、ここで大事なのは「被害女性や親だけでなく当の誘拐犯たちも、説明されるまで慰安所の意味を知らなかった」という点である。文中の下線部※1~6を参照。
昭和十一年(つ)第五五号
判決
本籍○○ 住居長崎市 A
本籍○○ 住居同市 無職 B
本籍並住居 長崎県 C
本籍○○ 住居長崎市 無職 A´
本籍○○ 住居長崎市 〇〇〇事 B´
本籍○○ 住居長崎市 D
本籍○○ 住居長崎市 〇〇〇〇事 B”
本籍○○ 住居長崎市 E

右国外移送誘拐被告事件に付昭和十一年二月十四日長崎地方裁判所に於て宣告したる有罪判決に対し被告人等より控訴の申立ありたるを以て当院は検事後藤英橘関与審理の上判決すること左の如し

主文
被告人A、B、Cを各懲役二年六月に被告人A´、B´、E、Dを各懲役二年に、被告人B”を懲役一年六月に処す。
被告人C、B´、Eに対しては夫々原審に於ける未決勾留日数中六十日を右本刑に算入す。
被告人B”に対しては本裁判確定の日より三年間右刑の執行を猶予す。

理由
被告人Cは昭和五年十一月頃より中華民国上海に於て其の雇入に係る婦女をして同地駐屯の帝国海軍軍人を顧客とし醜業に従事せしめ居たるところ昭和七年一月所謂上海事変の勃発に因り多数帝国海軍軍人の駐屯を見るに至りたるを以て海軍指定慰安所なる名称の下に従来の営業を拡張せんことを欲し予て知合の亡Fに該意図を告げ同人の紹介に依り同年三月七、八日頃上海文路江星旅館に於て被告人A、Bの両名に面談し右の企図を諮り之が賛同を得●に被告人Cに於て家屋其の他の設備を提供しF及被告人Aの両名に於て該営業所に於て醜業に従事すべき日本婦女を日本内地に於て雇入れ移送することを担当し被告人Bに於て之が雇入資金を提供することを約すると共に婦女雇入に際しては其の専ら醜業に従事するものなることの情を秘し単に女給又は女中として雇ふものの如く欺罔し勧説誘惑して上海に移送せむことを謀議しFに於ても直に之に賛同すると共にB等の旨を受けて其の頃長崎市に於ける被告人Bの妻なる被告人B´に右の協議内容を通知して婦女の雇入方を求め被告人B´や其の旨を被告人Aの妻なる被告人A´及被告人Dの両名に通ずると共に被告人A´との間にはこれが実行を両名に於て分担すべき旨の協議を遂げ次で被告人Dとの間にはB等の協議せる前記方法に基き婦女を雇入るべきことを謀議し居たるがさらに同月十四日被告人Bに於て長崎市に帰来するや直に同市内なる同人方にG及び被告人A´を招致し同人等並に被告人B´に対し前叙上海に於ける協議の結果を告げて婦女移送方を促し同人等も之に賛同の上被告人B´に於ては同年三月下旬頃被告人B”、原審相被告人H及Hを介して原審相被告人Iの三名に、G及被告人A´に於ては同月十四日頃被告人Eに夫々B等の協議せる前記方法に依り婦女を誘拐して上海なる前示慰安所に移送せむことを諮りたるところ被告人B”、E及原審相被告人H、Iは孰れも之に賛同し

第一、
被告人A、B、C、B´及A´の五名はFと共謀の上(以下事実を判示に当りて右被告人五名及Fを単に被告人A等六名と略称す)
(一)
被告人B´に於て同年四月初頃長崎市内なる同人方に於て    に対し行先は兵隊相手の食堂なる旨虚言を構へ且祝儀等に依る収入一ケ月二、三百円位ある旨甘言を弄して上海行を勧め同女をして其の旨誤信せしめて之を誘惑し
(二)
被告人A´に於て前同日頃同市    なる被告人E方に於て    に対し勤口は食堂の女給にして客を取る要なき旨詐言を構へ且百五十円位を前借するも二、三ケ月にて完済し得尚毎月五十円位親許(もと)に送金し得べき旨甘言を以て上海行を勧誘し同女をして其の旨誤信せしめて誘惑し

第二、 
被告人A等六名及Gは共謀の上Gに於て同年五月初頃長崎県北高来郡    方に於て同人に対し一年居れば内地の三年乃至五年分の儲ある故二女    を上海駐屯帝国軍隊の酒保の如き所の売子として奉公せしめては如何との趣旨の詐言並に甘言を構へ同人より之を聞知せる    をして其の旨誤信せしめて同女を誘惑し

第三、
被告人A等六名並に被告人Dは共謀の上Dに於て
(一)
同年三月十一、二日頃長崎県西彼杵郡    方及被告人    の肩書居宅に於て    に対し上海の料理屋に女給又は女中として奉公するに於ては多額の収入あり且客取りを為すの要なきに依り次女    を上海に奉公に遣りては如何との旨の甘言及詐言を弄し    より之を聞知せる    をして其の甘言を真実なりと信ぜしめて同女を誘惑し
(二)
前同日頃前同所に於て        両名に対し前同様申向けて右両名を誤信せしめ之を誘惑し
(三)
同年四月初頃長崎市    方に於て同女に対し一ケ月七十円位の収入あるに依り上海に行き同地の海軍慰安所に於て「カフェー」の女給又は仲居の如き仕事を為しては如何と甘言並に詐言を構へ同女をして其の旨誤信せしめ之を誘惑し

第四、
被告人A等六名並に被告人B”は共謀の上B”に於て同年四月初頃同市    方に於て同女に対し行先は海軍慰安所にして水兵或は士官等相手の「カフェー」なるが収入は一ケ月七、八十円に達し一年位居り家を造りたる人もある故上海に行きては如何と詐言及甘言を以て誘ひ同女をして其の旨誤信せしめて之を惑はし

第五、
被告人A等六名並に原審相被告人H、Iは共謀の上H及Iの両名に於て前同日頃
(一)長崎県南高来郡    方に於て同女に対し多額の収入ある食堂の帳場方として世話するに依り上海に行きては如何と詐言並に甘言を構へ且被告人B´に於ても其の頃長崎市内なる同被告人方に於て    に対しH等と同様の事を申向け同女を誤信せしめて之を誘惑し
(二)同    方に於て同女に対し行先は兵隊相手の食堂なるも一日に祝儀一、二円の収入ある故上海に行きては如何と詐言葉並に甘言を構へ同女をして其の旨誤信せしめて之を誘惑し

第六、
被告人A等六名並に原審相被告人Hは共謀の上Hに於て同日頃
(一)
同郡    方に於て同女に対し上海の仕出屋の女中奉公を為さば月、二、三十円の収入ある故上海に行きては如何と詐言並に甘言を以て同女を誘ひ同女をして其の旨誤信せしめて之を惑はし
(二)
    方に於て同人に対し内地に於ける給料の二、三倍の収入ある故四女    を上海の「カフェー」の女中として奉公せしめては如何と詐言並に甘言を構へ同人より之を聞知せる    をして之を真実なりと信ぜしめ同女を誘惑し

第七、
被告人A等六名並に被告人EはGと共謀の上Eに於て
(一)
同年三月末頃長崎市    なる被告人E方に於て    に対し上海に於ける海軍慰安所の女中として同地に行きては如何、給料は月四、五円なるも祝儀に依る収入は五、六十円に達する旨詐言並甘言を構へ同女をして其の旨誤信せしめ之を誘惑し
(二)
其の頃事情を知らざる    をして同市    なる同人方に於て    に対し前同様申向けしめ同女をして其の旨誤信せしめて之を誘惑し
(三)同年四月初頃被告人E方に於て    に対し海軍士官相手の飲食店の女中として上海に行きては如何五十円位の前借を為すも一週間にて直に返済し得べき旨詐言及甘言を以て同女を誘ひ同女をして其の旨誤信せしめて之を惑はし

因て孰れも上海行を承諾せしめたる結果
(イ)同年三月十四日長崎出帆の上海丸に        等三名を
(ロ)同年四月一日同港出帆の長崎丸に    
(ハ)同月八日同港出帆の前記汽船に                        等七名を
(二)同月十二日同港出帆の浅間丸に            等三名を
(ホ)同年五月六日同港出帆の上海丸に    
順次乗船せしめて之を誘拐したる上各其の翌日同女等を孰れも順次上海に上陸せしめ以て同女を帝国外に移送したるものなり。
而して被告人B”を除く其の余の被告人等の所為は犯意継続に係るものとす。

証拠を案ずるに右事実は犯意継続の点を除き
判示冒頭記載の点並に判示第一乃至第七記載の如く各共謀関係の成立したる点は

一、
被告人Cの当公廷に於ける私は昭和五年十一月頃より中華民国上海北四川路志安〇九号に於て海軍指定休憩所なる名称の下に営業所を構へ女中として雇ひたる婦女をして同地滞留の日本海軍軍人を顧客とし醜業を為さしめ居りしが昭和七年一月下旬上海事変の勃発に依り其の営業は一時中絶の姿と為りたり。然るに同年三月停戦協定の成立に依り同地の物情平穏と為り再従前の営業に従事し居たるところ帝国軍隊が多数同地に駐屯する情勢と為りし為雇女に不足を生じ之を増員せねばならぬと考へ右営業所の名称を同年五月頃海軍指定慰安所と改めたり。右の如く営業所の婦女を多数雇入るる必要を生じたる結果同年三月五、六日頃    方に資金二、三千円を借入るる為赴きたるところ同家に於てFに会ひ知合に為りたるが同月七、八日頃Fより同人の伯父Bが江星旅館に居る故来て呉れとの通知を受け江星旅館に行きFよりB、Aを紹介されBより私の営業の内容を訊ねられたるに因り私は営業の内情、経過並に現状、利益の分配方法等を話したる旨の記載

二、
原審第二回公判調書中同被告人の供述として(記録三、二〇六丁裏以下)昭和七年三月七、八日頃上海文路江星旅館に於て私とA、F、B等が会合し私が営業の内情、経過並に現状等を話且多数日本軍隊の駐屯期間が向ふ一ケ年位と思はるる故自分の営業を拡張し共同にて多数の女を雇ひ半年位遣れば儲かると思ふ旨私の希望を申したるところ集り居たる人々も其れに賛成し結局私が営業所を提供して女十五人預り其の女達の玉代を等分して女に半分与へ残り半分より実費を差引きたるものを私とF、Aにて平等に分配すること而して女の雇入はA、F等の方にて受持つと言ふ事に為りたり。BはFの伯父にしてFより同人は数十万円の資産家なることを聞き居たる為同人が金を出すものなりと想像し居りある旨の記載

三、
同調書中被告人Bの供述として(記録三、二〇九丁裏以下)私は甥のFよりCが慰安所を出す様に為る故金を出して呉れと申され其の後昭和七年三月七、八日頃江星旅館に於てFの紹介にてC、A、F等と会見しCより同人の営業の内情、経過並に現状等の説明を聞きFより二、三千円出して呉れと言はれ私はCの申す趣旨に賛成し其の位の金ならば出さうと申したる旨の記載

四、
同調書中被告人Aの供述として(記録三、二一三丁以下)判示の日頃判示旅館に於てCより以前同人が海軍指定休憩所を設け居たるが上海事変の為営業が一時中止と為りたるも停戦協定の成立に依り帝国軍隊の多数上海に駐屯するならんと言ふ事等の話が有り更に同人は海軍指定休憩所の名称を海軍指定慰安所と改め営業を復活し拡張して遣り度き故賛成して呉れとの趣旨の相談があり私は賛成しC、Fと共同して経営することにしBが資金を出す事に話が成立したる旨の記載

五、
被告人Cに対する第二回及第三回予審訊問調書を通し同被告人の供述として(記録七八〇丁以下)海軍指定慰安所を共同経営にすると言ふ契約は私とA、Fの三名間に結ばれたるものなるがBは共同経営者として右契約に依りA、Fの両名が得べき利益を更に三分して其の一を得ることに為り居ると言ふ事を後に為り聞知したり。(記録八〇九丁以下)私は江星旅館に於てA、F、Bの三名に会ひたるとき海軍指定慰安所は軍人相手に売淫を為す事を主たる目的とする所にて其処に雇はるる女は売淫をせねばならぬ事即ち其れをせ又は女を雇入れぬと言ふ事は充分話をし置きたる(※1)故A、B、Fの三名は充分承知し居たる筈なりし旨の記載

六、
証人    に対する第一回予審訊問調書中其の口述として(記録一、三七一丁裏以下)Cが江星旅館にA、B等を訪れ右三名に於て海軍指定慰安所の共同経営に付ての話を為し居たるが其の話の模様にて私は同慰安所が海軍軍人を相手に婦女をして売淫を為さしむる事を営業とする所なることを知りたる(※2)旨の記載

七、
同証人に対する第二回予審訊問調書中其の供述として(記録一、三九九丁裏以下)C、A、B等が江星旅館に於て海軍指定慰安所の話を為し居たる時Cは同慰安所の女を内地に於て雇ふ時は女には醜業に従事せねばならぬ事は言わずに女給として雇入れやうと言ふ意味の話を為しA、Bが其れに同意して居りたり。私は女給として女を雇入れ内地の女郎同様の事をさせる積りかなと思ひたる旨の記載

八、
証人    に対する予審訊問調書中其の供述として(記録八四三丁以下)私はC、F、A等と上海にて海軍指定慰安所を共同経営する契約を為したるがCより女は幾らでも送り遣るとの話を聞き居たる故其の際Cに女が左様に易々と手に入るかと訊ねたるに同人はBやAがする事であり女は何程でも手に入ると申したり。更に私が女は如何様にして連れて来るかと訊ねたるところ同人は女給とか女中とか言ふ事にして連れて来れば訳はないではないかと申したる旨の記載

九、
被告人Bに対する第一回予審訊問調書中其の供述として(記録一、二三九丁裏以下)私はAと共に昭和七年三月三、四日頃上海に行き同所の江星旅館に於てC、F、A等と海軍指定慰安倶楽部(慰安所とは聞かず)の経営に付ての話があり私がFの依頼に依り女雇入れに必要なる資金として二、三千円出資することに為りたり。其の際Cが女は女中として雇ふが良いと申したる様記憶す、私が出資を承諾したる為    は私の妻B´に又Aは自宅に夫々手紙を出し私が出資を承諾したる旨を通し女雇入の手配を頼みたるが私が上海より帰る際即ち昭和七年三月一三、四日頃A、    の両名が私に内地より女を雇ひ送る様依頼したるに依り私は長崎に帰り私方にG、Aの妻A´を呼び私の妻B´も居る所にて此度F、Aの両名が上海在住のCと共同にて海軍指定慰安倶楽部を経営することに為り右慰安倶楽部は内地の女郎屋と同様の事をするものなる事を話し同所に送る女を世話して呉れと申したり。其の際私は女を雇ふには女中として雇ふ様にと申したるが右は女を雇ふ際淫売として上海に行く事を勧める事は言ひ難き事と考へ且女中として雇ふ方が人を集め易しと考へたる為なる旨の記載

十、
被告人B´に対する第二回予審訊問調書中其の供述として(記録一、二八四以下)FがBと共に上海に行きて後Fより手紙にて通信があり自分はA、Cと共同にて海軍指定倶楽部を経営することに為りBが金を出すことを承諾したる故女を雇ふて送られ度く女雇入に付てはDにも依頼の手紙を出し置くに依りDに世話させて呉れと申来りたり。同日Dが私方に来てFより同人にも手紙が来て私に対する手紙と同趣旨に記載あり、海軍指定慰安倶楽部と言ふは女に客を取らせる所なる旨記載ありたりとDが申し居たり。其の後主人Bが上海より帰り私方に於てG、A´に対し慰安所は軍人を相手に専ら売淫を為す所なる旨詳しく話たり(※3)。而してFより私に手紙が来た翌日か翌々日頃Fより電報にて来る十五日迄に女を送り呉れとの趣旨を申し来りたる故直にDを私方に呼び同人と女雇入れの方法に就き協議したる旨の記載

十一、
同被告人に対する第三回予審訊問調書中其の供述として(記録一、六一一丁裏以下)私はFより電報の来りたる後Dと女雇入の相談したるが其の際私とDは客を取る酌婦として雇へば何千円も出さねばならぬ故女給として雇へば安く済むと話合ひ女給として雇入るる事に決めたる旨の記載

十二、
被告人Dに対する第二回予審訊問調書中其の供述として(記録一、三八五丁裏以下)Fが上海より私に寄越したる手紙には女給又は仲居として雇ふて呉れとの趣旨が記載しありたるが私は女には淫売せしむるものと思ひ手紙を見て直にB´方に行きFよりの手紙の趣旨を話したるところ同女は私より詳しく上海の事を知り居りたる故同女にもFより手紙が来て居るものと思ひたり。其の後FよりB´に宛て電報が来たとの事にて同女に招かれ同女方に行きたるに同女は私に対し今度の船に間に合ふ様女を送らねばならぬ故女を早めに雇ふて呉れ女を雇ふには女給又は仲居として雇ふて呉れと命令的に申したり。其の際B´は女には売淫の事は言はずに雇ふて呉れとは申さざりしも私は同人の口吻よりして女には売淫の事は打明けずに女給又は仲居として雇ふて呉れと言ふ意味に解したる旨の記載

十三、
被告人A´に対する第一回予審訊問調書中其の供述として(記録一、四〇九丁裏以下)主人Aが上海へ行く前同地より帰りたるFが私方に来てAと何か話して帰り其の後にてAが上海に於て海軍慰安所を経営すれば儲かるそうなと申し居たるがAが上海に向け出発二、三日後私に宛て手紙を寄越し後に電報が着いたならば直にEに世話をさせ女を雇ふて送る様申来りたるに依り私はその手紙をEに示したるところEは女を世話することを承諾し尚同人は客を取る女ならんと申したる故Eは手紙に在る女が淫売婦なることは承知し居たるものと思ひたり。其の後Bの妻B´に招かれ同人方に行きたるところB´は上海のBより手紙が来て上海に於てCが経営し居たる海軍慰安所と言ふ淫売屋を此度B、F及Aの三名が共同して経営することに為りたる由故女を送らねばならぬに依り自分の方にても女を雇ふ故貴殿の方も出来るだけ世話して呉れ金は自分の方にて立替へ置く尚女を雇ふに客を取らせる事を話せば金が高く掛る故其の事は言はずに女給として雇ふことに仕様と話したるを以て其の様にして女を雇入るる事にし私は直にE方に行き同人に女給として雇入を頼みたり。同人は当時長崎の淫売屋の顧問の如き事を為し居り金を高く掛けずに雇ふて遣ると申し居たる旨の記載

十四、
同被告人に対する第二回予審訊問調書中其の供述として(記録一、四三六丁裏以下)Bが帰国後私とGとが同人方に招かれBより女に売淫の事を打明けて雇へば百円の所は二百円掛る故女給として雇入れ様と言はれたる際私は左様にしませうと答へたるが右の話を聞き其の事は私の主人Aと相談して来りたるものと思ひたり。而して其の日Eに女雇入れ方を頼みたる旨の記載

十五、
証人Gに対する予審訊問調書中其の供述として(記録一、六八八丁裏以下)Bが上海より帰りたる時私とA´とが呼ばれて行きBは私とA´とに対しBの妻B´の居る所に於て自分はAと共同にて帝国軍人を相手とし婦女に売淫せしむる海軍慰安所を経営することに為り同所に女をおくらねばならぬ故世話して呉れ女には慰安所の接待掛の女給として雇ふと言ひ売淫の事は言はぬが良いと申したり。私は売淫を為す酌婦として雇へば金も掛り又希望者も少き故Bが右の様に申したるものと考へ且同人が売淫の事は女には打明けぬが良いと申したるは同人独りの考にては無く上海に於てA等と左様に相談したる事なるべしと察し私は左様にすると返事して同人方を辞しA方に行きたるところEが居合せたるに依り同人にBの申したるに通り伝へたるところEはそんな風で雇はねば上海辺には女が直ぐ行くと言はぬと申し私もEもAの為女を世話して遣ることにしたる旨の記載

十六、
被告人B”に対する第一回予審訊問調書中其の供述として(記録九一〇丁以下)私はBの甥なるが昭和七年三月半頃Aの息子とBの息子とが上海見物に行く際B´の依頼に依り上海の海軍慰安所に行く女三人を一緒の船にて連れて上海に行きたる旨の記載

十七、
被告人B´に対する第六回予審訊問調書中被告人B”の供述として(記録二、一九一丁以下)私はA、Bの息子二人を連れ上海に行き同地に滞在中B´を旅館に訪れたる際同人より海軍慰安所が客を取り売淫を為さしむる所なる事を知りたり(※4)。私が    を世話したるは其の後の事なる旨の記載

十八、
被告人B”に対する第三回予審訊問調書中其の供述として(記録二、七八一裏丁以下)私はA及Bの息子二人を連れ上海に行きたる時同地の海軍慰安所はCが営業主にしてA、F両名は同所に婦女を入れて醜業婦営業を為す所なること及BはA、Fの婦女雇入の資金を出し居るものなることを知りたり。又私は上海にてB´に会ひたる際自分が    を世話しつつある事を話したるところB´は本人が行くと言へば雇ふても良いと申したる旨の記載

十九、
原審相被告人Hに対する第二回及第三回予審訊問調書を通じ其の供述として(記録九五三丁裏以下)私はB´の招電に依り同人方に行きたるところ同人は上海が中々の景気彼女を上海に遣り料理屋か淫売屋をして女を働かせ様と思ふ故女を世話して呉れと申し又Iの妹の縁付先に娘が居ると言ふ話を聞き居る故同人にも話して呉れと申したり(一、六四七丁以下)其の際B´は私に    及同    以外の女を雇ふ際は上海に行き女郎の如き事をせねばならぬと言へば嫌ふ者もある故左様な事は言はずに上海が景気故行きては如何と申向けて勧誘し呉れと申したる旨の記載

二十、
原審相被告人Iに対する第一回予審訊問調書中其の供述として(記録九三五丁以下)昭和七年春頃Hが私に対しB´より上海の料理屋にて客取りする女の雇入方を頼まれたる故世話して呉れと申したるに依り私は之を承諾したり。Hは    を世話する際には客取りをせねばならぬ事は言はぬが良いと申したるに依り其の事は話さざりし旨の記載

を総合して之を認め    
    外十四名の婦女が判示の日長崎港出帆の判示船舶に乗船し各其の翌日上海に上陸したる点は

一、
被告人B´及Dの各当公廷に於ける            に関し被告人A´の当公廷に於ける            、に関し其の旨の記述

二、
原審第一回公判調書中被告人B、C、Aの各供述として(記録三、一四五丁以下)判示同趣旨の記載

に依りて之を認め
判示第一の爾余の点は

一、
証人    に対する第一回予審訊問調書中其の供述として(記録一、一九七丁以下)私は昭和七年四月初頃上海の事に付Dの妻に訊ねたるところBの家へ行けとの事にてB方に行ったるにBの妻は私の雇はれ行く先は上海の大きな食堂にて兵隊の遊びに来る所であり「チップ」も多く外に品物の売上金の歩合も貰へる故月二、三百円儲かるに依り行って見よと申したるを以て私は其れを信じ上海へ行く気に為りたり。其の時上海にて売淫行為をせねばならぬと言ふ話はなく又借金は淫売の稼高にて支払ふ等約束したることなし。従て淫売をせねばならぬ事が判れば上海に行かぬ筈なり。然るに上海に行きたるところ其処は売淫専業の所なりし為私は全く欺されて上海に送られたることを覚知したる旨の記載

二、
証人    に対する第一回予審訊問調書中其の供述として(記録一、一七六丁裏以下)昭和七年四月初頃私の乳が私に対しA方より上海の食堂の女給にお前を遣って呉れとの相談があり月に五、六十円位の金儲があると言ふ事だと申したり。其の後A方及長崎市    のE方に於てAの妻に会ひたるとき同女は上海の勤先は食堂にて女給を為し客取りする必要なく若し嫌なれば直に帰国しても良い上海は好景気にて百五十円の前借金は二、三ケ月にて払へ親には毎月五十円位宛の送金が出来る故行って呉れと申したるが売淫の話は全然無く前述の如く客取る要なしとの話なりし為売淫はせぬ者と信じて承諾し上海に行きたるところ其処は海軍軍人を相手に専ら売淫を為す所なりし故私は初めてAの妻に欺されて上海に送られたることを知りたる旨の記載

に依りて之を認め
判示第二の爾余の点は

一、
証人Gに対する与信訊問調書中其の供述として(記録一、七〇〇丁裏以下)私は    の父    に対し今度A、Bの両名が上海に於て海軍慰安所を経営することに為り其所に女給が必要にて儲かる由故娘を遣りては如何と申して勧めたるに翌日        を同伴し上海行を承諾したり。私は右両名に上海に行けば儲かると話したるも上海に行けば売淫せねばならぬ事は言はざりしを以て    は単に慰安所の女給と考へて雇はれ行きたるものと思ふ旨の記載

二、
証人    に対する予審訊問調書中其の供述として(記録二、〇三六丁裏以下)    は私の次女なるが昭和七年五月頃Gが私方に来てAが上海に於て軍隊の娯楽場の如きものを始め其処は酒やビールを売る軍隊の酒保の如き所にて内地の女が居らぬ故其処の売子の如き仕事を為す者として娘    を遣りては如何、酒やビールが高く売れ其の儲の割合を呉れ内地の三年分や五年分は一年で儲かると申したる故娘    に其の話の趣旨を伝へたるところ娘は上海行を承諾したり。Gは上海に於て娘が醜業に従事せねばならぬ事を一言も言はざりしため私も    も左様な事は知らず。若し醜業せしめらるる事を知らば僅か二十円位を貰ひ娘を上海迄遣る様な事は為さず又娘も行かざりし筈なり。然るに昭和八年二、三月頃娘    は帰国し上海に於ては内地にての話と異り客取りをせしめられ辛かりし旨申したる旨の記載

を総合して之を認め
判示第三の爾余の点は

一、
被告人Dに対する第一回予審訊問調書中其の供述として(記録八八八丁以下)私は昭和七年三月十一、二日頃長崎市外        の誤記と認む以下同じ)方に行き同人に対し今度上海に海軍慰安所と称する大きな料理屋が出来る故娘を上海に遣らぬかと申したるところ同人は    をも招致したる故同人にも前どうこう話したるに両名共娘に相談すると申したり。其の後        の両名が娘の        の両名を同伴し来りたる故私は娘両名に対し前同様の話を為したるところ両名共上海行を承諾し又    の●    も同様上海に遣る事に話が決まりたり。私は        の両名には上海に行き淫売すると言ふ事は言わず女給又は仲居の如き仕事をせねばならぬと申して勧誘したるものなる旨の記載

二、
証人    に対する予審訊問調書中其の供述として(記録一、八二七丁裏以下)    は私の長女にして同    は私の次女なるが昭和七年三月頃Dが私方に来て上海に良き働き口があるが貴殿の娘及    の娘は行かぬかと申したるにより    を私方に招き孰れも娘に訊ねたる上返事を為すことにしたるにDは佐世保に居る娘    をも一緒に遣りては如何と申したり。其の後私と助八とは私の娘    と助八の娘    とをD方に同伴したるところ同人は娘等にも前同様の趣旨の話を為し上海行を勧めたるところ両名共上海行を承諾したり。最初Dは上海に於ける良き働き口とはBの経営せる海軍の倶楽部の如き所にて酒や肴を運ぶ仕事にて同所は客を取らする所に非ず月二、三百円の収入ありと申したり。其の後Bの妻に会ひたるが同女よりも客取りの話は聞かず    に対しては私がDより聞きたる通り話したるところ同女は客取りをせず左様に金儲の有る所ならば行くと申し上海行を承諾したり。私も娘両名もDが客取りする所にては無く心配せぬでも良いと申して勧めたる故其れを信じ娘二人を上海に遣る気に為り娘等も其れを信じて上海行を承諾したるものにして若し客取り商売をせねばならぬ事が判明し居らば僅か四百円余を娘二人分の前借金として借受け上海迄遣る筈なかりしものなり。然るに其の後娘    が帰国し内地の話とは相違し上海にて客取り商売をさせられたりと申したる旨の記載

三、
証人    に対する予審訊問調書中其の供述として(記録一、八一三丁裏以下)    は私の次女なるが昭和七年三月頃    方に於てDに面会したる時同人はBが上海に於て飲食店の如きものを経営し女が必要なるが上海は景気好く金儲が出来る故娘を遣らぬかと言ふ趣旨の事を申したり。私は水商売をする所ならば遣らぬと答へたるところ同人は水商売をする所ではなく女中の如き仕事を為すものなる旨申したるに依り娘の意見を聞きたるに上海行を承諾したり。私も娘    も客を取る水商売をさせぬ所と信じて上海行を承諾したるものにして若し売淫をせねばならぬ事が判明すれば私も    も上海行を承諾する筈なし。然るに    が上海に行きたる後私に寄越した手紙には内地に於ける話とは違ひ客取りを為さねばならぬと書きありたる旨の記載

四、
被告人Dに対する第一回予審訊問調書中其の供述として(記録九〇三丁裏以下)私は    方に於て同人の娘    に対し上海行を勧め売淫をせねばならぬ事は言はず勤め先は海軍の慰安所にして「カフェー」の女給又は仲居の如き仕事を為す所にて収入は月七、八十円位と申したる旨の記載

五、
証人    に対する嘱託に依る領事の訊問調書中其の供述として(記録一、三一六丁裏以下)私は    と婚姻前    と称したるが昭和七年四月初頃Dが私方に来て上海は戦争後景気良く月収七十円位ある。同地の料理屋の女中に為らぬかと申し上海行を勧めたる故私は其れを信じ上海行を承諾したり。同地に於て醜業に従事せねばあらぬ事は全然聞かず若し之を知り居れば上海行を承諾せざる筈なりし旨の記載

を総合して之を認め
判示第四の爾余の点は

一、
被告人B”に対する第一回予審訊問調書中其の供述として(記録二、七八四丁裏以下)私は    の兄に妹を上海の慰安所に遣らぬか月何十円かと収入があると申し勧め更に上海に行き海軍慰安所の内情を知り(※5)帰国後    及同人の父に会ひ上海行を勧めたるところ承諾を得たり。    等に上海行を勧めたる時慰安所に行けば醜業をせねばならぬ事は言はざりし旨の記載

二、証人    に対する第一回予審訊問調書中其の供述として(記録一、二一七丁以下)昭和七年四月初頃B”が私方に来て私や私の父に対し上海に行けば月七、八十円の収入ある故行きては如何若し行きたる上都合悪ければ何時帰国しても差支なしと申し尚行先は上海の海軍慰安所なるが其処は「カフェー」にして水兵や上官等の飲食する所なり。而して仕事は客の相手を為し品物を運ぶ等なり。一年位居り家を造りたる者もあると申したる故私も父も之を信用し上海行を承諾したるがB”よりも亦Bの妻よりも売淫を為さねばならぬ事は聞かず。若し醜業せねばならぬ事が判明し居れば上海には行かざりし筈なり。然るに上海に行き売淫に従事せしめられたる旨の記載

を総合して之を認め
判示第五の爾余の点は

一、
原審相被告人Hに対する第六回予審訊問調書中其の供述として(記録二、七六七丁裏以下)私はIと共に        方に行き上海行を勧めたるが其の際上海に行き醜業に従事するものなることは告げず    には帳場にて世話すると申し    には女中に世話すると申したる旨の記載

二、
原審相被告人Iに対する第一回予審訊問調書中其の供述として(記録九三三丁裏以下)私はHと共に    方に於て同人及其の母に対し上海に行けば金儲がある故行かぬか行先は    が経営せる料理屋にして女中又は女給なりと申して上海行を勧めたるが淫売をせねばならぬ事は告げず次で同日    方に行き同女に対し前同様申して上海行を勧誘したるに同女は売淫することは欲せぬと申したる故私とHは帳場に世話すると申したる処同女は上海行を承諾したる旨の記載

三、
証人    に対する予審訊問調書中其の供述として(記録二、四六〇丁裏以下)昭和七年三月二十四、五日頃I、H外一名が数回    の私方に来て上海に行けば金儲があり行先は上海の兵隊相手の食堂にて収入は一日に「チップ」が一、二円ある旨申し上海行を勧めたる故私は単に兵隊相手の給仕か酒の酌位すれば良き事と思ひ承諾したるが売淫する事は想像だにせず。若し其の事が判明し居れば上海行は絶対に承諾せざりし筈なりしところ上海に行きたるに売淫をせねばならぬ事を知り驚き騙されたりと思ひたるも逃げ帰るには旅費も無く仕方なく醜業に従事したる旨の記載

四、
証人    に対する予審訊問調書中其の供述として(記録一、七八一丁以下)I及姓不祥Hと言ふ人が私方に参り私の妹    は家政女学校を卒業し居る故上海の食堂とか「カフェー」とかの帳場に世話するが行かぬか非常に金儲に為ると申したるも    は女学校を出た許(ばか)りの事故断りたるに同女は私の不在中無断にて上海へ行きたる旨の記載

五、
証人    に対する予審訊問調書中其の供述として(記録一、七五五丁裏以下)私は    と結婚する前は    姓を称し居たるが昭和七年四月初頃I外一名が私方に三回参り長崎のBが上海に於て食堂の如きものを経営し居り帳場が入用なるが内地よりも収入多き故行かぬかと申し上海行を勧めたるに依り兄や母の同意を得ず承諾したり。其の後B´方に行きたる際同人も帳場が不足し居る故上海に行き呉れと申したるも売淫するとの話は全然聞かず。然るに上海に行きたるところ同地にては専ら醜業に従事する事を知り又Aより醜業に従事することを勧められたるも拒絶したる旨の記載

を総合して認め
判示第六の爾余の点は
一、原審相被告人Hに対する第六回予審訊問調書中其の供述として(記録二、七六八丁裏以下)私は            等を世話したる際同女等に対し上海に行き客取をせねばならぬ事は告げず女中に世話すると申向けたる旨の記載

二、
証人    に対する予審訊問調書中其の供述として(記録二、二三〇丁裏以下)    は私の長女なるがHが自分の姪が上海に於て「カフェー」をして居り戦後にて忙しき故娘を女中に遣って呉れぬかと申したる故女中の仕事を為さしむるものと信じ娘も承諾の上上海に遣りたるところ其の後娘より手紙にて上海に行き淫売を為さしめられ居ると知らせて来りたるに依り私は直に手を尽して娘を内地に呼戻したる旨の記載

三、
証人    に対する嘱託に依る領事の訊問調書中其の供述として(記録二、六四一丁裏以下)私は戸籍上    なるも    とも称し居たり。昭和七年四月初頃Hが私方に来て上海の仕出屋の女中奉公を為さば月二、三十円お収入ありと申し上海行を勧めたる故私は之を承諾し上海に参りたるがHもB´も上海にて売淫を為すとの事は言はず若し其の事が判明し居らば上海に来る筈にあらざりし旨の記載

四、
証人    に対する予審訊問調書中其の供述として(記録二、二四四丁裏以下)    は私の四女にして昭和十年三月死去したるが昭和七年四月頃Hが私方に参り娘を上海に於て同人の経営する「カフェー」の女給に遣らぬか内地に於て女中奉公するより二、三倍の給料が貰へると申したる故私は娘    と相談したる上私も    も女中奉公なりと信じて上海行を承諾したるところ    が上海に行きて後手紙には内地に於ける話とは相違し淫売をせしめられ斯様な事なれば来る筈にはあらざりし旨申来りたり。私も淫売させらるる事が判明し居れば娘を上海には遣らざりし筈なる旨の記載

を総合して之を認め
判示第七の爾余の点は

一、
予審第二回公判調書中被告人Eの供述として(記録一、三八八丁以下)私は    の世話にて上海の海軍指定慰安所に送る為        等を抱へることに為したる旨の記載

二、
証人    に対する予審訊問調書中其の共住として(記録一、八六〇丁以下)昭和七年三月頃Eが私方に来て上海の海軍慰安所の給仕女を世話して呉れ給料は五、六円なるも「チップ」の収入が多く五、六十円に為ると申したる故私は之を信じ(※6)    等に対しEの申したると同様の事を話し同女等を    に同伴したるところEは同人等に私に話したると同様の事を話し且客を取らずとも良き旨申し同人等は上海行を承諾したり。次で同月末頃私は    も同様の事を話上海行を勧めたるがEよりは上海に於て売淫を為さしむるものなりとの話は全然聞き居らざりし旨の記載

三、
証人    に対する予審訊問調書中其の供述として(記録二、一〇六丁裏以下)私は昭和七年三月半頃女中を志望し予て知合の    に対し其の旨告げて仕事口の周旋を依頼し置きたるところ其の後    が上海の海軍慰安所に働く女をEより頼まれ居るが同所にては食事の給仕や酒の酌をする仕事なる由にて月給は十円位なるも客よりの貰物もあり月五、六十円に為ると申したるに依りE方に行きたるにEも    と同様の話を為し女中に雇ふと申したる故私は上海行を承諾したり。Eは上海に於て醜業を為さしむるとは言はざりしを以て上海に行きたるところ海軍慰安所は内地に於ける話とは全然異り客取りをせねば僅か三十五円の前借金が支払へぬ為遂に止むなく客取りをするに至りたる旨の記載

四、
証人    に対する予審訊問調書中其の供述として(記録二、一二七丁以下)昭和七年四月初頃    方に於て同人が私に対し上海のAの家へ女中として炊事や洗濯する仕事がある故行かぬか月給は十円位なるが酌婦等の選択もすれば十五円位には為り又客よりの貰ひもあり月五、六十円位に為ると申したる故私は之を信じ上海行を承諾したるが売淫をせねばならぬと言ふ話はなく斯る話があれば上海には行かざりし筈なりし旨の記載

五、
証人    に対する嘱託に依る領事の訊問調書中其の供述として(記録二、六五八丁裏以下)昭和七年四月初頃E方に於て同人が私に対し上海に於ける飲食店の女中に為れば同地は景気が良き故五十円位前借して行くも一週間経過せぬ間に返済し得べき旨申したるに依り承諾して上海に参りたるが上海に行き醜業せねばならぬとの話は全然無かりし旨の記載

六、
証人    に対する予審訊問調書中其の供述として(記録二、二七四丁以下)私は昭和七年四月一日A´に頼まれ    外四名を連れ長崎港出帆の船にて上海に渡りたるが(二、二九八丁以下)其の際Eが私に此の女等は慰安所の女給として送るもの故其の積りにて連行かれ度く若し女等が訊ねたるときは「女給じゃ」と申して呉れと耳打したる旨の記載

を総合して之を認め
犯意継続の点は判示被告人等が短期間内に同種の行為を反覆累行したる事項に徴し明なり。
左れば如上説明に依り判示犯罪事実は全部其の証明ありたるものとす。
法律に照すに被告人等の所為中誘拐の点は刑法第二百二十六条第一項第五十五条(但し被告人B”に対しては第五十五条を適用せず)に被拐者帝国外移送の点は同胞第二百二十六条第二項第一項第五十五条(但し被告人B”に対しては第五十五条を適用せず)に各該当するところ右は手段結果の関係あるを以て同法第五十四条第一項後段第十条に則り犯情重き被拐者帝国外移送罪の刑に従ひ尚被告人等の所為は共犯なるを以て同法第六十条を適用し被告人B”に対しては犯情憫諒すべきものあるを以て同法第六十六条第七十一条第六十八条第三号に従ひ酌量減軽を為し各其の所定刑期範囲内に於て被告人等を主文第一項記載の刑を量定処断し同法第二十一条に従ひ原審に於ける未決勾留日数の一部を主文第二項記載の如く各其の本刑に算入し被告人B”に対しては犯情刑の執行を猶予するを相当と認め同法第二十五条に従ひ本裁判確定の日より三年間刑の執行を猶予し訴訟費用の負担に付刑事訴訟法第二百三十七条第二百三十八条に則り被告人等をして主文掲記の如く負担せしむべきものとす。
仍て主文の如く判決す。

昭和十一年九月二十八日
長崎控訴院第一刑事部
裁判長 判事岩村流芳
    判事高田喜雄
    判事島村廣治
右謄本なり
昭和十一十月五日
長崎控訴院第一刑事部
裁判所書記 半田親
https://wam-peace.org/ianfu-koubunsho/pdf/M-PDF/J_C_002.pdf



国外移送誘拐被告事件 長崎地裁判決

昭和十一年二月十四日宣告

判決
本籍○○ 住居長崎市 A
本籍○○ 住居同市 B
本籍○○ 住居中華民国 C
本籍○○ 住居長崎市 A´
本籍○○ 住居同市 B´
本籍○○ 住居長崎市 D
本籍○○ 住居長崎市 B”
本籍並住居○○ H
本籍並住居○○ I
本籍○○ 住居長崎市 E

右の者等に対する国外移送誘拐被告事件に付当裁判所は検事川上悍関与の上審理を遂げ判決すること左の如し

主文
被告人A、B、Cを各懲役三年六月に被告人A´B´を各懲役二年六月に被告人E、Dを各懲役二年に被告人B”、H、Iを各懲役一年六月に処す。被告人C、B´、Eに対しては未決勾留日数中孰れも六十日を右本刑に算入す。
被告人B”、H、Iに対しては三年間右刑の執行を猶予す。

理由
被告人Cは昭和五年十一月頃より中華民国上海に於て其の雇入に係る婦女をして同地駐屯の帝国海軍軍人を顧客として醜業に従事せしめ居たるところ昭和七年一月所謂上海事変の勃発に因り多数の帝国海軍軍人の駐屯を見るに至りたるを以てかい軍指定慰安所なる名称の下に従来の営業を拡張せんことを欲し予て知合の亡Fに該意図を告げ同人の紹介に依り同年三月七日頃上海文路江星旅館に於て被告人A、Bの両名に面談して右の企図を諮り之が賛同を得茲に被告人Cに於て家屋其の他の設備を提供しF及被告人Aの両名に於て該営業所に於て醜業に従事する日本婦女を日本内地に於て雇入れ移送することを担当し被告人Bに於て之が雇入資金を供給することを約すると共に婦女雇入に際しては其の専ら醜業に従事するものなることの情を秘し単に女給又は女中と欺罔して勧誘誘惑して上海に移送せんことを協議しFに於ても直ちに之に賛同すると共にB等の旨を受けて長崎市なる被告人Bの妻なる被告人B´に右の協議内容を通知して雇入方を求めB´は其の旨を被告人Aの妻なる被告人A´及被告人Dの両名に通ずると共に被告人A´との間には之が実行を両名に於て分担すべき旨の協議を遂げ次で被告人Dとの間には前記B等の協議せる方法にて雇入るべきことを謀議し居たるが更に同月十四日被告人Bに於て長崎市に帰来するや直ちに同市内なる同人方に  G及被告人A´を招致し同人等並被告人B´の三名に対し前記上海に於ける協議の結果を告げて婦女移送方を促し同人等も之に賛同の上被告人B´に於ては同年三月下旬頃被告人B”、H、及同人を介して被告人Iの四名にG及被告人A´においては同月十四日頃被告人Eに夫々前記B等の協議せる方法に依り婦女を誘拐して上海なる前記慰安所に移送せんことを諮り同人等も之に賛同し

第一、被告人A、B、C、B´、A´の五名はFと共謀の上(以下事実を例示するに当りては右被告人五名及Fを単に被告人A等六名と略称す)
(一)被告人B´に於て同年四月初頃長崎市内なる同人方に於て    に対し行先は兵隊相手の食堂なる旨虚言を構へ且祝儀等に依る収入一ケ月二、三百円位ありと甘言を弄して上海行きを勧めて同女をして其旨信ぜしめて之を誘惑し
(二)被告人A´に於て前同日頃同市    被告人E方に於て    に対し行先は食堂の女給にして客を取る要なしと詐言を構へ且百五十円位を前借するも二、三ケ月にて完済し得て尚毎月五十円位親許に送金し得る旨甘言を以て上海行を勧説して同女をして其旨信ぜしめて之を誘惑し

第二、被告人A等六名Gは共謀の上Gに於て同年五月初頃長崎県北高来郡    方に於て同人に対し一年居れば内地の三年乃至五年分の儲ある故二女    を上海駐屯の帝国軍隊の酒保の如き所の売子として奉公せしめては如何と詐言並甘言を構へ同人より之を聞知せる    をしてGの言通りの事実なりと信ぜしめて之を誘惑し

第三、
被告人A等六名並被告人Dは共謀の上Dに於て
(一)同年三月十日ごろ長崎県西彼杵郡
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