この人は悪口を言わずに何かを語れないのだろうか、というのが引用を並べてみた感想。明治時代の文章をよく知っているわけではないが、この人のあからさまな蔑視は当時の文章としてもちょっと度が過ぎているのでは、と思うほどだ。2018年産経記事で「慶応大は平成8年度から毎年、入学式で全新入生に『福翁自伝』を配布する。」とあるが、これは蔑視表現もそのままにして配っているのだろうか。

福沢全集緒言

仏蘭西にては唯印紙を張れば手紙は恰も独りで先方に届く・・・成程旨い通信法なりと独り感心したるは他なし今日我国一般に行はるゝ郵便法なり。其他病院、貧院、盲啞院、癲狂院、博物館、博覧会等目に観て新奇ならざるものなく、其由来其功用を聞て心酔せざるものなし。其有様は恰も今日朝鮮人が始めて日本に来りて観る毎に聞く毎に驚くの情に異ならず。朝鮮人は唯驚き去る者多けれども当時の吾々同行の日本人は驚くのみに止まらず、其驚くと共に之を羨み之を我日本国にも実行せんとの野心は自から禁じて禁ず可らず、即ち余が欧羅巴滞在一箇年の間、・・・(57頁)

維新の有志輩が事を断ずるに大胆活発なる其割合に、字を知ることは甚だ深からず仮令ひ或は之を知るも之を無頓着に付し去り、一片の武士道以て報国の大義を重んじ、苟も自国の利益とあれば何事に寄らず之を従ふこと水の低きに就くが如く・・・日本士人の脳は白紙の如し、苟も国の利益と聞けば忽ち心の底に印して其断行に躊躇せず、之を彼の支那朝鮮人等が儒教主義に養はれ恰も自大己惚の虚文を以て脳中縦横に書き散らされたる者に比すれば同年の談に非ず。(60頁)

福翁百話

世は澆季ならず(八十六)
野蛮を去ると数等の高地位に居て半開の名を付すべき支那朝鮮の国情を視察しても亦然り。彼の国人等は口に仁義を唱えて身に不仁不義を行ひ、治者と被治者と相対して上下の境界を劃し、政権の帰する処即ち利益の集る処にして、最上の執権者が国民を奴隷視するは無論、国中の草も木も君主の私有にして、普天の下率土の浜、恰も身辺の玩弄物に異ならず。然り而して彼の野蛮人種は時代の最も古き者にして、支那朝鮮等の如きは頗る澆季に至り乍ら尚ほ古色の濃きものなり。(302頁)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/781923/163

福翁自伝

・・・航海術の伝習を始めてから五年目にして夫れで万延元年の正月に出帆しやうと云ふ、其時少しも他人の手を藉らずに出掛けて行かうと決断した其勇気と云ひ其伎倆と云ひ、是れだけは日本国の名誉として世界に誇るに足るべき事実だらうと思ふ。前にも申した通り、航海中は一切外国人の甲比丹ブルックの助力は仮らないと云ふので測量するにも日本人自身で測量する、亜米利加の人も亦自分で測量して居る、互に測量したものを後で見合せる丈けの話で決して亜米利加人に助けて貰ふと云ふことは一寸でもなかった。ソレ丈けは大に誇ても宜い事だと思う。今の朝鮮人支那人東洋全体を見渡した所で、航海術を五年学で太平海を乗越さうと云ふ其事業其勇気のある者は決してありはしない、ソレ所ではない昔々露西亜のペートル帝が和蘭に行て航海術を学だと云ふがペートル大帝でも此事はできなからう。仮令ひ大帝は一種絶倫の人傑なりとするも当時の露西亜に於て日本人の如く大胆にして且つ学問思想の緻密なる国民は容易になからうと思はれる。(181頁)

酒は固より好きだから朋友と酒を飲みに行くことはある、ソンな時には金も入りますが、唯独りでブラリと料理茶屋に這入て酒を飲むなぞと云ふことは仮初にもしたことがない。ソレ程に私が金を大事にするから又同時に人の金も決して貪らない。ソリャ以前奥平家に対して朝鮮人を気取たのは別な話にして、其外と云ふのは決して金は貪らないと自身独立自力自活と覚悟を決めました。(425頁)

私が中津藩に対する筆法は金の辞退どころか唯取ること許り考へて、何でも構はぬ取れる丈け取れと云ふ気で一両でも十両でも旨く取出せば何だか猟に行て獲物のあったやうな心持がする、拝借と云て金を借りた以上は此方のもので返すと云ふ年は万々ない、仮初にも自分の手に握れば借りた金も貰た金も同じことで後の事は少しも思はず義理も廉恥もない、其有様は今の朝鮮人が金を貪ると何にも変たことはない。嘘も吐けば媚も献じ、散々なことをして藩の物を只取らう取らうとばかり考へて居たのは可笑しい。其二三ヶ条を云へば小幡其外の人が江戸に来て居て(441・442頁)

私の心の変化は恐ろしい、何故に以前藩に対してあれほど卑劣な男が後に至ては折角呉れようと云う扶持方をも一酷に辞退したか、辞退しなくっても世間に笑ふ者もないのに打て変た人物になって、此間まで丸で朝鮮人見たような奴が恐ろしい権幕を以て呉れる物を刎返して、伯夷叔斉のような高潔の士人に変化したとは何と激変ではあるまいか(448頁)

福翁百餘話
独立の孝(十)
近く実例を示さんに支那朝鮮にては孝を百行の本と称して之を言うこと喧しく、孝の一言向ふ所に敵を見ず、人間万事孝を以て始まり孝を以て終るの主義にてありながら、其実際の底を叩けば世界中不孝者の多きは支那朝鮮に限ると言ふも過言に非ず。無数無量の実例を挙るは誠に容易なれども之を略し、今日近く朝鮮国王父子の間柄を見ても証拠は十分なる可し。斯る孝道国にして斯る不孝の行はるゝは何ぞや。(40頁)

国会の前途

中央の命令常に能く行はれて執政者の跋扈したることなし、平均の妙を得たるものと云ふ可し。古来支那朝鮮人などの思ひ得ざる所にして之を発明したる者は東洋唯我徳川家康公あるのみ。(17頁)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/783092/10

時事小言

今西洋の諸国が威勢を以て東洋に迫る其有様は火の蔓延するものに異ならず。然るに東洋諸国殊に我近隣なる支那朝鮮等の遅鈍にして其勢に当ること能はざるは木造板屋の火に堪へざるものに等し。故に我日本の武力を以て之に応援するは、単に他の為に非ずして自から為にするものと知る可し。武以て之を保護し文以て之を誘導し速に我例に倣て近時の文明に入らしめざる可らず。或は止むを得ざるの場合に於ては力を以て其進歩を脅迫するも可なり。輔車相依り唇歯相助るとは同等の国と国との間には通用す可しと雖ども、今の支那朝鮮に向て互に相依頼せんことを望むは迂闊の甚しきものと云う可し。何ぞ之を輔と為し又唇と為すに足らんや。今日の要は何等の方便を用ゆるも、唯これを誘導して我と共に運動を与にする程の国力を附与し以て其輔たり唇たるの実効を奏せしむるに在るのみ。(211頁)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/783137/120