細井平洲「嚶鳴館遺草 巻1-5」1910年(明治43)※細井は1728~1801

或時又々例のふぐを買求め候て一家内打寄存分にたべ候処果して毒にあたり…ふぐの毒を解し候には人糞が妙薬と申候て糞を用ひ候へば暫過候て是は仕合によみがへり申候

春田国男「違式註違条例の研究-文明開化と庶民生活の相克-」

では以上2種類の目的を有した禁令が,明治5年より6年11月の違式註違条例の布告に至るまで,大分県の場合はどのように実施されたであろうか。以下第一,第二に分けて具体的な規制を示してみよう。

①祭礼等の制限・規制
②保健衛生等生活改良の奨励・規制
明5.6.1
庁下市中掃除云々達し
・・・然に当市中の義は通水無之道傍に汚泥たまり且掃除のおろそかなるより塵芥つもりて随て蚊蠅も多く生じ不潔の事少からず当地に小児乳を吐の一種の病あるは之がためなるも測がたし故に・・・
附り 便所の設少きより往々の義も有之候条障無之所へ取設覆をいたし不見苦様可致事

明6.8.15
無蓋の糞桶云々旧県々城下へ達し
市中無蓋の糞桶を運搬し或は番頭体の者裸体にて来客に応対し或は婦人粗衣にして途上を徘徊し又は店頭へ午睡し或は往来へ向け大小便致さする等の義は総て野蛮の風習にて今日街上に有之間敷事に候追々違式註違条例可及布告候へども差当り右等の醜行は速に相改め可申事に付一統末々まで心得違無之様告諭可致事」(40頁)

東京日日新聞1898年3月29日
各地短信
全市を通じて人糞だらけ(仙台便)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1920411/1/128

宇都宮市水道百周年 下水道五十周年史
3編「宇都宮の下水道の歴史」 
1章「明治期における衛生と下水道」
https://www.city.utsunomiya.tochigi.jp/josuido/jigyo/ayumi/1013818/index.html
より以下抜粋

 コレラ流行にあたって、当時の宇都宮における下水事情はどのような状況だったのだろうか。次に紹介する記事は、宇都宮の下水事情を記したもっとも古い新聞記事のひとつである。
 今日顧みて当地の有様を見来れば、下水の腐敗、家廻りの不潔、就中馬場・池上・伝馬の如き、甚しきは、なみなみ盛り溢れんとする小便桶をば自家軒下の溝の中へ流し込み恬として意とせざるものあり、宜なり全町を通じて右三ヶ町最も該患者の多きなり(明治16年6月14日『栃木新聞』)(278頁)


宇都宮市中の小田町宮島町小門町寺町等及び接続東塙田町ハドブの掃除甚はだ行届かず、往来の通行にも胸のわるく成る許りなり。偶々塵芥を浚へ出せば路傍に積置くなと最も不潔なり。何とか法のありそうナものならずや(明治20年5月24日『下野新聞』)(278頁)


 明治44(1911)年9月19日の『下野新聞』には、宇都宮を初めて訪れたという人物の言葉が掲載されている。
当市は悪臭の市といつてよい(中略)煤烟の臭、馬糞の悪臭、溝渠の泥臭等宇都宮市は悪臭の市街たるを免れぬ。当市は小路、細路が極めて多く、外来者は大に魔誤つく(中略)目抜の大通りてさい所々馬糞累々、小路は馬糞の岳、人糞の軟蛇、排水溝の汚物填充、孑孑(※ボウフラ)の浮遊する腐敗泥土、山と積む塵埃、是等の臭気が湿気とコンからカツて鼻を衝き、美を好む眼に射込むからだ(中略)此の大通に馬糞の転々してゐをのか乾燥して一陣の風に砂塵と共に美々しく飾れる店頭、賓客、尊老に供し、覚児に与ふる菓子類の上にも散乱する、之れを市民は平気でゐる(281頁)
https://www.city.utsunomiya.tochigi.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/013/818/kinensi16.pdf

佐々木月樵「犠牲」1913年(大正2)

曾て、巣鴨郊外を散歩した。・・・その後、また巣鴨の公害を散歩して、私は百姓衆の畑に出て働いて居るのを見た、その時、先づ私を驚かしめたのは、若い青年も、また、まだうら愧(はづ)かしげなる嫁さんも、手づから人糞の肥料を桶から、つかみ出しては畑の畝にうめて居るのを見たのである。その臭気といふたら、到底近くことも出来ぬ程であった。が、御当人達は一向気にもかけずに、之を手につかみては、野菜や植木の根にうめて居るのである。思ふて見れば、毎日午前十時頃、東京小石川から巣鴨へかけての板橋街道は、雨がふらうが、天気であらうが、肥桶の車がつゞいて居る。時々、黄金の花が地上に咲きて、道行く人は進退きはまる時もある。(75頁)

中沢忠太郎「学校衛生に関する実際的研究」1914年

農村の衛生状態につきて一言せんか、毎年伝染病患者が続出する、予防法、消毒の手段は姑息である。隠蔽するものも少からずある、上流にて腐敗物や、有毒物を洗ひ流して平然たるものもある、道路も川流、溝渠の如きも不潔なるが多い、各自が我が家庭に近属する溝渠すら浚はぬ有様なれば、公共の河川や溝渠などは中々清潔にしない、至る所の道路に人糞や馬糞、さては悪水汚泥が散在して居る、これらに対する適当の清潔法が実施されていない。
 都市の衛生の如きやゝ面目を改めつゝありと雖もまだまだ不完全である。道路は不潔にして、砂塵が堆積し、風ある日には砂烟りを揚げるといふ始末、汚水、泥濘道路を埋むるのみか、往々人糞や馬糞が取片付けられないで堆積してゐる、水道の敷設せられたるところはよろしいが、往々汚濁せる川水を飲用に供したり、不純なる井水を飲んでゐるものがある・・・試みに衆人の会合する際に於ける、各人の衛生的注意如何と見るに、不潔汚醜の服装をなして稠坐の中に出づるはまだしも、咯𠻪は処嫌はず放出するあり、大小便所の不潔、飲用水を汚濁ならしむるやら、其他衆人の嫌忌するやうな、様様な非衛生的のことを敢てしてゐる。(338-340頁)
https://dl.ndl.go.jp/pid/939649/1/177

小沢卯之助「実際的体育衛生講話資料」1914年

怖る可き吸血虫 渡米邦人に悲劇を見せる十二指腸虫、
北米合衆国政府が渡米邦人に対して、従来厳重なる健康診断を行ひ来りたるは世人の知れる処なるが、最近に至り更に十二指腸虫に襲はれ居る者は絶対に上陸を許可せずと布達し、邦人の渡米するものをして大なる痛苦を感ぜしめ、殊に彼の写真見合などにて結婚し、遥々渡航せしものにして此の病の為めに上陸を拒まれ、未だ見ぬ夫に逢はぬ別れの憂目を見る者益多きに至らんとせるが、・・・右に就き本病の専門家たる神田淡路町の杉山胃腸病院長は語るらく「・・・虫が如何にして発生したかは未だ判明せぬが、之を伝播して今日に至らしめたのは、人糞肥料が原因である、・・・依って渡米するとせぬとに関らず、該虫の被害を免れんとするには
果実や野菜の洗滌を好くし、必ず皮を剥くか煮るかして食ふ事にしなければならぬ」、と(284-286頁)
https://dl.ndl.go.jp/pid/939651/1/151

皇国青年団本部「皇国之青年」1916年

渡米青年は多くは罹病者
 近来農作に従事する青年にして此病気に罹って居る者多く、米国辺に出稼に行って、上陸すべき土地を眼前に望みながら空しく追返さると云ふ悲惨な目に遭ふ青年は少くない。神戸、長崎、横浜等の三開港場から米国に渡航する者は、毎年一万人の多きに上って居るが、開港場で検査の結果其の三分一即ち三千人は十二指腸虫に罹って居ることが証明せられた。之は単に一部分の話で、外国に行かず、内地に有って殖産興業に従事しつゝある青年の間には、著しく蔓延して居るのである。
 今日日本全国に於て此病が如何なる割合で青年を侵して居るか正確なる調査はないが、各方面に於て調査した所に依ると蔓延の甚だしいことが分る。例へば海軍の水兵の如きは最も少なかるべき訳なものであるのに、約百人の中に九人が十二指腸虫に侵されて居る。又小学校の生徒や青年団に就て調査した成績を見ると或土地では其感染率が四十乃至五十プロセントであり又甚しい場合では全村の住民の九十プロセントが此十二指腸虫に侵されて居るものさへある。又以て日本に於て如何に甚だしく此病が拡がって居るかを察し得らるゝである。
・・・概して日本では人糞を肥料として田畑に用ゆるから、自然十二指腸〔ママ〕が全国に蔓延し田園に生活する同胞を最も多く犯すのである。(32-33頁)
https://dl.ndl.go.jp/pid/925143/1/25

藤井亀若「西宮現勢史」1916年

衛生の状態
北方を東に繞って流るゝ糞色の小川と東方を流るゝ東川の水には有機物の存在が夥しい之等の川の流れに沿ふて居る借家住居の井戸水を御覧なさい下水排泌の設備がないから此川口の悪水が皆んな井戸水に滲み混んで井戸の水面は赤黒い泡が浮き立って居る之を一見した丈けでも戦慄粟を生ずるではないか只管に此地方許りではあるまい町内到る処此の感ある処は蓋し夥多しいであらう幾許塵や芥を焼いたとて清潔法に力んだからッて有機物混入の水を呑んで居ては何時か一大事の突発も図られない・・・街路でもサウだドノ道もドノ道も(但し本町通りはせめてもの)公衆便所や街燈の設備が不足の為めに街路は小便と人糞で泥濘をなして居る(13頁)
https://dl.ndl.go.jp/pid/948400/1/21

青年団中央部編「青年団指導」1918年

青年と保健 内務省衛生局長 中川望氏
宮入博士は保健調査会員で九州大学に居らるゝ方であるが、同博士に依頼して山梨県に於ける日本住血吸虫病流行地たる甲府付近の盆地の実地調査をして貰った。・・・それで宮入博士は之れを防ぐには貝を採って仕舞ふことゝ、一には野糞を禁止することであると言はれて居る。一方から云ふと牛馬の糞の始末もせねばならぬのであるが、差当ては先づ人の野糞といふ習慣を止めねばならぬ。
https://dl.ndl.go.jp/pid/940113/1/149

富山房編輯局編「戦後の研究百人一話」1918年

市内の人糞を肥桶で市外に運び出し、畑の野菜に澆ぎ掛け、それを水で一寸洗って、直ぐ食膳に上ぼせる抔(など)は、実は危険極まる話である。

先年来遊したコッホ氏が此耕作法を見てから、日本滞在中サラダを口にせなかったと云ふ事を聞いたが嘘ではあるまいと思ふ。此一時丈けでも、国民の衛生思想の幼稚なることが分かる。
 外国の大使公使等の新に日本へ着任した者は、東京市内を初め日本全国に腸窒扶斯(腸チフス)及赤痢患者が瀰漫して居ることを聞いて戦慄すると云ふことであるが、斯の如きは実に日本人として慚愧に堪へないことである。(530頁)
https://dl.ndl.go.jp/pid/957410/1/284

茅原華山「日本国民経 : 一名・立正再造論」1921年

日本はトラホームの国である。之が為めに日本の移住民は外国に移住するのを拒絶される。日本の或医学士はトラホーム療法を研究せんが為めに独逸に行ったが、独逸にはトラホームがなかった為に其目的が達せられなかったといふ。現に独逸の或大学ではトラホーム患者が珍らしいので、特に大学の費用で之を養って置き、学生の実地研究に供すといふことである。日本国民の潔癖といふは迷信的、因襲的であって、毫も科学的の痕跡がない。トラホームは野蛮病であって不潔病である。
 日本は十二指腸虫の国である。農民にして十二指腸虫が其の腹に巣食ってゐないものはない位だといふ。日本にして人糞を其儘肥料にすることを廃さない限り、農民の間に十二指腸虫の種は絶えまいと言ふことである。・・・
 日本は脚気病の国である、リューマチスの国である。花柳病の蔓延も亦実に甚だしきものがあって、六〇六号(※梅毒の特効薬サルバルサンの俗称)の発見は寧ろ其の蔓延を助長したかも解らない。無心の中学生で花柳病に罹ったことを新入生に自慢するものあるに至る。そして日本は肺病に於て世界にレコードを作って居る。欧米に在っては近年著しく患者の率を減じてゐるが、日本では若い女が之が為めに斃れて、其の数が男子よりも多いのである。・・・廉い賃銀と粗末なる食物と長い労働時間とに虐げられて、製糸工場や紡績工場に働いてゐる女は数を尽して肺病に為るのである。肺病に為って工場から追ひ出される。それが各郷里に帰って健康の住家とされたる山村水廓の間に肺病の黴菌を蒔き散らすのである。日本の女の死亡率が西洋では希臘羅馬以来、絶えてない程に多いのは即ち之が為めである。現に飛騨の高山方面では全村肺病の為めに全滅した村落があるといふ。全滅といふは全村落肺病患者ならざるはなしといふことである。農商務省の調査する所だといふを聞くに、今日の勢ひを以て進めば、十余年の後、製糸紡績工場は女工を補充することが出来なくなるといふことだ。孰にしても毎年肺病で無能になる女工を補充するにニ十万人を要すといふのである。・・・或米人が其の著書に明言して居った、何故に日本が亜細亜の市場に於て独英米の諸国と競争することが出来るかといふに、そは女を犠牲に供しつゝあるからであると。(152-157頁)
https://dl.ndl.go.jp/pid/931041/1/85

日本放送協会関東支部編「ラヂオ講演集 第11輯」1927年(昭和2)

井口乗海「家庭に於ける野菜取扱上の注意」
私共は農家の方に向ひまして成べく「大便、小便を肥料溜の中に於いて腐らせてから野菜に注ぎかけて貰ひたい」と云ふ事を希望して居るのであります。其理由は大便、小便が腐敗すればするほど「チフス」菌のやうな危険な黴(ばい)菌が死滅するからであります。又次には此人糞を野菜に注ぎまして少くとも一週間経ちましてから市場に出して貰ひたいと云ふ二つの希望を述べて居るのでござゐます。所が現在農家でやって居りまする状態を見ますと、此市街地から汲取って参りました人糞を其儘、即生肥の儘野菜に注ぎかけて居る事実が沢山あるのでござゐます。それ許りではなく其野菜を畑から取って参りまして、市場に売出す前に土を落す前に洗ふのでござゐますが、其洗ふ場所たるや「用水堀」即少しも水の流れない溝(どぶ)川のやうな所で洗って居るのであります。又其野菜に此溝(どぶ)水を注いで居る態(さま)を見ますると、現に肥料溜に使って居りまして無論人糞の沢山付いて居る「肥柄杓」を用ひてゐるのであります。
 其上に一層甚しいのは今日生肥を汲んで来た肥料を用水堀で洗って、其水で野菜を洗ひつゝあるのが普通で御座います。
 それから野菜と肥料桶とは一緒に用水堀につけて居るのを私共は度々見受けまするが如何なる人も此甚しい私に言はせますると寧ろ乱暴の取扱の状況を目の前に直視致しましてはとても野菜を食ふ気にはなれないであらうと思ひます。是は唯々気持が悪いと云ふ感情の問題ではなくして、・・・
 我が日本の国に於きましては、現在市街地は勿論の事、山紫水明の片田舎に於きましても随分に腸「チフス」の流行を見てゐるのでござゐますが、此警視庁管内に於きましても昨年、即ち大正十三年に於きまして腸「チフス」の患者の数が九千六百五十七名、さっと一万を数へたのであります。・・・実際は是の二倍を数へたであらう、即約二万人の腸「チフス」患者があったらうと云ふ人は此方面の関係者が何れも頷いて居る事実であります。此二万人の患者とそれから世界には「伝菌者」と申しまして達者でありながら「チフス」菌を身体の中に有って居るり、それを大小便にどんどん出して居るやうな人も随分に沢山あるのでござゐます。・・・而して「チフス」菌の沢山混入してゐる所の人糞は何等消毒されずに其儘農家に運ばれまして、前に申し上げましたやうな工合(ぐあひ)に、生肥の儘野菜に注がれ、又野菜を洗滌するにも其恐るべき「チフス」菌が野菜の上に注がれてゐるやうな取扱ひ方をされてゐるのであります。(126-128頁)

釈瓢斎「天声人語」1927年(昭和2)

丹波大本教の膝許に、小倉瀧蔵氏なる郡長氏あり、管内壮丁の劣弱を憤り、寄生虫に着眼し、一村の学童を検便すると、驚くべし八十パーセントの保卵者をえた、(65頁)

江馬春齢, 高木精作 共著「小学校学年別体育衛生講話の実際」1927年(昭和2)

回虫はどうして腹の中に発生するかといふに、日本では人糞を肥料として野菜に用ゐる、その人糞のうちに混じてゐた回虫の卵が野菜に付着する、その卵の付着したまゝの野菜を食すると、腹の中で回虫が発生することになるのである、また犬猫を可愛いがると自分の手に回虫の卵がついてそれが不知不識のうちに口の中へはいることがある。(18頁)

宮武省三「習俗雑記」1927年

日本人はまた支那人と同じくよく野糞を垂れる癖がある。(89頁)
京都人は便所で使用した紙をも反古籠に投じ後之を売る慣習在て其始末な点に於ては支那人糞喰へである。(92頁)

茅原廉太郎「韜晦以後茅原華山文集」1929年

日本国民は平気で生の人糞を肥料に使ひ、その結果日本国民の八割は幾多の腹部寄生虫を抱いて、平気の平左衛門で居る。(409頁)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1157207/1/216

増田義一「処世新道」1929年

欧米に比較すると日本ほど臭い所はない。・・・最も堪まらないのは辻便所の臭気で、更に甚だしきは人糞車の行列である。世界何れの都会にか人糞を運搬する所があらう。糞尿は皆地下鉄管の下水で流すから人糞の臭気などする所は絶対にない。此一事はいかにも不体裁で野蛮視せられても弁解の辞がない。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1189685/1/74

毛利正人, 平野日宗「図解建築と家相」1932年

尚一つ困るのは百姓が人糞を肥料にかけることで、田園的の楽しみを得やうとして、夏の夕方など、庭の涼しい所へテーブルを拵へて、楽しくそこで晩餐を取らうとすると、近所の畑に百姓が肥(こやし)をかけ初め、折角の御馳走も全く駄目になることがあるのです。特に大きな邸が別荘地なら兎に角、一般の田園生活にはどうしても下肥の臭気を嗅がないやうにし難いのは困ったものであります。(306頁)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1173932/1/163

茅原華山 [述]「日本の女性に告ぐ : 一名 モダーン女大学」1934年

驚くことには、日本の御母さんは其小児の腹に虫が一杯巣食って居ても、一向平気なことである。・・・小児の腹に虫が湧くのは、生の人糞を野菜の肥料とするからである。(70-71頁)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1054795/1/39

瀬川杢四郎「二つの都市」1936年

実は昨日、稲村ケ崎の借家を引払って鎌倉塔の辻の貸別荘へ引き越した外見は赤屋根、家は広し、仲々堂々たる別荘構へ。所が此処に一つのうるさい問題が起った。曰く「便所」と「風呂」だ。日本の家はどんな立派そうな邸宅へ入っても、入戸一歩、プンと来るのが何んと、子供時代の懐しい便所のにほひ、よく聞くことだが、自分達の排泄物を御生大事に家の中にためてをくのは日本人だけだと云ふ話し。併し自分の経験では、それは必ずしも日本人ばかりではないが、兎に角外国住ひをしたことのあるバタ臭児には、日本の借家住ひは相当つらい、一日中便所のにほひをかぎながら寝起きをしたり、御馳走を戴いたりする。それに「風呂」が「便所」とお隣り同志では、折角の温い入浴も、さしずめくそだめに入った様な感じしか出まい。(119-120頁)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1222701/1/66

「最新小学校青年学校講話掲示資料集成」1936年

日本人は児童と大人を問はずその百人の中二十人から多いのは八十人といふ風に回虫の卵をもって居るのは何故であらうか。それは日本人は野菜を食べ、そしてその野菜に人糞肥料を用ゐるからである。(320頁)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1462228/1/169

内閣等編「国民精神総動員資料 第10輯」1937-38年

我国では人糞肥料を野菜に用ひる関係上、市販の野菜でも、一見清潔に見えても肉眼では見えない寄生虫卵が相当沢山に付着してゐる。従ってかうした野菜は一寸水洗した丈けでは卵は洗ひ去ることが出来ないから、これをサラダとしたり、漬物にしたりして食べると寄生虫病に罹ることになる。回虫や鞭虫などは専らこの方法で感染するのである。(17-18頁)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1266423/1/12

田村霊祥「おまかせと人生」1942年

千葉県のKさんは国民学校の先生の妻君です。最初は何でも穢ないと思ふ潔癖から来たのですが、大便が恐ろしいといふ強迫観念でした。・・・私はいってやりました。
「そんな下らない病気に苦しむなんて、それは大体我儘から起ることです。大便が何が恐ろしいころがありますか。仮に糞なんか付いてゐたからって、いゝではないか。百姓なんか人糞を手掴みにして作物に肥料として用ゐています。(175-176頁)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1055495/1/99

高木友三郎「よりよき人生よりよき生活 : 幸福への道」1953年

回虫はむろん人糞肥料にあるが、同じ野菜の生食でも回虫のわかぬ人もある。(58頁)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2973238/1/41

仁戸田六三郎「日本人 : 新しい反論の角度から」1957年

旧式な台所に電気洗濯機だけが存在するのも日本人にとって不思議でない。また高層ビルの側に人糞桶がいくつも置かれてあっても、日本人は不自然に思わない。(268頁)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2969246/1/138

林忠彦「カラー日本百景」1964年

東北といっても、とくと裏日本あたりの農村や山々を歩く、・・・化学肥料といった当世風の金肥は使えない。天思自然の人糞肥料のなかに種をまぜあわせて、手でパッパパッパと播き散らす。それが汚いとか非衛生的だとかいってはおられない。それほど、生活をすることがきびしいのである。(176-177頁)
https://dl.ndl.go.jp/pid/3038074/1/92

「上田小県誌 第3巻 (社会編)」小県上田教育会 1968年

このころ(※明治から大正)の農民の労働のようすを「和村誌」から引用すると、
「・・・麦まきは『振り肥』というのをやった。田の処々に、よく腐熟した堆肥をおいて、これに生々しい人糞尿と種子を入れ、切れるような冷たさに耐えつつ、足で踏みまぜ、どろどろになったのを肥桶になげ込み、手縄を首にかけ、桶を横だきにして、畦毎に手でピシャリ、ピシャリと振りつけていくのである。これは、麦の生え口がよく、しみぬけないためで、これをやらない者は惰農といわれた。しかしこれも大正なかばには、もうすたれていた。(478-479頁)