「復命書」とは出張報告書である。内務省嘱託小暮泰用が内務省管理局長に提出したもの。
復命書
嘱託 小暮泰用 
依命小職最近の朝鮮民情動向並邑面行政の状況調査の為朝鮮へ出張したる処調査状況別紙添付の通りに有之 右及復命候也
昭和十九年七月三十一日
管理局長竹内德治殿

目次
一、戦時下朝鮮に於ける民心の趨勢 殊に知識階級の動向に関する忌憚なき意見
二、都市及農村に於ける食糧事情
三、今次在勤文官加俸令改正の官界並に民間に及したる影響
四、第一線行政の事情 殊に府、邑、面に於ける行政浸透の現状如何
五、私立専門学校等整備の知識階級に及したる影響
六、内地移住労務者送出家庭の実情
七、朝鮮内に於ける労務規制の状況並に学校報国隊の活動状況如何

一、戦時下朝鮮に於ける民心の趨勢 殊に知識階級の動向に関する忌憚なき意見
・・・兎に角朝鮮に於ける民心の動向、思想界の傾向が最近特に大東亜戦争後激しい変り方を見せて居ることは事実であって、私が今回朝鮮に出張して調査した個人的考へからこれを結論として端的に言ふならば朝鮮の思想傾向は一般に大衆的には非常に良くなって居る。然し以上述べた様に多少悲観的傾向のあることも事実である、故に私は今回現地に於て各層階級人と直接会ひ語った資料と対象して楽観論と悲観論と云ふ二つの分野に於て見た儘、聞いた儘の事実を纏めて復命することにする、・・・左に参考の為京城に於ける有志懇談会席上に於て朝鮮人有志の希望する所の要点を記述することにする、尚出席者は左の通りである。
日時 昭和十九年六月十七日午後五時
場所 京城府 白雲荘
出席者 荒木民政課長
      小暮嘱託
      坂手属
      毎日新報編集局長 鄭寅翼
         〃 社会部長 洪鐘仁
      毎日新報社社会次長 金村承燾
      人文社代表 石田耕造
      京城拓殖経済専門学校教授兼生徒監 玉岡璿珍
      宗教家 李重宰
      京城弁護士会副会長 姜柄順
      実業家 李晟煥
右記各有志から席上希望として述べられた要点の内主なる項目のみを挙ぐれば
(ヘ)今後朝鮮より供出する労務者は従来の如き募集又は官の強制斡旋方法を改め指名徴用制を速かに実施すること

六、内地移住労務者送出家庭の実情
 従来朝鮮に於ける労務資源は一般に豊富低廉と云はれてきたが支那事変が始って以来朝鮮の大陸全身兵站基地としての重要性が非常に高まり各種の重要産業が急激に勃興し朝鮮事態に対する労務事情も急激に変り従って内地向の労務供出の需給調整に相当困難を生じて来たのである、更に朝鮮労務者の内地移住は単に労力問題にとどまらず内鮮一体と云ふ見地からして大きな政治問題とも見られるのである。
 然し戦争に勝つ為には斯の如き多少困難な事情にあっても国家の至上命令に依って無理にでも内地へ送り出さなければならない今日である、然らば無理を押して内地へ送出された朝鮮人労務者の残留家庭の実情は果して如何であらうか、一言を以て之れを云ふならば実に惨儋(さんたん)目に余るものがあると云っても過言ではない。
 蓋(けだ)し朝鮮人労務者の内地送出の実情に当っての人質的掠奪的拉致等が朝鮮民情に及ぼす悪影響もさること乍ら送出即ち彼等の家計収入の停止を意味する場合が極めて多い様である、其の詳細なる統計は明かではないが最近の一例を挙げて其の間の実情を考察するに次の様である・・・

七、朝鮮内に於ける労務規制の状況並に学校報国隊の活動状況如何
 従来朝鮮内に於ては労務給源が比較的豊富であった為に支那事変勃発後も当初は何ら総合的計画なく労務動員は必要に応じて其の都度行はれた、所が其の後動員の度数と員数が各種階級を通じて激増されるに従って略大東亜戦争勃発頃より本格的労務規則が行はれる様になったのである。
 而して今日に於ては既に労務動員は最早略頭打の状態に近づき種々なる問題を露出しつつあり動員の成績は概して予期の声価を納め得ない状態にある、今其の重なる点を挙ぐれば次の様である。
(イ)、朝鮮に於ける労務動員の方式
凡そ徴用、官斡旋、勤労報国隊、出動隊の如き四つの方式がある。
徴用は今日迄の所極めて特別なる場合は別問題として現員徴用(之も最近の事例に属す)以外は行はれなかった、然し乍ら今後は徴用の方法を大いに強化活用する必要に迫られ且つ其れが予期される事態に立到ったのである。
官斡旋は従来報国隊と共に最も多く採用された方式であって朝鮮内に於ける労務動員は大体此の方法に依って為されたのである。
又出動隊は多く地元に於ける土木工事例へば増米用の溜池工事等への参加の様な場合に採られつつある方式である、然し乍ら動員を受くる民衆にとっては徴用と官斡旋時には出動隊も報国隊も全く同様に解されて居る状態である。
(ハ)、動員の実情
徴用は別として其の他如何なる方法に依るも出動は全く拉致同様な状態である
其れは若し事前に於て之を知らせば皆逃亡するからである、そこで夜襲、誘出、其の他各種の方策を講じて人質的掠奪拉致の事例が多くなるのである、何故に事前に知らせれば彼等は逃亡するか、要するにそこには彼らを精神的に惹付ける何物もなかったことから生ずるものと思はれる、内鮮を通じて労務管理の拙悪極まることは往々にして彼等の身心を破壊することのみならず残留家族の生活困難乃至破滅が屡々(しばしば)あったからである。
アジア歴史資料センターhttp://www.jacar.go.jp
【レファレンスコードB02031286700
労務者強制労務者強制2労務者強制3
国民徴用令の朝鮮半島への適用は1944年9月だというが、どうやらそれ以前から強制の実態があったらしいことになる。しかし「強制斡旋」とはうまい表現で、本音と建前がこの4文字に凝縮されておりつまり図らずも絶妙な日本文化要約となっている。外国人に日本文化を紹介する際はこの一語で用が足りるのではないか。 


別の資料
[文献名] 座談会 朝鮮労務の決戦寄与力
[収録雑誌] 大陸東洋経済 [作成年月日] 1943 年 12 月 1 日 ただし座談会開催は 1943 年 11 月 9 日
[原本所蔵機関] 東京大学経済学部図書館など
[復刻等] 2001 年に龍渓書舎から復刻。
[注] 読みやすさを考慮し、一部、仮名遣い、漢字を改めている。

座談会 朝鮮労務の決戦寄与力
十一月九日・於京城
出席者(五十音順)
日窒総務課長 池田饒
朝鮮総督府農産課技師 石井辰美
朝鮮無煙炭労務主任 今里新蔵
東拓農業課長 庄田眞次郎
朝鮮総督府労務課事務官 田原実
鐘紡厚生課朝鮮出張所長 別役雄久馬
小林鉱業企画室勤務 松本重業
朝鮮土建協会理事 森武彦
朝鮮総督府文書課長 山名酒喜男
本社側 小倉支局長

募集機構の不備
記者
そうすると今まで労務の供出はどういう方法でやっておられましたか
田原
従来の工場、鉱山の労務の充足状況を見ると、その九割までが自然流入で、あ との一割弱が斡旋だとか紹介所の紹介によっています。ところが今日では形勢一変して、募集は困難です。そこで官の力-官斡旋で充足の部面が、非常に殖えています。 ところでこの官斡旋の仕方ですが、朝鮮の職業紹介所は各道に一カ所ぐらいしかなく組織も陣容も極めて貧弱ですから、一般行政機関たる府、郡、島を第一線機関として労務者の取りまとめをやっていますが、この取りまとめがひじょうに窮屈なので仕方なく半強制的にやっています。そのため輸送途中に逃げたり、せっかく山に伴われていっても逃走したり、あるいは紛議を起こすなどと、いう例が非常に多くなって困ります。しかし、それかといって徴用も今すぐにはできない事情にありますので、半強制的な供出は今後もなお強化してゆかなければなるまいと思っています

記者
現在はブローカーのような者が募集しているわけですね。
田原
いや最初は各工場の担当者が集めたが、それがうまくゆかなくなって官斡旋に した。ところが官斡旋になると石炭山に働こうというものは殆どない。そこで愛国心にう ったえるためいろいろと行政上の措置をこうじましたが、第一線では頭数だけ揃えればい いというので不適当な者を多く加えるという弊害が多くなってきました。そこでこれもいかん。やはり自分の方から出ていって、本当に働きたいという者を集めたい。がそれには募集手続きがうるさい、この手続を止めてくれぬかということになったので、募集手続きは要らんが、しかし、勝手に募集はさせない。官の斡旋という形にして、特別斡旋制度というものを作り、今年の春から実施しています。

問題は量よりも質

私のほうの土建状況から現在の需給状況を申し上げますと、全鮮で土建に使っておる労働者は日に二十五万人から三十万人が最大ではないかと思う。平均してだいたい二十万人ぐらいですが、この労務者をどういう風にして集めておるかと申しますと、いわゆる閑散人夫として、業者の手持で始終連れて歩く土建専門の人夫、これが現在五万そこそこです。それから工事を起こす現場の近くから集まってくる地方民がまず三万そこそこ、合わせてだいたい八万位は得られます。そこであとの十二万はどうなるかというと、これは全部官の御斡旋によるものです。つまり総督府に御斡旋願うのがだいたい四万人から五万人、道内で斡旋していただく勤労隊が約八万人、合わせて十二、三万人です。 先程徴用というお話もありましたが、私の方で官に斡旋して戴いている十二、三万人は 殆ど徴用に近い行政上の強力な勧誘で出ております。もしこれがうまく行けば、必ずしも徴用をせんでも、このほうがよいようです。

池田
私の方の頭痛の種は必要なだけの数が得られないのと、移動が非常に多いことです。去年などは入ってきた労務者が、年内にほとんど全て出て行ったという有様です。 これは官斡旋で来た者が大部分ですが、縁故募集で来ましたのは歩留りがよく、半分位止まります。結局労働意思のない者を頭数だけ無理に集めて来ても無駄という感じがします。 あまりに移動が激しいので、現在ではちょっと匙を投げたというか、出る者は追わず(笑 い声)という形になっておりますが、何とかしてこれを止める事ができたら能率もぐっと挙がるでしょう。
http://www.sumquick.com/tonomura/data02/120723_02.pdf

おまけ
宇垣一成が朝鮮総督を務めた時代(1927年-1936年)に政策顧問を勤め、同時に韓国統監府の機関紙である京城日報社の社長も勤めた鎌田澤一郎は著書『朝鮮新話』1950年において、南次郎が朝鮮総督であった時代(1936年-1942年)の労務者の強制的な徴募方法について、
 
もつともひどいのは労務の徴用である。戦争が次第に苛烈になるに従って、朝鮮にも志願兵制度が敷かれる一方、労務徴用者の割当が相当厳しくなつて来た。納得の上で応募させてゐたのでは、その予定数に仲々達しない。そこで郡とか面(村)とかの労務係が深夜や早暁、突如男手のある家の寝込みを襲ひ、或ひは田畑で働いてゐる最中に、トラックを廻して何げなくそれに乗せ、かくてそれらで集団を編成して、北海道や九州の炭鉱へ送り込み、その責を果たすといふ乱暴なことをした。但(ただ)総督がそれまで強行せよと命じたわけではないが、上司の鼻息を窺ふ朝鮮出身の末端の官吏や公吏がやつてのけたのである。
 
と証言している[61][62]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E5%BC%B7%E5%88%B6%E9%80%A3%E8%A1%8C

朝鮮公論1944年10月号

■国家興亡戦と勤労動員 松本誠
従来は、機密保持の関係上広告募集の出来ない、国の行ふ総動員業務の工場事業場に限り徴用を行ひ、民間の工場事業場に対しては、官の斡旋に依って労務を充足して来たのであるが・・・労務事情が逼迫して来たのと、朝鮮では、労務の官斡旋に多少の行過があり、弊害の虞もあったので九月から従来の官斡旋を徴用に振替へ正規の手続を以て行ふこととなったのである。・・・巷間伝ふる所に依れば朝鮮民衆中徴用を忌避する傾向ありとのことであるが・・・(筆者前金連会長)(11-13頁)
https://dl.ndl.go.jp/pid/11187229/1/9

■座談会「労務動員の現況と其の対策」
日笠博雄(朝鮮総督府労務課長)「官斡旋に関しては事実上の出動を已むを得ざる場合は或程度強制して重点方面に労務動員をしてをったのでありますが、これに関しては従来弊害が多少見受けられました。これは何故かといふと、産業戦士として戦力増強、物資の生産に当る者を、一種の斡旋に依って自ら希望した形を取るやうな姿であったことは、国家的に必要な労務動員に出て貰ふといふ要請と、自己の意思に依って出て行くといふ所に相克があった為に、問題が多かったのであります。それで徴用を急速にやらうといふ方針を決定して、今年の一月から現員徴用といふことを受入れ態勢の準備として、重要鉱山、工場、事業場に行って来たのであります。(52頁)
https://dl.ndl.go.jp/pid/11187229/1/30

「極秘」印
一四 労務事情
(一)朝鮮
支那事変勃発依頼朝鮮は豊富なる地下資源水力電源等の好立地条件に恵まれ各種重点産業並に之が付帯産業の発展著しく随って之に伴ふ労務需要も亦逐年飛躍的に増加を見るに至れり。即ち鮮内に於ける国民動員計画上の一般労務者新規需要数は毎年度約三十万人(昭和十九年度二十四万人)に上り其の内減耗補充要員を除くも毎年約十五万人乃至約十八万人(昭和十九年度は十六万四千人)の増加を見つつあり。他面国民動員計画に基き昭和十四年度以降内地、樺太、南洋群島等に対し送出したる労務者数は昭和十九年度末迄に既に六十三万、軍要員として送出したる者昭和十九年九月末迄の累計九万に垂んとし之等大量の青壮年層の動員に因り従来豊富を誇れる鮮内労働事情も最近著しく変化し労務需給の調整は相当困難なる段階に達しつつあり。斯かる情勢に鑑み国民徴用令の全面的発動を実施するの方針を決し単に工場のみならず鉱山に対しても徴用を行ふこととし現員徴用に付ては昭和十九年二月八日を第一回とし爾来十一月末日現在に至る迄の其の数一四四ヶ所約十六万人に達せり。又新規徴用に付ては従来軍要員のみに付発動し来り其の数昭和十九年末現在に於て四万一千人に達せるが、昭和十九年八月以降民間に対しても之を行ふこととなり十月末現在に於て約一万人の徴用を実施したる外内地への労務者送出に付ても原則として徴用に依り之を行ふこととし十月末現在に於て其の数約四万人に達せり。尚右の外勤労報国隊の強化、学徒並に女子労務の積極的活用等諸般の対策を講じ以て鮮内外の二面的供出と重要物資生産の増強とに遺憾なからしむべく施策の万全を期しつゝあり。

参考 昭和十四年度以降の労務者計画移入数
計画実情
昭和14年度85,000人38,700人
昭和15年度88,80054,944
昭和16年度81,00050,322
昭和17年度130,000126,060
昭和18年度125,000133,050
昭和19年度320,000206152(十二月末現在)

計画移入労務者の就業先は炭坑及土建業を主とするも鉄鋼業其の他重要工業への配置も増加しつつあり。単身渡来期限二ヶ年を原則とせるも内地の労務事情に鑑み之が期間延長の奨励指導を加へ来れるが特に昭和二十年度に於ては輸送事情の逼迫に因り新規移入に多きを期待し得ざるを以て定着の指導を一層強化せざるを得ざる状況に在り。

(二)台湾
(省略)
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B02031291700(5・6画像目)