徴用

戦時下植民地朝鮮の実情を記した報告書全文

公文書や当局者ら発言に見る朝鮮人労務者「強制」証言で引用した文書だが、非常に興味深いので全文書き起こしてみた。内務省嘱託小暮泰用が内務省管理局長に提出したもの。こういう報告書を出してこの人は大丈夫だったんだろうか。
復命書
嘱託 小暮泰用 
依命小職最近の朝鮮民情動向並邑面行政の状況調査の為朝鮮へ出張したる処調査状況別紙添付の通りに有之 右及復命候也
昭和十九年七月三十一日
管理局長竹内德治殿

目次
一、戦時下朝鮮に於ける民心の趨勢 殊に知識階級の動向に関する忌憚なき意見
二、都市及農村に於ける食糧事情
三、今次在勤文官加俸令改正の官界並に民間に及したる影響
四、第一線行政の事情 殊に府、邑、面に於ける行政浸透の現状如何
五、私立専門学校等整備の知識階級に及したる影響
六、内地移住労務者送出家庭の実情
七、朝鮮内に於ける労務規制の状況並に学校報国隊の活動状況如何

一、戦時下朝鮮に於ける民心の趨勢 殊に知識階級の動向に関する忌憚なき意見
  戦時下朝鮮に於ける民心の趨勢は大体平穏と見るべきものであって、往時大正八年当時と異なり独立を夢る(ママ)者なく官民共に等しく皇国臣民として内地人と協力して克服せんとする傾向にあり、知識階級と雖も同様にして確固たる自主独立の成算なく寧(むし)ろ米英に依存する独立は今の現状より必ずしも良きものと断じ難く結局日本人として内地人と一致団結して時局を克服せんとする傾向にあり。
  而(しか)して大いなる戦ひに直面して朝鮮に在る二千五百万の同朋は聖なる皇民として斉して立って一億の一環として戦ひを闘ひつつある、満州事変以来「内鮮一体」と云ふ言葉が言はれてから既に十年の歳月が過ぎたのであるが、今やさうした言葉が不必要な程彼等の戦ひは大きな熱情と真摯な努力とに依って其の生活の裡(うち)に行はれて居る。
  そうして愈々(いよいよ)創氏制も実施され、徴兵制も実施され、学徒の動員も実施された、剣を持ち銃を執って内地人と共に苛烈なる第一戦にも立ち名誉ある皇民として生き抜く姿は内地も朝鮮も殊更な区別をする要もない程のものである。
  大東亜戦争を勝ち抜き大いなる皇恩を八紘に光被させる為には、然し其の戦ひは容易なものではない、そして其の戦ひが容易なものではない丈(だけ)に第一線と云はず銃後と云はず其の二つのものは異なった二つのものではなく苦に充ち生命を賭して戦ふ困苦でなければならない、之れが現実に於ける朝鮮の実状である。
  此の現状は言葉だけではない、彼等は皇民としての生活に深く徹する其の姿が今は男と云はず女と云はず老いたるも若きも唯ひたむきに突き進む唯一の道であるものと認識しつつある現状である、そうして此の現状は形の上からのみでなく精神的な内容に迄到達しつつ比(たぐ)ひなき日本的生活の中に於て、戦ふ為に大東亜戦争を勝ち抜くために彼等は先づ生活と戦って居る、古い朝鮮式生活様式を捨てて新なる生活の形が激しい勢で日本化されて行くのであった、そして生活の錬成と云ふことが今日の朝鮮人男女老幼に課せられた大きな命題となって居る、
  以上が今日の朝鮮民心動向の一般的観察であらう、然し他方これとは正反対に悲観的な見方もある様である、即(すなわ)ち所謂(いわゆる)思想的な人々は警察関係の方面に多く抱かれて居る見方である、更に一部の知識階級にして民族思想運動に興味を持つ人々がそれである。
  兎に角(とにかく)朝鮮に於ける民心の動向、思想界の傾向が最近特に大東亜戦争後激しい変り方を見せて居ることは事実であって、私が今回朝鮮に出張して調査した個人的考へからこれを結論として端的に言ふならば朝鮮の思想傾向は一般に大衆的には非常に良くなって居る。
  然し以上述べた様に多少悲観的傾向のあることも事実である、故に私は今回現地に於て各層階級人と直接会ひ語った資料と対象して楽観論と悲観論と云ふ二つの分野に於て見た儘(まま)、聞いた儘の事実を纏(まと)めて復命することにする、先づ楽観論に就て最も変遷の激しい傾向としては朝鮮に於ける宗教界の革新激変であり、民族主義者並に共産主義者達の転向激増と質的向上であり、更に教化運動の勃興状態である。
  それは内外周知の如く朝鮮に於ける従来の宗教団体として最も有力なものは基督教と天道教であった、之等(これら)の宗教団体は在来宗教的色彩よりも政治的色彩をより多く持って居た、即ち基督教特に長老教派と天道教は恰(あた)かも朝鮮に於ける民族独立運動の中核体を為して居ったが、今や之等が大きな転換を示して居ることである、全鮮に於て五十万以上の教徒を占め、而(しか)も質的に最も不良であった長老会教徒は、昭和十一年迄は神社不参拝運動を起し漸次其の運動は全鮮に波及したが、昭和十六年大東亜戦争が勃発し無敵皇軍の赫々(かっかく)たる大勝利が展開されると同時に十七年の新春を迎へ全鮮総会に於て革新的な発足をなすべく国民的な声明を発し、従来誤ってきた彼等の内部規定をば改正し直にこれを実践に移さんが為に、日本的な革新要項二十数項目を発表したのである。
  又天道教は朝鮮に於ける類似宗教団体として最も有力なるものであって、一時信徒百万を占むる大きな勢力を有して大正八年遂に独立万歳事件を主唱したのであったが、これも国家的に日本的な宗教に向上せしめんが為に教義を改正し日本的革新を行ひ、今や朝鮮の連盟運動に順応して各々長老、天道の如き国民連盟を組織し全鮮からの各代表者が悉(ことごと)く参加して等しく皇国臣民として国旗に敬礼し、皇国臣民の誓詞を斉誦し万歳を唱へ、神宮にも挙って参拝するといふ誠に感激的な状景を展開してゐる現状である。
 次ぎに転向者の激増と質的向上のことであるが、大東亜戦争後に於ける朝鮮人主義者の転向者は数に於て増加し質に於ても相当向上した傾向を示してゐる、従来は多くの転向者中には単に打算的表面だけの人もあって実際に於ては仲々旧態を脱(ママ)け切れない者も相当あったのである、然るに最近に於ては朝鮮人の将来は日本人になり切らねば救はれる道は更にないと云ふ確固たる信念に生きる真実の転向者が続々として増加し今や相当数に達して居る現状である。
  而して内地と朝鮮との一帯は歴史的に必然的に規定された宿命であるが故に、世界に其の比類を見ざる皇道精神を研究することに依って日本精神に生き、日本の国体に徹し、日常語に国語を常用しなければならないと云ふ画期的な思想方向が決定され、斯(か)くする事に依って初めて朝鮮人は推進するのであると彼等多くの転向者は考へて居る、然らずして若(も)しも仮想された内鮮一体論に逃悔して居るならば必ず数年ならずして馬脚を現はし其の時こそは朝鮮人が永遠に日本から見放される時であると迄に彼等転向者達の考へは徹底して来た傾向を示して居る。
  これと同時に彼等の内面的な革新と共に多くの真面目な実践運動が民間に於て自発的に展開発進しつつある、即ち各地に於ける教化運動の勃興である、これも朝鮮の思想界と民心が良くなりつつある証左と私は思ふのである、現在全鮮各地に八紘寮、大和塾、皇道会、学生塾、錬成道場の如き日本精神を基調にして集る教化運動団体が相当多く勃興して居る。
  故に朝鮮の思想界と民心の趨勢に就ては上述の如き極端なる悲観論も無いではないが、然し以上の如く一般大衆は何と云っても光輝ある皇道街道を前進して居るのであって、大体に於て、それは非常に良くなって来たと云ふ結論を下しても間違ひではなく、又今後指導当局としても更に研究調査の上適当な方法を以て押し切って行かねばならないと思ふのである。
  次に悲観論であるが、時局に伴ふ多少の苦痛其の他種々の不満の為に民心の一部が漸次悪化しつつあると云ふ見方もあり得るし、亦(また)斯(かく)の如き傾向も事実もある、即ち大東亜戦争の長期化に伴って種々思想上悪波紋、精神の弛緩等に依り彼等の中には、特に知識階級並に有産層の一部と民族主義者の中には反戦、反官的な厭世傾向もあり、早く事変が終れば良い等と考へてゐる人もある。
  更に最近の戦況を悲観し日本の将来、統制経済の将来と云ふものに対して相当流言蜚語(りゅうげんひご)が出て来ている地方もある、即ち統制経済に伴って起る影響、例へば物価が高くて困るとか、物資の欠乏、物資の自給の不円滑、配給制度の不公平と云ふ様な私生活上の苦しみ、又食糧対策が旨く行かぬと云ふ様な不平不満のあることは事実である。
  特に地方の大地主や都会地の富豪階級の人々の中には日本の新体制、統制経済の強化方針は共産理論の実現ではないか、統制と云ふ名前を借りて実際は共産理論を実践するのではないかと云ふ一種の疑惑と恐怖を抱いてゐる人も相当にある様であり、又似而非(えせ)なる転向者達は蘇連(ソ連)によく似て来てゐるのではないか、故に共産理論は最も正しいのであると云ふ風に懐疑的に考へて居る人々も相当に多くなったことは事実である。
  斯の如く考へて居る彼等は漸次日本の国力を疑ひ、或は朝鮮人は第一次世界大戦の時に印度が英国に騙された様に、日本政府に騙されて居るのではないか、或は重慶政府が声明した様に日本は長期戦に依って経済的に思想的に行き詰るのではないかと云ふ様な全く愚しい考へ方を抱いて居る人も最近各地に相当多く増加して来たことも事実である。
  更に民族主義者の一部には内鮮一体への誤解も相当ある様に見ゆる節もある、例へば国語の奨励を以て朝鮮語の否認だと云ふ誤解もあり、諺文(おんもん)新聞を統制した事に付ても之れは朝鮮文化の破壊であると考へて居る向(むき)もある。之れは過般京城に於て開催された各界代表者懇談会の席上に於ても暗に関心を有する向もあったのである、特に今後決戦の遅速利鈍に依って彼等の思想も相当変化があるものと思はれる、左に参考の為京城に於ける有志懇談会席上に於て朝鮮人有志の希望する所の要点を記述することにする、尚出席者は左の通りである。
日時 昭和十九年六月十七日午後五時
場所 京城府 白雲荘
出席者 荒木民政課長
      小暮嘱託
      坂手属
      毎日新報編集局長 鄭寅翼
       〃  社会部長 洪鐘仁
      毎日新報社会次長 金村承燾
      人文社代表 石田耕造
      京城拓殖経済専門学校教授兼生徒監 玉岡?珍
      宗教家 李重宰
      京城弁護士会副会長 姜柄順
      実業家 李晟煥
右記各有志から席上希望として述べられた要点の内主なる項目のみを挙ぐれば

(イ)内地朝鮮間の人事の交流を最も頻繁ならしめ伝統的と見るべき一種特殊なる朝鮮的官僚気分を速かに改め、上意下達、下意上通を徹底せしむること

(ロ)末端政治の強化、即ち邑、面長の人物選定並に邑面職員の増員と素質向上を図ること、之れには先づ待遇方法を講ずること

(ハ)労務管理の改善、指導員の再錬成配置

(ニ)朝鮮奨学会を改造すること、特に官僚化、取締化の如きことを改め専ら指導教化に努めること

(ホ)内地に於ける朝鮮人労務者の多い所には各班に実力ある朝鮮人班長又は寮長を速かに配置すること

(ヘ)今後朝鮮より供出する労務者は従来の如き募集又は官の強制斡旋方法を改め指名徴用制を速かに実施すること

(ト)今後朝鮮及朝鮮人問題の結論に付て吾人の希望とする所は総合的に云へば理屈より情と涙を以て解決して貰いたい

(チ)対朝鮮人問題に付て、其の善悪を問はず概括的に評論することは大に警戒すること、当局が余り監視し過ぎることを改め或る程度朝鮮人を信頼し朝鮮人に責任を持たせること

(リ)配給制度の公平を図ること

(ヌ)朝鮮には内地と異なる前官待遇と云ふ特殊のブロックがある、即ち高官高位の退職者に全鮮各地の特殊機関の実権を与へて居ることである、之れが朝鮮統治の癌となる場合が極めて多い、これを速かに改革すること

(ル)内鮮一体の完成は内鮮無差別の完成に始まる故に内地延長として朝鮮人にも参政権を与へよ

(ヲ)併合当時は貴族並に上流階級を相手に朝鮮統治を行ひ、次ぎは第二次的に公職者を相手にして政治を行って来たが、然し之れは今の時勢には既に遅し、今後は青年並に大衆を相手とする根本政策を樹立せよ

(ワ)御世辞を使ふ者のみを登用する制度を改め本当の人物を選び出すこと


二、都市及農村に於ける食糧事情
  朝鮮に於ける都市及農村の食糧事情は相当深刻のものあり、其の実例として朝鮮に旅行する時汽車の窓より望むるも沿線の林野に於ける松木の皮を剥ぎたるもの相当見受くることがあるが沿線にあらざる深山には尚多く近き将来に於て朝鮮の松木は或は枯死するのではないかと憂慮する人達も相当多い様である、併合以来故寺内総督を始め歴代総督は朝鮮の山林行政に相当力瘤(ちからこぶ)を入れたる結果最近に至りては朝鮮の林相も稍(やや・ようやく)良好になって来たが昨今の食糧事情に依る此の現象は実に憂慮に堪へざるものあり。
  農村人及地方有志の忌憚なき意見を調査して見ると、従来大体に於て朝鮮は食糧の自給自足不能に非ざるに拘らず斯(かか)る現象を呈するは行政当局の其の措置宜しきを得ざるに基因する所多しと非難する地方もある、即ち配給、供出機構の不完全は勿論のこと、先づ其の衝に当るものの情実又は実情を知らざる盲目的行政の結果なりと彼等は非難して居る。
  私が今回実地に於て調査して見た所から考へて端的に云ふと、朝鮮の食糧事情は都市に於ては配給の面が、農村に於ては供出の面が問題の全部を浮彫してゐると言っても過言ではないと思ふ。
  勿論(もちろん)当局の食糧行政の行方としては供出量は生産高に依って決定されることにはなって居る、即ち生産高より農家人口の一人当り一日何がしの消費引当量を農家保有量として爾余(じよ)を供出量と定めこれを農家に供出を命ずることとしてゐる。
  然るに今日朝鮮に於ける農業生産統計たるや大体に於てそれは前年農村振興時代の柱纂なる統計数字を基準として居るものにして衆目の見る所凡(およ)そそれは常に過大見積であると云ふ事に一致して居る、而(しか)も斯る過大なる生産統計の下に於て尚個々農家の収穫高を決定する上に於ても相当の努力が払はれて居るに拘らず多くは無意識的に稀には意識的に凹凸を生ずる場合が相当に多いことも事実である。
(この段落の上部欄外に記入有。「部分的には兎も角、全般としては首肯し難し大正末年頃■々七八百万石の移出ありし時代を(?)如何に説明するか」)
  斯る基礎に於て個々の農家の具体的供出量が定められる、そうして此の供出令は文字通り至上命令とされ供出の完遂は勧奨よりも強圧強権を加へて強ひられる場合が極めて多い状態である。
  而も朝鮮の農民は純朴従順であって、そこには涙ぐましい数数の実話実情も多い、或は明日の糧まで供出せる者あり或は彼等の何よりも大切なる農牛や家屋や家財道具等を売払って闇買をしてまでも自己の供出割当数量を完遂せる者も居る、従って部落に於て勢力のある者、即ち所謂有力者其の他富豪権力者を除いては出来以外の時に於ける農村の食糧事情は殆んど窮迫の状態にある。従って農業者にして尚朝飯夕粥は良い方で多くは糊口に苦しみ自己の生産物は全部供出に献げ自分は大豆、小豆の葉や草根木皮にて辛じて延命し顔は腫れ上り正に生不如死(生は死に如かず。生きるより死んだ方がまし)の惨状を呈し空腹の為め働く事も出来ず寝て居る者も尠(すくな)くない状態である。
  斯の如き朝鮮農村の食糧事情よりして農民は食糧は生産しても自らは喰へない故に農村には増産意欲どころか寧ろ厭農思想が相当濃厚であり生産物を隠匿せんとする傾向が強くなって来た。
  そこで供出督励者は農家や農家の周囲を捜索し炊事時に不意打的に踏み込み炊事釜や食物を検査し果ては面、駐在所等に呼出して迅(ママ)問する等全く朝鮮でなくては見ることの出来ない奇異なる現象を彼所此所(かしこここ)に露出して居る、宜しく今後は農民に食糧を保護し産業戦士として所遇するのが急務であり之が結局増産の最も有力な途(みち)である様に思はれる。
  一方翻って都市の食糧事情を見るに都市には殆んど完全に近い配給制度が実施され一人当り一合四勺乃至二合三勺の配給を大体に於て順調に受け満腹の程は期待し得ざるも一応不安はない状態に在る、一般に都市人は配給量の僅少なるが故に四六時中空腹感を訴へながらも尚定った量を殆んど正確に配給を受けて居るのは農民にして一日一合程度も糧穀を喰へないのに比べて見る時は都市人は幸福と言はざるを得ない、農民の倉には糧穀はなくとも都市の食堂には猶何かの食物の備がある実状であって、此の点内地とは正反対の現象と言はざるを得ない。
  而も都市人の中でも財力に余裕があり時局認識の足らざる薄志の徒は法網を潜って闇にて白米並に其の他の食糧品を買入れ(朝鮮に於ける白米一斗の闇価は六十円前後なり)自己の食生活を充実して居る者も相当に居る、同じ闇買にしても農民は自己の供出責任完遂の為にやり、都市人は自己の満腹の為にやる、之れも朝鮮ならでは見られざる誠に奇異なる対照である。
  要するに朝鮮の食糧事情は都市方面の非農家は殆んど正確に近い所定量の配給を受けながら尚空腹を訴へ、農村人は自ら食糧を生産し乍(なが)ら猶出来秋以外の時に於ては概して自家の食糧にも窮迫して居る実状である。
  斯くて都市と謂はず農村と謂はず互に顔を合はせれば食物の話で都鄙の話題は殆んど食物に関するもののみであって全く食にかけては紳士も匹夫もない有様である、ここに「民は食を以て天となす」「衣食足って礼儀を知る」と云ふ古訓が如実に物語って居る。
  扨(さ)て以上の如き朝鮮の食糧事情の窮乏の原因は何んであるか、又之れを如何にして是正するかに付て考へて見るに従来の耕地面積並に生産に関する統計は不正確であるにも拘らず未だ之れを以て基礎としてゐること、次ぎは反当収穫の見積等が実情に副(そ)はざる場合が多いこと、又農家の消費食糧の量を過少に規制したること、更に最近数年間凶作続きであったこと等であらうと思はれる。
  而して農家に於ける食糧の供出は叙上の弊に依って供出数量過多に失し中には全生産量を之れに充てても尚足らないものさへある、而も供出数量は確保すべきであるとの見地より無理に近い督励を加へる為に農家は供出後翌日より殆んど食糧なき状態であり而も配給は必ずしも其の翌日より支給せられない為殊に細農の困窮は甚だしい、又春窮期に於ける還元制の特配を受けるにしても其の量極めて少なく一日一人当一合未満の場合が多い、故に此の際思ひ切って統計を先づ是正すると共に農家一日消費食糧を少くとも一人当四合以上とし、実情に依って農家の食糧を控除したる後、残余を全部供出せしむる様にするか、又は生産食料一切を全面的に買上げ翌日より農家非農家の区別なく一定量の配給を行ふか、何方(どちら)でも急速に朝鮮の食糧事情の窮迫を救はなければならぬものと思ふ。
  それから少し話が横道の様に考へるが朝鮮に於ける食糧問題解決に対し最も密接なる関係を有する問題の一つとして昭和十九年度朝鮮米穀生産責任数量決定額に付てこれを検討して見ると即ち今年度の食糧生産責任量は
  米      二千六百万石
  麦      一千六十三万石
  其他雑穀 九百三十万石
  合計    四千五百九十三万石
となってゐるが一体此の数量は如何なる方法に依って算出決定されたものか専門家でない私が僅か三週間位の短時日の調査では其の正否を今直(ただち)に確言することは出来ないが先づ其の中の米二千六百万に付て考へて見ると前古未曾有の大豊作と言はれた昭和十二年の米作数字を除いては朝鮮の米作生産史上未だ其の前例のない数字である。
  即ち昭和十四年の千四百万石と云ふ大凶作以後に於ける朝鮮の米生産高を調査してみるに同十五年の二千百万石、同十六年の二千四百万石、同十七年の千五百万石、同十八年の千八百万石であって其の五ケ年間の平均収穫高は千八百四十万石となって居る、此の理由は近年朝鮮の気候は連続的旱魃の多い関係もあり更に鮮内の労働力も漸次減少し、又化学肥料の不足等が其の原因であるものと思はれる。
  然らば昭和十九年即ち今年度の米作は果して朝鮮の農業生産の隘路が解消されて居るかと云ふに決してそうではない、戦局の進展に従ひ今年度より実施される徴兵制に伴ひ併せて農村青壮年の戦闘再配置等があり、更に国内科学工業の拡充に因り農業肥料生産の減縮は必然であると想像するに於ては例へ此の儘天候が順調になっても二千六百万石と云ふ米収穫は容易なことではないと考へられる、即ち過去五ケ年間の平均収穫量千八百四十万石に比すれば七百六十万石の増加であるから約四割に該当する数量が増加されたのである。
  もっと詳しく言へば過去五ケ年間に平均収穫量十石の農家とすれば四割増の十四石がその生産責任量となった訳である、天候の変調如何に拘らず同一条件の下に四割増産と云ふことは朝鮮農家としては甚しき過重の負担と言はざるを得ないのである、故に速かに此の数字に再検討をするか、又は現下時局に鑑み此の二千六百万石と云ふ数字が絶対的に国家が要請する量であれば鮮内科(ママ)学肥料不足の対策として自給肥料の増産、適期施肥、施肥方法の適正化等に関する根本策の確立、そうして三百万戸以上の農家と十万戸以上の地主と数万の指導者が打って一丸となって人生最高の努力を傾注する様仕向けなければならないことと信ずるのである。

三、今次在勤文官加俸令改正の官界並に民間に及したる影響
  此の問題に付て朝鮮人官吏及民間人に就て調査して見ると大略左の如き現状である。
  即ち朝鮮人官吏に対する加俸支給に付ては

イ、内鮮一体の理念を具現したるものにして寧ろ其の遅きに失したる憾あるも一層の責任感と明朗性を与へたりとなす者

ロ、戦局の推移に鑑み尖鋭化しつつある朝鮮民心を緩和せんとすることを企したる懐柔政策なりと為す者

ハ、官界に於ける内鮮人の全面的無差別化は優秀なる内地人の渡鮮を阻害し内地人側に於ける人的貧困を来(きた)すべしと為す者

  等の見方ありて(イ)の観点に立つものは当然なりと為すが故に(ロ)の見地に在るものは政策なりと見るが故に本制度の実施は朝鮮統治上画期的恩典なるにも拘らず大なる感銘を与へざりしが如し、殊に瞠目すべきは該制度が一部上層官吏にのみ其の恩典に浴せしめたる点にして或は島国根性的にして大国としての雅量に欠くるものなりとし、或は上に厚く下に薄きは親心に反するものなりと為し、甚しきに至っては之等上層指導階級を懐柔することに依って之等を一般民衆の宣撫に利用せんとするものなりと断ずるものさへある。
  他方一般下級官吏は現下の如き物価高に比し著しく薄給にして殺人的の生活難なるに拘らず之を黙過しあるは当局の企図に他意あるべしとなし真剣に之が穽鑿(せんさく)討議を敢へて試みる者もある。
  要するに本制度は朝鮮民衆に内鮮一体の理念を制度的に実証具現せるものとして受入れられ朝鮮人官吏をして真の帝国官吏としての自覚を喚起せしめその責任の重大なるを感ぜしむるに多大なる貢献を為したるも之を一部の上層官吏の範囲に止めたるに基因する疑惑感は否定し得べからざるものありと謂ふべし。
  更に此の問題に付て朝鮮人民間有力者の忌憚なき意見を調査して見るに、従来朝鮮人官吏には加俸を支給すべからざるものなることを理論的に説き永年朝鮮人の深刻なる反対心理を抑制し来りたるに拘らず突然まったく同一率の加俸を支給することとなったことに対しては先づ驚きたるは朝鮮人官吏自身であったであらう。
  而してその支給が一般的に非ずして一部分に過ぎざる故に其の恩典に浴せざる階級の不平甚しく此の点は憂慮に堪へざるものありと見へる、即ち生活に余裕なき判任官以下に支給せず比較的生活の安定を得たる高等官にのみ加俸を支給する結果高等官自身も心中疑心を抱くであらうと論ずる人が多い、其の理由としては即ち戦後朝鮮人の高等官の数を減ずるは必然なりとして内心疑なき能はず、又反面判任官以下の不平相当深刻なる地方もあるが此の点は相当注目を要する問題と思ふ、事実として内地人と朝鮮人とが絶対平等となるの理なきにも拘らず斯る同率の加俸を突然支給するは近き将来に於て内地人側より不平又は反対運動起るべく、之を収拾することも困難であらうが更に一面朝鮮人の判任官以下に迄速かに加俸を普及することが出来ないとすれば之れ亦相当困難なる問題を惹起すべく結局今次の加俸の支給は技術的に見て拙劣なるものなりと彼等は考へて居る。

四、第一線行政の事情 殊に府、邑、面に於ける行政浸透の現状如何
  決戦下外地に於ける第一線行政の実情の神髄を調査することに付ては上司の内命もあり且又私自身の職柄多大の関心を以て可なり多方面の人々に会って語ったこともあったが先づ南鮮と西鮮地方に於ては少々悲観したこともあった、それは或る地方の有力者の話を聴くと、其の答へに曰く今日朝鮮の第一線行政は全く行詰りたる状態にして誠に寒心に堪へざるものありと言ったことである、其の理由に曰く、朝鮮には昭和十六年頃より、これには「韓国以上」と云ふ合言葉が民間に流行したと云ふ、原因は社会情勢の急変と官紀の廃頽により一般大衆の苦しみが増加し、遂に斯る言葉が流行する様になったが、先づ旧韓国時代には一部富豪のみが苦しみたるに過ぎずして一般大衆は寧ろ今日の如き苦しみを体験したることがなかったが今日の現状は富豪よりも一般大衆がもっと苦しむ様になったと云ふことである、然し斯の如き不評判の原因は結局戦局の進展に伴ひいろいろと複雑な責任の負荷が多くなった為めであり、又此の複雑性の内容を彼等が理解し消化し得ないからであるものと思ふ、即ち上意下達、下意上通が円滑になってないからである。
  事実朝鮮の第一線行政の実情は四年前に比し相当複雑となって来て居る、戦局殊に大東亜戦争後に於ける戦局の進展に伴ひ朝鮮には各種の栄誉と責務が新に負荷されて来て居ることは事実である、今其の主なるもののみを挙ぐるも
  イ、食糧を主とし其の他数十種に及ぶ農林畜産物の供出
  ロ、貯金及献金乃至献納
  ハ、労務の供出
  二、志願兵より徴兵制度
  ホ、特別鉱工物増産
  ヘ、義務教育実施と教育整備
  等にして之等の施策は殆んど其の結果に於て達成せられざるものなきは其の都度当局者に依って半島官民の努力と協力に対する感謝の言葉を以て言明された通りである、即ち外形と結果に於ては上部の意図は殆んど第一線末端機関に滲透し従って第一線の官公吏亦聖戦完遂に奮闘しつつあるのが其の現状であるものと見るのが普通であらう。
  然らば之を以て直ちに朝鮮の第一線行政の実情は満足すべき状態であるかと云ふに決してそうではない、問題は其の結果に至る迄の過程と方法乃至は政治技術の如何にあるものと思ふ、此の点に関する限りは上部の意図は凡そ末端下部に滲透し居らないのが今日の実情であるものと思考す、為に総督政治に対する予期せざる疑惑、不平不満の生ずること尠(すくな)しと見るのが正しい調査資料と思はれる、故に斯の如き原因を一日も速かに除去することこそ朝鮮統治をして本然の姿に戻し明朗性あらしむる最大急務なり(ママ)信ずるのである。
  其の原因の主なるもののみを挙ぐれば

イ、郡守に至る迄の不滲透の原因  
  本府に於ては地方第一線の実情に通暁せず総合的認識を欠く者が自己の分野にのみ跼躅して余りにも理論的にのみ精微なる立案を為したるものが道に於ては其の多くが本府よりも素質低下なる属僚の手に依り之を咀嚼することなく其の儘移牒せられ郡に集中されるのである、(而も本府の企画者の中には実際的経験及識見の乏しき者多く道の属僚中には亦知的に低下なる者多し)

ロ、郡より邑面に至る間に於ける不滲透 
  郡邑面職員の知的不足と素質低下等に加ふるに弱馬駄重的に事務は之に集中輻輳する結果、重点事務たると否とに拘らず平等に無関心となり研究工夫は殆んどなく、且つ亦邑面財政の涸渇は之等諸優遇方策を只名目上のものたらしむる事になり一種の疲労感嫌悪感さへ抱き会議及上級官庁の監励出張に依り強調せらるる施策方法に関してのみ而も其の結果特に最終的結果・・・・例へば食糧増産供出に就て謂(い)へば播種面積拡張、耕種法の改善等は之を多く報告の上に於てのみ達成し其の虚偽の報告に基いて割当てられたる供出の達成にのみ全力を注ぎ為に民衆をして当局の施策の真義、重大性等を認識せしむることなく民衆に対して義と涙なきは固(もと)より無理強制暴竹(食糧供出に於ける殴打、家宅捜索、呼出拷問労務供出に於ける不意打的人質的拉致等)乃至稀には傷害致死事件等の発生を見る如き不祥事件すらある。  斯くて供出は時に掠奪性を帯び志願報国は強制となり寄付は徴収なる場合が多いと謂ふ。

ハ、邑面より民衆に至る間の不滲透 
  邑、面殊に面は第一線に於て一般民衆との中間に立って本府の企図する一切の施策を担当実践する重要なる末端行政機関であるが其の下に知識極めて低級にして国語も理解せず極めて不自然なる朝鮮語を以て記されたる公文通牒を受領し素朴なる思惟の下に活動する区長があり、此の区長に至り一切の理論的行政施策は褪色され殆んど其の政治意義を消失するに至るものと思はれる。

  然れば之等の弊害を如何にして取除くか、其の是正の方策として主なるものを挙ぐれば

イ、道の属官級に知的素質の優秀なる朝鮮人青年を多く増員すること

ロ、府、邑、面の職員の水準を高むる意味に於て中等程度の地方行政講習所の如き錬成教育を一層普及すること(現在の邑面職員の九割は小学程度)

ハ、区長の待遇を一層改善強化し優秀なる人物を配置すること

二、本府及道の職員は質的向上を計り量的には之を減少することとし郡、邑、面殊に面職員の増員を断行すること

  等であるが、要するに以上の如く朝鮮の行政は其の実施過程に逸脱する不正確なる方法と政治技術の足らざる所から本然の姿より逸脱する場合多く為に民衆に上層部の意図以上の又は意図せざる重き負担を負はせ一般民衆の認識並に能力が官の要請に追ひつかぬ事になり依って民衆をして疑惑感、時には反感をすら抱かしむる場合が極めて多い、然し兎に角表面から見れば朝鮮の地方行政の第一線は皮相的に其の結果の点に於てのみは相当滲透せるものと謂ふべし。

五、私立専門学校等整備の知識階級に及したる影響
  決戦下教育非常措置に依り朝鮮に於ける私立専門学校等の整備を行ひたることに付て朝鮮人知識階級人等の意嚮を調査して見ると彼等曰く、此の措置は朝鮮人の知識階級を絶望的境地に追込み朝鮮人社会に於ける教育事業熱を奪ひ去ったと云ふ、蓋(けだ)しそれは今日迄朝鮮に於ける私立専門学校が朝鮮人知識階級に対して演じた役割機能の全面消滅を意味するからである、一般的調査資料としては此の整備問題に対する朝鮮人特に教育家及知識階級層に於ては極めて不評判であり彼等の中には朝鮮の教育政策を疑ふ様になって来た人々も相当増加して居る。
  各方面に於ける影響も極めて多種多様ではあるが今其の重なるもののみを挙ぐれば大略左の通りである。

(イ)、朝鮮の過去に於ては私立専門学校には比較的素質の優秀ならざる者及官公立学校に進学するを好まざる者、思想的に不穏なる者(此とて内地の私大に比すれば問題にならぬ程素朴なものではあるが)等が進学したと云ふ傾向があった、既に内地の文科系統私大への進学の途が塞がれた今日之等の学徒は近代文化の殿堂から閉出を喰ったと考へる者もあり、此の事情は理工科系統学校拡充により専門学校生徒募集総数に於て千二百名の増加を見たとしても進学希望数に照らして官公立専門学校の入学許可率に於ける内鮮の差別を徹底的に撤廃しない限り少しも緩和されることはないであらうと考へる者も相当多い様である。

(ロ)、従来朝鮮に於ては私立専門学校が朝鮮文化の維持培養上に於て大きな役割を演じたことは何人も否定出来ない事実である、既に早くも朝鮮語の教授及使用が全面的に禁止されたる今日に於て私立専門学校等が整備されたるは今後朝鮮文化の最も有力なる維持培養の担当者を失ったと云ふのである、尤(もっと)も朝鮮文化が全部朝鮮文で記され、朝鮮語で語られるのみでないにして今日迄の朝鮮文化の有方はそうであったのであり、又現在も尚全朝鮮人中国語を解する者が僅か一割五分に過ぎない状態に於ては尚更のことであると云ふ。

(ハ)、元来朝鮮人社会には官公立教育機関の不足と相俟(あいま)って教育事業熱は相当に旺盛であった、例へ貧者と雖(いえど)も且又相当吝嗇家でも事子弟の教育に関するときは多額の寄付を為し小学校の教育に於てすら最近は克(よ)く内地人の数倍に匹敵する種々の負担に甘んじて堪へて来てゐる実情であり知らざる者の悩みを詳に歴史的に社会的に経験せる彼等としては当然なことと思ふであらう、殊に知識階級に於て私立教育事業熱又は教育事業助成熱は最近一層旺盛となって来たが之等は此度の私立専門学校等の整備を目睹して捨鉢的気持になり一切の私学事業への希望を捨てた観があって、正に朝鮮人の経営する教育機関を奪ひ去った感を与へたと同様な状態である。

(ニ)、従来朝鮮の私立専門学校の教授の多くは外国留学又は内地留学生が其の大半を占めて居た、其教授陣は所謂朝鮮人知識階級の最高水準にあったことは否めない事実である。而して立派な皇国臣民としての最高の教育を受け其れ丈の実力を有し乍らも官公立の大学専門学校の教授となることを許されなかった為に朝鮮人学者にとっては之等私立専門学校の教授たることが一生聖なる学研の途に精進し象牙の塔に籠る唯一の途であり且つ学者としての生活戦線でもあったのである、故に一面之等朝鮮人教授陣の総退却は其の多くが生活に余裕なき朝鮮人子弟に対して学者的生活の門戸を完封したものと彼等は考へて居る。

(ホ)、最後に朝鮮に於ける女子専門学校の場合に就て調査して見るに近年知識階級の配偶者を養成提供すると共に一方余りに先端的な空虚な虚栄心(現在朝鮮人の文化程度を見て)を朝鮮人大衆に植え付け一部の識者並に大衆から白眼視された私立女子専門学校を整備した事は善悪相半ばすると云はれて居る、蓋しその整理方針に於て政治的技術の足らざること並に内地の其れに比し余りに酷に失したと云ふ点及び教授陣の総退却とは男子専門学校の場合に準じて之も相当悪影響を及ぼして居る様である。


六、内地移住労務者送出家庭の実情
  従来朝鮮に於ける労務資源は一般に豊富低廉と云はれてきたが支那事変が始って以来朝鮮の大陸前進兵站基地としての重要性が非常に高まり各種の重要産業が急激に勃興し朝鮮自体に対する労務事情も急激に変り従って内地向の労務供出の需給調整に相当困難を生じて来たのである、更に朝鮮労務者の内地移住は単に労力問題にとどまらず内鮮一体と云ふ見地からして大きな政治問題とも見られるのである。
  然し戦争に勝つ為には斯の如き多少困難な事情にあっても国家の至上命令に依って無理にでも内地へ送り出さなければならない今日である、然らば無理を押して内地へ送出された朝鮮人労務者の残留家庭の実情は果して如何であらうか、一言を以て之れを云ふならば実に惨?(さんたん)目に余るものがあると云っても過言ではない。
  蓋し朝鮮人労務者の内地送出の実情に当っての人質的掠奪的拉致等が朝鮮民情に及ぼす悪影響もさること乍ら送出即ち彼等の家計収入の停止を意味する場合が極めて多い様である、其の詳細なる統計は明かではないが最近の一例を挙げて其の間の実情を考察するに次の様である。
  大邱府の斡旋に係る山口県下冲宇部炭鉱労務者九百六十七人に就て調査して見ると一人平均月七十六円二十六銭の内稼働先の諸支出月平均六十二円五十八銭を控除し残額十三円六十八銭が毎月一人当りの純収入にして謂はば之れが家族の生活費用に充てらるべきものである。
  斯の如く一人当りの月収入は極めて僅少にして何人も現下の如き物価高の時に之にて残留家族が生活出来るとは考へられない事実であり、更に次の様なことに依って一層激化されるのである。

(イ)、右の純収入の中から若干労務者自身の私的支出があること

(ロ)、内地に於ける稼先地元の貯蓄目標達成と逃亡防止策としての貯金の半強制的実施及払出の事実上の禁止等があって到底右金額の送金は不可能であること

(ハ)、平均額が右の通りであって個別的には多寡の凹凸があり中には病気等の為赤字収入の者もあること、而も収入の多い者と雖も其れは問題にならない程の極めて僅少な送金額であること

以上の如くにして彼等としては此の労務送出は家計収入の停止となるのであり況(いわん)や作業中不具廃疾となりて帰還せる場合に於ては其の家庭にとっては更に一家の破滅ともなるのである。
  然し之等の事情に対する異論もある様である、即ち労務援護や労務協会のことや残留家族殊に婦人の積極的活動に依る収入の確保等があるではないかと云ふのが其れであるが、然し朝鮮の労務援護に就て云へば左の如き二つの方法があるであらう、其の一つは隣保相助を挙ぐるであらうが、之れも朝鮮の農民と労働者の大衆は未だ斯る良風美俗の実践者たる為には余りにも貧困過ぎる現状であり、其の二は労務協会の援護であるが之れも労務者一人当り五円を財源とする本会の実情は之の予算も現実的には宴会其の他の費用に充てられて居る現状である。
  更に残留家族殊に婦女子の労働はどうであるかに就て調査して見るに、朝鮮の都市に於ての一家支柱たりし男子に残留婦女子が代替し得ることの出来ないことは固よりであるが農村に於ても土壌の瘠薄性と耕種法殊に農具の未発達、高率の小作料、旱水害、其の他各種夫役等の増加の多い今日に於ては全家族総動員して労務に従事し以て漸く家計を維持したる農民が戸主又は長男等の働き手を送出したる後婦女子の労働をして其の損失を補償代替更に進んでは家計の好転を図り得ないことは明白な事実であって、此の点自然的条件に恵まれ耕種法其の他営農の発達したる内地農村と同一に考へることは出来ないのである、況や朝鮮農村の婦女子は其の九割以上が殆んど無教育であり青少年は徴兵実施と其れに伴ふ各種の錬成其の他の行事の為に実際的には働手たる意義を大いに減殺されて居るのである。
  斯して送出後の家計は如何なる形に於ても補はれない場合が多い、以上を要するに送出は彼等家計収入の停止となり作業契約期間の更新等に依り長期に亘るときは破滅を招来する者が極めて多いのである、音信不通、突然なる死因不明の死亡電報等に至ては其の家族に対して言ふ言葉を知らない程気の毒な状態である、然し彼等残留家族は家計と生活に苦しみ乍ら一日も早く帰還することを待ちあぐんで居る状態である、私が今回旅行中慶北義城邑中里洞金本奎東(二十三才)なるものが昭和十八年七月一日北海道へ官の斡旋に依り渡航した家庭を直接訪問して調査したるに、最初官の斡旋の時は北海道松前郡大沼村荒谷谷瀨崎組に於て本俸九十五円、手当を加へ合計月収百三十円となる見込みとの契約にて北海道より迎へに来た内地人労務管理人に引率され渡航したる後既に一年近くになっても送金もなければ音信もない家に残された今年六十三才の老母一人が病気と生活難に因り殆んど瀕死の状態に陥って居る実情を目撃した、斯の如き実情は此の義城のみならず西鮮、北鮮地方に極めて多く、之等送出家庭に於ける残留家族の援護は緊急を要すべき問題と思はれる。
  其の中にも軍方面の徴用者の中には克く家庭との通信、送金等があって残留家族にありても比較的安心し生活上にも左程(さほど)不便を感ぜざるも、特に一般炭鉱並に其の他会社等の関係に在りては右の如く送出後殆んど音信を断ち尚家庭より通信するも返信なく半年乃至一年を経るも仕送金無きものもありて其の残留家族特に老父母や病妻等は生不如死の如き悲惨な状態であるのみならず其の安否すら案じつつ不安感を有する者極めて多く、此の如きは当事者の家庭現状にのみ限らず今後朝鮮から労務者送出上大なる影響を与ふるものとして憂慮に堪へないのである。
  又仮りに朝鮮農村に於ける男子勢力に代って婦女子勤労へと一層強化するにしても今日の朝鮮婦女子の特殊立場を没却して只盲目的に働かす事ばかりは大いに警戒しなければならぬと思ふ、即ち人口増強上重要使命を持つ婦人の保健問題又は内地婦女子と異なって殆んど無教育である彼女達が良く働ける様に仕向ける特殊施設と対策がなければならぬ、例へば共同炊事、託児所、保健婦設置、食糧特配等は特に緊急を要する条件であらう。
  朝鮮農村の婦人殊に南朝鮮地方の農村婦人は勤労、増産意欲に乏しく、又家事と育児だけでも力一杯であって実際問題として増産への勤労提供の余裕もない実情である、ここに先づ問題となるのは農家の生活改善であり勤労増産の意欲を旺盛ならしめ容易に増産勤労部門へ挺身出来る様其の環境を作り上げることが大切であらう。
  第一に増産勤労婦人隣組隊の如きものを組織して生活の共同化を期し家庭生活も勤労作業も此の共同化された組織と精神に於てなさねばならぬと思ふ、そして託児所を設け又保健婦を成る可(べ)く多く嘱託し農村妊婦の保護、育児の輔導等に努めて行けば或は朝鮮婦人も容易に労働に親しみ得るであらうと思はれる。
  之れには従来と異なった相当しっかりした指導者を多く必要とするが、更に託児所、保健婦、共同炊事、食糧の特配等の指導者を得ることが最も大切であるものと思ふ、然し今日の朝鮮農村の現状として農村自体では到底そう云ふ適当な人を得ることは不可能であらう、ここで此の問題に対して真剣に考へさせられることは中等以上の教育を受けた都会の女性達が華やかに飾って喫茶店から映画館へと空虚な生活を送る嘆はしい現実である。此の女性等の胸中に果して国を想ひ非常時局を認識して勝つ為の仕事に尊い汗を注ぐ誠があるかと云ふ問題である、然し全然ないのではないが多くの場合生活の環境がしからしめたのであると思ふ。
  故に此の際思ひ切った積極的錬成対策を樹立して此等の女性を総動員してせめて農繁期の数ケ月丈でも農村に住込ませ、保健婦として託児所の保姆として奉仕せしめれば真に婦人労働力の完全なる活用が可能であるものと思はれる、之れは金肥を何百叺使ふ以上の実質的効果があるものと思はれる、之れがせめて朝鮮婦女子の勤労強化指導の一策ともなるであらうと信ずるのである。

七、朝鮮内に於ける労務規制の状況並に学校報国隊の活動状況如何
  従来朝鮮内に於ては労務給源が比較的豊富であった為に支那事変勃発後も当初は何ら総合的計画なく労務動員は必要に応じて其の都度行はれた、所が其の後動員の度数と員数が各種階級を通じて激増されるに従って略(ほぼ)大東亜戦争勃発頃より本格的労務規則が行はれる様になったのである。
  而して今日に於ては既に労務動員は最早略頭打の状態に近づき種々なる問題を露出しつつあり動員の成績は概して予期の成果を納め得ない状態にある、今其の重なる点を挙ぐれば次の様である。

(イ)、朝鮮に於ける労務動員の方式
  凡(およ)そ徴用、官斡旋、勤労報国隊、出動隊の如き四つの方式がある。
  徴用は今日迄の所極めて特別なる場合は別問題として現員徴用(之も最近の事例に属す)以外は行はれなかった、然し乍ら今後は徴用の方法を大いに強化活用する必要に迫られ且つ其れが予期される事態に立到ったのである。官斡旋は従来報国隊と共に最も多く採用された方式であって朝鮮内に於ける労務動員は大体此の方法に依って為されたのである。
  又出動隊は多く地元に於ける土木工事例へば増米用の溜池工事等への参加の様な場合に採られつつある方式である、然し乍ら動員を受くる民衆にとっては徴用と官斡旋時には出動隊も報国隊も全く同様に解されて居る状態である。

(ロ)、労務給源
  朝鮮内の労務給源は既に頭打の状態にあると云ふのが実情であらうと思はれる。
  今尚余裕があると見る向も相当にあるが然し之れは頭数のみを見、人は男女共に内地人男女と同等の能力を有するものと云ふ前提の下に立ってゐる見解である、端的には労銀の想外の昂騰が其の一つの証拠であり又朝鮮人の婦女子は潜勢力としては存在するが現実の家計収入をもたらすべき労働力としては一般に評価し得ない実状にある、斯の如く観じて来るときは朝鮮内の労務給源は非常に逼迫を告げてゐると云ふべきである。
  絶対的頭数の上から見て朝鮮の労務給源が今尚豊富であると云ふ見解から更に男子を動員することは可能であるが、然る時は婦女子のみが残ることとなり朝鮮の特殊事情から其の実質的労働力は実に薄弱なものとなるから此の点深く実態の観察調査が必要であるものと思はれる。
一例を見ると慶北安東郡の如きは総人口十七万人の内農業労務者が六万人、一般労務者に登録されたのが九千九百二十九人となって居る、此の一般労務者約一万人からは既に昭和十四年以降内地へ供出したもの六千四百二十六人、北鮮地方へ略八百人合計八千人近く既に送出したのであるから残有の労働力としては極めて僅少となって居るにも拘らず今年更に残留労務者数よりも多く内地送出を命ぜられてある為め第一線に於ける当局者及農村に於ては食糧増産上多大なる影響を及ぼすものとして憂慮しある状態である。

(ハ)、動員の実情
  徴用は別として其の他如何なる方法に依るも出動は全く拉致同様な状態である。
  其れは若し事前に於て之を知らせば皆逃亡するからである、そこで夜襲、誘出、其の他各種の方策を講じて人質的掠奪拉致の事例が多くなるのである、何故に事前に知らせれば彼等は逃亡するか、要するにそこには彼らを精神的に惹付ける何物もなかったことから生ずるものと思はれる、内鮮を通じて労務管理の拙悪極まることは往々にして彼等の身心を破壊することのみならず残留家族の生活困難乃至破滅が屡々(しばしば)あったからである。
  殊に西北朝鮮地方の労務管理は全く御話にならない程惨酷である、故に彼等は寧ろ軍関係の事業に徴用されるのを希望する程である。
  斯くて朝鮮内の労務規制は全く予期の成績を挙げてゐない、如何にして円満に出動させるか、如何にして逃亡を防止するかが朝鮮内に於ける労務規制の焦点となってゐる現状である。

(二)、労銀
  朝鮮の労働力も右の様に愈々(いよいよ)逼迫してゐる為如何なる事業も請負人に労働者を官公署が斡旋するのでなければ到底事業遂行は不可能である、故に個人が自由契約に依り四苦八苦して労働者を雇入れることになると全く驚く程想外の高賃銀を要求されるのである。
  反之(これにはんして)官公署の事業は予算其の他の関係にて右の如き高い賃銀は支払へない、そこで多くは部落連盟に請負でやらせる、故に朝鮮の部落民は官の事業には殆んど夫役(強制奉仕)の心構にて参加すると云ふ実情である。

(ホ)、学校報国隊の活動状況
  朝鮮も最近は勤労教育の強調に伴ひ学校報国隊の活動は文字通り予期以上の成績を挙げてゐるが然しそこには簡単に看過し得ない種々な問題が惹起してゐることも事実である、即ち

1.上司又は一般に対する見物式の出動で実蹟の挙らざるものあること

2.学校に依って勤労の時間、程度に於て著しき差別のあること

3.児童生徒の個々人の身心の状態を無視し一率に過重なる勤労を課し全く心身疲労し切って親達の憂慮惻々なるものあること。

  一般に朝鮮の地方農村には勤労過重なる場合が多く極端■■になれば三食とも草根木皮の粥腹である為体錬の時間にすら貧(?)血率(ママ)倒する頑是ない子供が勇々しくも鍬や鎌を手にし文字通り身を粉にして勤労に従事しつつあるのを目睹し一掬の涙なきを得ない実情である。
  朝鮮の労務規制の現状と学徒報国隊の活動状況は大略以上の如くであって端的に云へば悲観すべき点極めて多く此れを如何にして今後是正し円滑化させるかに付て考へて見るに労務管理の根本的革新が先決問題であることは云ふ迄もない、上欄にも少し述べてあるが如く一体朝鮮には戦争に必要な物資も豊富であり労働力も過剰する程にあったので、之れを戦力化するか否かは一にかかって勤労管理の善否にあったのである、其れが労務管理の根本対策が足らなかった為に今日早や行詰りを示す悲観的状態に至ったことは誠に残念と言はざるを得ないのである。
  朝鮮の労務者をして真に日本人としての所謂玉砕的勤労をなさしむる為には従来の如き形式観念的勤労管理を捨て先づ日本人としての国体思想の自覚、戦争精神の興揚、特に彼等に対する後顧に亘る幾多の指導的条件が必要である、即ち朝鮮の労務管理は思想管理、生活管理に迄及ぼさなければ万全を期することは不可能であるものと思ふ。
  朝鮮に於ける従来の労務管理が如何であったかに就ては其の現実の状況を要点だけ上欄に略述してあるが、今之れを詳細にするには相当長文にもなるし、又最早内外周知のことに属する故に、茲(ここ)に更めて蛇足を付するを避けるのであるが、然し矛盾してゐる二つの要点丈を指摘して速に改善したいのである。
  第一は未だ朝鮮にはあらゆる部門に亘り資本利潤の確保と其の増進を図る目的の下に行はれて居ること
  第二は自由主義者乃至はマルクス理論を肯定しかねない即反資本主義的インテリ―に依って組織せられて居ることの多いとである、そうして此の二つの精神要点は必然的に相矛盾し、朝鮮の労務管理担当者は此の矛盾の中に苦悩しつつあることである。
  そこへ最近特に大東亜戦争勃発以後急に湧発された国体主義的大勢の前に朝鮮人は官民上下殆んど戸惑ひしつつそれぞれ異った思想と考へ方を内包しつつ表面的に形の上では兎に角大勢に順応して来た様に見えることも事実であるが然し本当のことを云ふと勢ひ朝鮮人の国体観念戦争挺身は多く形式的ならざるを得ないのであり、従って幾多の内在的困難を生じて来て居る。
  更に最近に至り非職業労務、即ち徴用、学徒、女子挺身隊の如きものが混入され朝鮮に於ける労務管理は其の困難性を益々加重して来た感がする。
  要するに朝鮮に於ける労務管理問題の根本対策としては先づ今迄の様な官の斡旋とか一般募集の如き方法をやめて所謂皇国的制度を強化し国民皆兵としての指導精神の下に日本的給与、国体的勤労管理に戻らなければならない、即ち徴用をもっと強化し一応等しく赤子としての報告性所謂同一の資格と同一の重要性に、家族主義を融合したる絶対標準の保証を原則とし、之れに内鮮間に於ける特殊事情や勤労者個人の歴史的地位、能力、知識、技術、勤怠、労務量等を加算条件とすることである、要するに原則としては全家族を養ひ、各員をして各々其の性能に応じて尽忠報国を為し得る迄の向上を為さしめ得ることの絶対保証を速に実践しなければならないと思はれる。
  以上を以て簡単乍ら上司より内命を受けた調査事項の復命を終ることにする。
 以上
アジア歴史資料センターhttp://www.jacar.go.jp
【レファレンスコードB02031286700 


公文書や当局者ら発言に見る朝鮮人労務者「強制」

「復命書」とは出張報告書である。内務省嘱託小暮泰用が内務省管理局長に提出したもの。
復命書
嘱託 小暮泰用 
依命小職最近の朝鮮民情動向並邑面行政の状況調査の為朝鮮へ出張したる処調査状況別紙添付の通りに有之 右及復命候也
昭和十九年七月三十一日
管理局長竹内德治殿

目次
一、戦時下朝鮮に於ける民心の趨勢 殊に知識階級の動向に関する忌憚なき意見
二、都市及農村に於ける食糧事情
三、今次在勤文官加俸令改正の官界並に民間に及したる影響
四、第一線行政の事情 殊に府、邑、面に於ける行政浸透の現状如何
五、私立専門学校等整備の知識階級に及したる影響
六、内地移住労務者送出家庭の実情
七、朝鮮内に於ける労務規制の状況並に学校報国隊の活動状況如何

一、戦時下朝鮮に於ける民心の趨勢 殊に知識階級の動向に関する忌憚なき意見
・・・兎に角朝鮮に於ける民心の動向、思想界の傾向が最近特に大東亜戦争後激しい変り方を見せて居ることは事実であって、私が今回朝鮮に出張して調査した個人的考へからこれを結論として端的に言ふならば朝鮮の思想傾向は一般に大衆的には非常に良くなって居る。然し以上述べた様に多少悲観的傾向のあることも事実である、故に私は今回現地に於て各層階級人と直接会ひ語った資料と対象して楽観論と悲観論と云ふ二つの分野に於て見た儘、聞いた儘の事実を纏めて復命することにする、・・・左に参考の為京城に於ける有志懇談会席上に於て朝鮮人有志の希望する所の要点を記述することにする、尚出席者は左の通りである。
日時 昭和十九年六月十七日午後五時
場所 京城府 白雲荘
出席者 荒木民政課長
      小暮嘱託
      坂手属
      毎日新報編集局長 鄭寅翼
         〃 社会部長 洪鐘仁
      毎日新報社社会次長 金村承燾
      人文社代表 石田耕造
      京城拓殖経済専門学校教授兼生徒監 玉岡璿珍
      宗教家 李重宰
      京城弁護士会副会長 姜柄順
      実業家 李晟煥
右記各有志から席上希望として述べられた要点の内主なる項目のみを挙ぐれば
(ヘ)今後朝鮮より供出する労務者は従来の如き募集又は官の強制斡旋方法を改め指名徴用制を速かに実施すること

六、内地移住労務者送出家庭の実情
 従来朝鮮に於ける労務資源は一般に豊富低廉と云はれてきたが支那事変が始って以来朝鮮の大陸全身兵站基地としての重要性が非常に高まり各種の重要産業が急激に勃興し朝鮮事態に対する労務事情も急激に変り従って内地向の労務供出の需給調整に相当困難を生じて来たのである、更に朝鮮労務者の内地移住は単に労力問題にとどまらず内鮮一体と云ふ見地からして大きな政治問題とも見られるのである。
 然し戦争に勝つ為には斯の如き多少困難な事情にあっても国家の至上命令に依って無理にでも内地へ送り出さなければならない今日である、然らば無理を押して内地へ送出された朝鮮人労務者の残留家庭の実情は果して如何であらうか、一言を以て之れを云ふならば実に惨儋(さんたん)目に余るものがあると云っても過言ではない。
 蓋(けだ)し朝鮮人労務者の内地送出の実情に当っての人質的掠奪的拉致等が朝鮮民情に及ぼす悪影響もさること乍ら送出即ち彼等の家計収入の停止を意味する場合が極めて多い様である、其の詳細なる統計は明かではないが最近の一例を挙げて其の間の実情を考察するに次の様である・・・

七、朝鮮内に於ける労務規制の状況並に学校報国隊の活動状況如何
 従来朝鮮内に於ては労務給源が比較的豊富であった為に支那事変勃発後も当初は何ら総合的計画なく労務動員は必要に応じて其の都度行はれた、所が其の後動員の度数と員数が各種階級を通じて激増されるに従って略大東亜戦争勃発頃より本格的労務規則が行はれる様になったのである。
 而して今日に於ては既に労務動員は最早略頭打の状態に近づき種々なる問題を露出しつつあり動員の成績は概して予期の声価を納め得ない状態にある、今其の重なる点を挙ぐれば次の様である。
(イ)、朝鮮に於ける労務動員の方式
凡そ徴用、官斡旋、勤労報国隊、出動隊の如き四つの方式がある。
徴用は今日迄の所極めて特別なる場合は別問題として現員徴用(之も最近の事例に属す)以外は行はれなかった、然し乍ら今後は徴用の方法を大いに強化活用する必要に迫られ且つ其れが予期される事態に立到ったのである。
官斡旋は従来報国隊と共に最も多く採用された方式であって朝鮮内に於ける労務動員は大体此の方法に依って為されたのである。
又出動隊は多く地元に於ける土木工事例へば増米用の溜池工事等への参加の様な場合に採られつつある方式である、然し乍ら動員を受くる民衆にとっては徴用と官斡旋時には出動隊も報国隊も全く同様に解されて居る状態である。
(ハ)、動員の実情
徴用は別として其の他如何なる方法に依るも出動は全く拉致同様な状態である
其れは若し事前に於て之を知らせば皆逃亡するからである、そこで夜襲、誘出、其の他各種の方策を講じて人質的掠奪拉致の事例が多くなるのである、何故に事前に知らせれば彼等は逃亡するか、要するにそこには彼らを精神的に惹付ける何物もなかったことから生ずるものと思はれる、内鮮を通じて労務管理の拙悪極まることは往々にして彼等の身心を破壊することのみならず残留家族の生活困難乃至破滅が屡々(しばしば)あったからである。
アジア歴史資料センターhttp://www.jacar.go.jp
【レファレンスコードB02031286700
労務者強制労務者強制2労務者強制3
国民徴用令の朝鮮半島への適用は1944年9月だというが、どうやらそれ以前から強制の実態があったらしいことになる。しかし「強制斡旋」とはうまい表現で、本音と建前がこの4文字に凝縮されておりつまり図らずも絶妙な日本文化要約となっている。外国人に日本文化を紹介する際はこの一語で用が足りるのではないか。 


別の資料
[文献名] 座談会 朝鮮労務の決戦寄与力
[収録雑誌] 大陸東洋経済 [作成年月日] 1943 年 12 月 1 日 ただし座談会開催は 1943 年 11 月 9 日
[原本所蔵機関] 東京大学経済学部図書館など
[復刻等] 2001 年に龍渓書舎から復刻。
[注] 読みやすさを考慮し、一部、仮名遣い、漢字を改めている。

座談会 朝鮮労務の決戦寄与力
十一月九日・於京城
出席者(五十音順)
日窒総務課長 池田饒
朝鮮総督府農産課技師 石井辰美
朝鮮無煙炭労務主任 今里新蔵
東拓農業課長 庄田眞次郎
朝鮮総督府労務課事務官 田原実
鐘紡厚生課朝鮮出張所長 別役雄久馬
小林鉱業企画室勤務 松本重業
朝鮮土建協会理事 森武彦
朝鮮総督府文書課長 山名酒喜男
本社側 小倉支局長

募集機構の不備
記者
そうすると今まで労務の供出はどういう方法でやっておられましたか
田原
従来の工場、鉱山の労務の充足状況を見ると、その九割までが自然流入で、あ との一割弱が斡旋だとか紹介所の紹介によっています。ところが今日では形勢一変して、募集は困難です。そこで官の力-官斡旋で充足の部面が、非常に殖えています。 ところでこの官斡旋の仕方ですが、朝鮮の職業紹介所は各道に一カ所ぐらいしかなく組織も陣容も極めて貧弱ですから、一般行政機関たる府、郡、島を第一線機関として労務者の取りまとめをやっていますが、この取りまとめがひじょうに窮屈なので仕方なく半強制的にやっています。そのため輸送途中に逃げたり、せっかく山に伴われていっても逃走したり、あるいは紛議を起こすなどと、いう例が非常に多くなって困ります。しかし、それかといって徴用も今すぐにはできない事情にありますので、半強制的な供出は今後もなお強化してゆかなければなるまいと思っています

記者
現在はブローカーのような者が募集しているわけですね。
田原
いや最初は各工場の担当者が集めたが、それがうまくゆかなくなって官斡旋に した。ところが官斡旋になると石炭山に働こうというものは殆どない。そこで愛国心にう ったえるためいろいろと行政上の措置をこうじましたが、第一線では頭数だけ揃えればい いというので不適当な者を多く加えるという弊害が多くなってきました。そこでこれもいかん。やはり自分の方から出ていって、本当に働きたいという者を集めたい。がそれには募集手続きがうるさい、この手続を止めてくれぬかということになったので、募集手続きは要らんが、しかし、勝手に募集はさせない。官の斡旋という形にして、特別斡旋制度というものを作り、今年の春から実施しています。

問題は量よりも質

私のほうの土建状況から現在の需給状況を申し上げますと、全鮮で土建に使っておる労働者は日に二十五万人から三十万人が最大ではないかと思う。平均してだいたい二十万人ぐらいですが、この労務者をどういう風にして集めておるかと申しますと、いわゆる閑散人夫として、業者の手持で始終連れて歩く土建専門の人夫、これが現在五万そこそこです。それから工事を起こす現場の近くから集まってくる地方民がまず三万そこそこ、合わせてだいたい八万位は得られます。そこであとの十二万はどうなるかというと、これは全部官の御斡旋によるものです。つまり総督府に御斡旋願うのがだいたい四万人から五万人、道内で斡旋していただく勤労隊が約八万人、合わせて十二、三万人です。 先程徴用というお話もありましたが、私の方で官に斡旋して戴いている十二、三万人は 殆ど徴用に近い行政上の強力な勧誘で出ております。もしこれがうまく行けば、必ずしも徴用をせんでも、このほうがよいようです。

池田
私の方の頭痛の種は必要なだけの数が得られないのと、移動が非常に多いことです。去年などは入ってきた労務者が、年内にほとんど全て出て行ったという有様です。 これは官斡旋で来た者が大部分ですが、縁故募集で来ましたのは歩留りがよく、半分位止まります。結局労働意思のない者を頭数だけ無理に集めて来ても無駄という感じがします。 あまりに移動が激しいので、現在ではちょっと匙を投げたというか、出る者は追わず(笑 い声)という形になっておりますが、何とかしてこれを止める事ができたら能率もぐっと挙がるでしょう。
http://www.sumquick.com/tonomura/data02/120723_02.pdf

おまけ
宇垣一成が朝鮮総督を務めた時代(1927年-1936年)に政策顧問を勤め、同時に韓国統監府の機関紙である京城日報社の社長も勤めた鎌田澤一郎は著書『朝鮮新話』1950年において、南次郎が朝鮮総督であった時代(1936年-1942年)の労務者の強制的な徴募方法について、
 
もつともひどいのは労務の徴用である。戦争が次第に苛烈になるに従って、朝鮮にも志願兵制度が敷かれる一方、労務徴用者の割当が相当厳しくなつて来た。納得の上で応募させてゐたのでは、その予定数に仲々達しない。そこで郡とか面(村)とかの労務係が深夜や早暁、突如男手のある家の寝込みを襲ひ、或ひは田畑で働いてゐる最中に、トラックを廻して何げなくそれに乗せ、かくてそれらで集団を編成して、北海道や九州の炭鉱へ送り込み、その責を果たすといふ乱暴なことをした。但(ただ)総督がそれまで強行せよと命じたわけではないが、上司の鼻息を窺ふ朝鮮出身の末端の官吏や公吏がやつてのけたのである。
 
と証言している[61][62]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E5%BC%B7%E5%88%B6%E9%80%A3%E8%A1%8C

朝鮮公論1944年10月号

■国家興亡戦と勤労動員 松本誠
従来は、機密保持の関係上広告募集の出来ない、国の行ふ総動員業務の工場事業場に限り徴用を行ひ、民間の工場事業場に対しては、官の斡旋に依って労務を充足して来たのであるが・・・労務事情が逼迫して来たのと、朝鮮では、労務の官斡旋に多少の行過があり、弊害の虞もあったので九月から従来の官斡旋を徴用に振替へ正規の手続を以て行ふこととなったのである。・・・巷間伝ふる所に依れば朝鮮民衆中徴用を忌避する傾向ありとのことであるが・・・(筆者前金連会長)(11-13頁)
https://dl.ndl.go.jp/pid/11187229/1/9

■座談会「労務動員の現況と其の対策」
日笠博雄(朝鮮総督府労務課長)「官斡旋に関しては事実上の出動を已むを得ざる場合は或程度強制して重点方面に労務動員をしてをったのでありますが、これに関しては従来弊害が多少見受けられました。これは何故かといふと、産業戦士として戦力増強、物資の生産に当る者を、一種の斡旋に依って自ら希望した形を取るやうな姿であったことは、国家的に必要な労務動員に出て貰ふといふ要請と、自己の意思に依って出て行くといふ所に相克があった為に、問題が多かったのであります。それで徴用を急速にやらうといふ方針を決定して、今年の一月から現員徴用といふことを受入れ態勢の準備として、重要鉱山、工場、事業場に行って来たのであります。(52頁)
https://dl.ndl.go.jp/pid/11187229/1/30

「極秘」印
一四 労務事情
(一)朝鮮
支那事変勃発依頼朝鮮は豊富なる地下資源水力電源等の好立地条件に恵まれ各種重点産業並に之が付帯産業の発展著しく随って之に伴ふ労務需要も亦逐年飛躍的に増加を見るに至れり。即ち鮮内に於ける国民動員計画上の一般労務者新規需要数は毎年度約三十万人(昭和十九年度二十四万人)に上り其の内減耗補充要員を除くも毎年約十五万人乃至約十八万人(昭和十九年度は十六万四千人)の増加を見つつあり。他面国民動員計画に基き昭和十四年度以降内地、樺太、南洋群島等に対し送出したる労務者数は昭和十九年度末迄に既に六十三万、軍要員として送出したる者昭和十九年九月末迄の累計九万に垂んとし之等大量の青壮年層の動員に因り従来豊富を誇れる鮮内労働事情も最近著しく変化し労務需給の調整は相当困難なる段階に達しつつあり。斯かる情勢に鑑み国民徴用令の全面的発動を実施するの方針を決し単に工場のみならず鉱山に対しても徴用を行ふこととし現員徴用に付ては昭和十九年二月八日を第一回とし爾来十一月末日現在に至る迄の其の数一四四ヶ所約十六万人に達せり。又新規徴用に付ては従来軍要員のみに付発動し来り其の数昭和十九年末現在に於て四万一千人に達せるが、昭和十九年八月以降民間に対しても之を行ふこととなり十月末現在に於て約一万人の徴用を実施したる外内地への労務者送出に付ても原則として徴用に依り之を行ふこととし十月末現在に於て其の数約四万人に達せり。尚右の外勤労報国隊の強化、学徒並に女子労務の積極的活用等諸般の対策を講じ以て鮮内外の二面的供出と重要物資生産の増強とに遺憾なからしむべく施策の万全を期しつゝあり。

参考 昭和十四年度以降の労務者計画移入数
計画実情
昭和14年度85,000人38,700人
昭和15年度88,80054,944
昭和16年度81,00050,322
昭和17年度130,000126,060
昭和18年度125,000133,050
昭和19年度320,000206152(十二月末現在)

計画移入労務者の就業先は炭坑及土建業を主とするも鉄鋼業其の他重要工業への配置も増加しつつあり。単身渡来期限二ヶ年を原則とせるも内地の労務事情に鑑み之が期間延長の奨励指導を加へ来れるが特に昭和二十年度に於ては輸送事情の逼迫に因り新規移入に多きを期待し得ざるを以て定着の指導を一層強化せざるを得ざる状況に在り。

(二)台湾
(省略)
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B02031291700(5・6画像目)



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